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エピローグ:〈クラルテ〉にて
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週末の夜、バー〈クラルテ〉の照明は柔らかく落とされていた。
琥珀色の明かりがカウンターに沿って伸び、木の天板を静かに照らしている。
店内には小さくジャズが流れ、グラスを持つ音と、氷が触れ合う音だけが、その隙間を埋めていた。
梅田と天王寺は、カウンターの端に並んで座っていた。
この店を訪れるのは、あれ以来だ。
互いに肩が少し触れる距離。
それでも、どちらもその距離を詰めようとはせず、ただ静かにその場を共有していた。
天王寺はグレーのシャツに細身の黒いパンツという、以前と変わらない無駄のない装いだった。
けれど、その目元にはどこか柔らかい影があった。
ほんの数ヶ月前なら、絶対に人前で見せなかったような、小さな安心の色。
梅田はジャケットを脱ぎ、シャツの袖を軽くまくっていた。
グラスを持つ指先は落ち着いていて、まるでこの場所に、昔から通っていたかのような空気をまとっている。
バーカウンターの奥で、桜川直人が二人に視線を向けた。
相変わらず無表情なままだったが、その口元がふっとかすかに緩んだ。
そして、ぽつりとつぶやく。
「……恋、してるんやな」
その一言に、天王寺が小さく肩をすくめた。
すぐ隣で、梅田がグラスを持ち上げながら笑う。
声音は軽やかで、けれど決して茶化してはいなかった。
「してますよ。人生で初めて、まともなやつを」
その言葉に、天王寺は思わず横を向く。
一瞬だけ驚いたような目をしたが、すぐに視線を落とし、グラスの氷を指先で揺らした。
氷とガラスが触れ合う音が、小さくカチリと鳴った。
「……カウンターでそんなこと、言わないでください」
そう言った天王寺の声は、ほんの少しだけ甘さを含んでいた。
以前なら「やめてください」とぴしゃりと切っていただろう言葉を、今は柔らかく受け止めている。
梅田はその反応に、もう一度笑みを浮かべた。
「なんでや。俺が本気で言うてんの、分かってるくせに」
天王寺は何も言わず、ただグラスを口元に運んだ。
けれど、その耳が少しだけ赤くなっているのを、梅田は見逃さなかった。
直人は、それ以上何も言わず、別の客のためにグラスを磨いていた。
けれど、その背中にはどこか満足げな気配が滲んでいる。
梅田は、グラスの縁に指を添えて、静かに傾けた。
琥珀色の液体が喉をすべり落ちていく。
グラスを置いて、ふと天王寺の方に体を向ける。
「……ちゃんと見てくれて、ありがとうな」
その言葉に、天王寺はわずかに瞬きをした。
そして、驚いたように、けれどどこか照れくさそうに、ほんの少しだけ笑った。
答えは返ってこなかった。
けれど、その笑みがすべてだった。
もう、言葉にしなくても伝わるものがある。
それを知るには、少しだけ時間がかかった。
けれど、今のふたりには、それがようやく自然にできるようになっていた。
カウンターに置かれたふたつのグラスが、隣り合って光を受けていた。
氷がゆっくりと溶けていく音が、静かに夜の奥に吸い込まれていく。
この夜は、何も起きなかった。
でもそれが、何よりも幸福だった。
ふたりでいるだけで、世界がほんの少し静かに整っていく。
そんな時間を、今ようやく分かち合えるようになった。
グラスの中に映る小さな光が、二人の指先を照らしていた。
交わらずとも、もう触れ合っていると分かる。
心がそこに在るということを、そっと伝えていた。
【完】
琥珀色の明かりがカウンターに沿って伸び、木の天板を静かに照らしている。
店内には小さくジャズが流れ、グラスを持つ音と、氷が触れ合う音だけが、その隙間を埋めていた。
梅田と天王寺は、カウンターの端に並んで座っていた。
この店を訪れるのは、あれ以来だ。
互いに肩が少し触れる距離。
それでも、どちらもその距離を詰めようとはせず、ただ静かにその場を共有していた。
天王寺はグレーのシャツに細身の黒いパンツという、以前と変わらない無駄のない装いだった。
けれど、その目元にはどこか柔らかい影があった。
ほんの数ヶ月前なら、絶対に人前で見せなかったような、小さな安心の色。
梅田はジャケットを脱ぎ、シャツの袖を軽くまくっていた。
グラスを持つ指先は落ち着いていて、まるでこの場所に、昔から通っていたかのような空気をまとっている。
バーカウンターの奥で、桜川直人が二人に視線を向けた。
相変わらず無表情なままだったが、その口元がふっとかすかに緩んだ。
そして、ぽつりとつぶやく。
「……恋、してるんやな」
その一言に、天王寺が小さく肩をすくめた。
すぐ隣で、梅田がグラスを持ち上げながら笑う。
声音は軽やかで、けれど決して茶化してはいなかった。
「してますよ。人生で初めて、まともなやつを」
その言葉に、天王寺は思わず横を向く。
一瞬だけ驚いたような目をしたが、すぐに視線を落とし、グラスの氷を指先で揺らした。
氷とガラスが触れ合う音が、小さくカチリと鳴った。
「……カウンターでそんなこと、言わないでください」
そう言った天王寺の声は、ほんの少しだけ甘さを含んでいた。
以前なら「やめてください」とぴしゃりと切っていただろう言葉を、今は柔らかく受け止めている。
梅田はその反応に、もう一度笑みを浮かべた。
「なんでや。俺が本気で言うてんの、分かってるくせに」
天王寺は何も言わず、ただグラスを口元に運んだ。
けれど、その耳が少しだけ赤くなっているのを、梅田は見逃さなかった。
直人は、それ以上何も言わず、別の客のためにグラスを磨いていた。
けれど、その背中にはどこか満足げな気配が滲んでいる。
梅田は、グラスの縁に指を添えて、静かに傾けた。
琥珀色の液体が喉をすべり落ちていく。
グラスを置いて、ふと天王寺の方に体を向ける。
「……ちゃんと見てくれて、ありがとうな」
その言葉に、天王寺はわずかに瞬きをした。
そして、驚いたように、けれどどこか照れくさそうに、ほんの少しだけ笑った。
答えは返ってこなかった。
けれど、その笑みがすべてだった。
もう、言葉にしなくても伝わるものがある。
それを知るには、少しだけ時間がかかった。
けれど、今のふたりには、それがようやく自然にできるようになっていた。
カウンターに置かれたふたつのグラスが、隣り合って光を受けていた。
氷がゆっくりと溶けていく音が、静かに夜の奥に吸い込まれていく。
この夜は、何も起きなかった。
でもそれが、何よりも幸福だった。
ふたりでいるだけで、世界がほんの少し静かに整っていく。
そんな時間を、今ようやく分かち合えるようになった。
グラスの中に映る小さな光が、二人の指先を照らしていた。
交わらずとも、もう触れ合っていると分かる。
心がそこに在るということを、そっと伝えていた。
【完】
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こちらこそ、読んでいただきありがとうございます(*^^*)
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