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不器用な好意
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午後三時を少し過ぎた頃、梅田は社内のラウンジに足を運んだ。
会議室の合間に設けた、ほんのわずかな休憩時間。
自販機で買った缶コーヒーを片手に、ラウンジ奥のソファ席に腰を下ろすと、
先客が一人、端の席に静かに座っているのが目に入った。
天王寺だった。
スーツの上着を椅子の背にかけ、スラックスの膝に置いたノートをめくっていた。
眉間に皺はなく、いつものように感情を見せない顔。
白い指先が、紙の端を丁寧に押さえていた。
梅田は、もう一本持ってきた缶コーヒーをちらりと見て、
「まあ、ええか」と思い立ち、声をかけた。
「なあ、天王寺。これ、いる?」
天王寺は目を上げた。
一瞬、まばたきしただけのように見えたが、
その視線には確かに、戸惑いのような光が浮かんでいた。
「いえ、大丈夫です」
そう言って、視線をすっと下げた。
梅田は空いている隣のソファに腰を下ろした。
深く腰を沈めると、ラウンジ全体の音が、遠くに引いていくように感じられる。
「なあ、天王寺」
缶のタブを開け、軽く一口飲んでから、
少し迷って、それでも声を続けた。
「疲れてない? ちゃんと休んでるん?」
ほんの、何気ない会話のつもりだった。
同僚にかける、ごく普通の気遣い。
けれどその言葉が口をついて出た瞬間、
梅田自身も気づいた。
本当は、ただ聞いてみたかったのだ。
彼が、どんなふうに過ごしているのか。
どんなふうに、自分を守っているのか。
天王寺は、手元のノートを閉じて、
ゆっくりと顔を上げた。
まっすぐこちらを見るその瞳に、微かに揺れがあった。
まばたきが、一度だけ、深かった。
無表情の中に、ごくかすかに「どうしてそんなことを聞くのか」という疑問が滲んでいた。
だが、それを声には出さず、彼は短く答えた。
「大丈夫です」
それだけ。
けれど、その声は、いつもより少しだけ、角が取れていた。
固い石の表面を撫でたときのような、ひんやりとしたなめらかさ。
あるいは、温度を持たない優しさのような。
梅田は、一拍置いて缶を握り直した。
胸の奥に、ぬるい熱が生まれていた。
(今、ちょっと反応してくれたんちゃうか)
目を逸らさずにいてくれた。
質問を拒絶せずに、答えてくれた。
それだけのことが、どうしようもなく嬉しかった。
これまで、何度もかわされてきた。
何を言っても、通じないような距離感。
あえて自分から壁を作っているようにしか見えなかった。
けれど、今の天王寺は、ほんの少しだけその壁を低くしたように見えた。
長い睫毛の奥に潜む瞳が、何かを探るように揺れていた。
「関わっていいのか」「気を許していいのか」、
その葛藤が表に出ることはないけれど、
見ようとすれば、確かにそこにあった。
梅田は、いつもよりも小さな声で言った。
「そっか。ならええけど」
缶を口元に持っていきながら、目を逸らさずにいたかった。
けれど、これ以上何かを求めたら、また元に戻ってしまうような気がして、
そっと視線を自分の靴先に落とした。
沈黙が戻ってくる。
けれど、それは気まずさでも、不快でもなかった。
天王寺はノートを閉じたまま、しばらく何も言わなかった。
ただ、並んでいるというだけのその時間が、妙に落ち着いた。
梅田は、胸の奥で確信する。
この人は、自分から扉を開くことはない。
でも、誰かが扉の前に立ち続ければ、
やがて、その鍵を手渡してくれるかもしれない。
その日が来るまで、ここにいようと思った。
焦らずに、追い詰めずに、ただ知ろうとするだけで。
残りの缶コーヒーを飲み干しながら、
梅田は隣に座る静かな存在の体温を、
なぜか、はっきりと感じていた。
会議室の合間に設けた、ほんのわずかな休憩時間。
自販機で買った缶コーヒーを片手に、ラウンジ奥のソファ席に腰を下ろすと、
先客が一人、端の席に静かに座っているのが目に入った。
天王寺だった。
スーツの上着を椅子の背にかけ、スラックスの膝に置いたノートをめくっていた。
眉間に皺はなく、いつものように感情を見せない顔。
白い指先が、紙の端を丁寧に押さえていた。
梅田は、もう一本持ってきた缶コーヒーをちらりと見て、
「まあ、ええか」と思い立ち、声をかけた。
「なあ、天王寺。これ、いる?」
天王寺は目を上げた。
一瞬、まばたきしただけのように見えたが、
その視線には確かに、戸惑いのような光が浮かんでいた。
「いえ、大丈夫です」
そう言って、視線をすっと下げた。
梅田は空いている隣のソファに腰を下ろした。
深く腰を沈めると、ラウンジ全体の音が、遠くに引いていくように感じられる。
「なあ、天王寺」
缶のタブを開け、軽く一口飲んでから、
少し迷って、それでも声を続けた。
「疲れてない? ちゃんと休んでるん?」
ほんの、何気ない会話のつもりだった。
同僚にかける、ごく普通の気遣い。
けれどその言葉が口をついて出た瞬間、
梅田自身も気づいた。
本当は、ただ聞いてみたかったのだ。
彼が、どんなふうに過ごしているのか。
どんなふうに、自分を守っているのか。
天王寺は、手元のノートを閉じて、
ゆっくりと顔を上げた。
まっすぐこちらを見るその瞳に、微かに揺れがあった。
まばたきが、一度だけ、深かった。
無表情の中に、ごくかすかに「どうしてそんなことを聞くのか」という疑問が滲んでいた。
だが、それを声には出さず、彼は短く答えた。
「大丈夫です」
それだけ。
けれど、その声は、いつもより少しだけ、角が取れていた。
固い石の表面を撫でたときのような、ひんやりとしたなめらかさ。
あるいは、温度を持たない優しさのような。
梅田は、一拍置いて缶を握り直した。
胸の奥に、ぬるい熱が生まれていた。
(今、ちょっと反応してくれたんちゃうか)
目を逸らさずにいてくれた。
質問を拒絶せずに、答えてくれた。
それだけのことが、どうしようもなく嬉しかった。
これまで、何度もかわされてきた。
何を言っても、通じないような距離感。
あえて自分から壁を作っているようにしか見えなかった。
けれど、今の天王寺は、ほんの少しだけその壁を低くしたように見えた。
長い睫毛の奥に潜む瞳が、何かを探るように揺れていた。
「関わっていいのか」「気を許していいのか」、
その葛藤が表に出ることはないけれど、
見ようとすれば、確かにそこにあった。
梅田は、いつもよりも小さな声で言った。
「そっか。ならええけど」
缶を口元に持っていきながら、目を逸らさずにいたかった。
けれど、これ以上何かを求めたら、また元に戻ってしまうような気がして、
そっと視線を自分の靴先に落とした。
沈黙が戻ってくる。
けれど、それは気まずさでも、不快でもなかった。
天王寺はノートを閉じたまま、しばらく何も言わなかった。
ただ、並んでいるというだけのその時間が、妙に落ち着いた。
梅田は、胸の奥で確信する。
この人は、自分から扉を開くことはない。
でも、誰かが扉の前に立ち続ければ、
やがて、その鍵を手渡してくれるかもしれない。
その日が来るまで、ここにいようと思った。
焦らずに、追い詰めずに、ただ知ろうとするだけで。
残りの缶コーヒーを飲み干しながら、
梅田は隣に座る静かな存在の体温を、
なぜか、はっきりと感じていた。
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