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1.歌わない母
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若者で賑わう街は、平日でも人波が途切れることはない。
「ねえ君、モデルさんや女優の仕事に興味ない?」
スーツの男が少女を呼び止めた。
セーラー服から覗くほっそりとした手足に整った顔立ち、擦れた印象もない品の良さ。行き交う若者たちとは、明らかに違う光を放っている。
「え、あの……」
とまどう面差しがまた魅力的だ。肩先で切り揃えられた髪、目の大きさ、パーツのバランスもいい。他より先に唾をつけておきたいところだ。
「歌は好き?舞台とかドラマに出たいとか、思ったりしない?」
「……歌、好きです。よく家でも歌います」
好反応。
男は意気込んだ。さらに少女の心をつかもうとする。
「じゃあ誰の歌が好きなの?」
誰だっけ、この顔。どこかで見たような……。
記憶を巡らすが、すぐに思い出せない。
「あっ、でもウチ親がうるさくて。絶対歌は歌うなって。だからごめんなさい!」
少女が弾かれたように身を引いた。
「待って、せめて名刺を……」
あわてて去っていく背中を見送った。
それにしても誰だろう?誰かに似ている気がしたんだが……。
「はあ、はあ……」
三崎有紗(みさき・ありさ)は、息を切らしながら裏通りに走り込んだ。
ポケットに手を突っ込んで、集まった名刺を取り出す。
二、三……今のもらい損ないを入れたら四枚。通りを二往復しただけで結構な収穫だ。
今日はほんの小手調べ。自分がどれくらいのものなのか試したかっただけだ。友人から聞いた通り、ここをうろうろしていればイケると思った子には声をかけてくる。
歌を仕事にできるならやってみたい。小さい頃から当たり前のようになじんできていたのだから。でも。
「有紗ー、飽きたあ。もう帰ろうよ」
ハンバーガー屋の入り口で菜々美(ななみ)と出くわす。すっかり待ちくたびれてご機嫌斜めだ。
「ごめんごめん、いちごシェイクおごるから」
「それにしても、何でわざわざスカウト?お母さんに頼めばいいじゃん、デビューしたいって」
「しっ、ママが一切歌わないの知ってるでしょ」
「不思議だよね。家族の前でも全然?」
「私だってちゃんと聞いたことないもん。あの様子じゃ、言っただけで怒られる」
「だってお母さん、元々歌手でデビューしたんでしょ。家のどこかに昔の歌とか残ってないの?」
「ないよ」
有紗だって問いただしたいことだった。ずっと前から。
母の留守に、よく家中を探したがひとつもなかった。マネージャーの名倉(なくら)にもしつこくせがんでみたが、未だ叶わない。
「動画サイトにない?昔の歌って、たいてい誰かアップしてくれるよね」
「そんなに歌番組出ないうちに止めたんだって。そのせいばっかりでもないけど」
「そうなんだ?……有紗のお母さんって、何だかミステリアスね」
「娘にも言えないミステリアスって、何?」
仕事上の戦略ならまだしも、家の中でもそうだとしたら一体何なのだろう?
東央テレビ、第三スタジオは本番前の緊張に包まれていた。
「五秒前!三、二……」
「こんばんわ。ジャパンニュースの時間です」
三崎優子(みさき・ゆうこ)は凛とした表情で告げた。
午後十時を回ると、局の看板キャスターである優子の番組が始まる。月曜から金曜までこの時間帯は、彼女がすべてを仕切り進行している。
カメラには写らない緞帳の下、小柄な中年の男が様子を見守っていた。
彼が優子のマネージャー、名倉五郎(なくら・ごろう)。優子がこの業界に入って以来、二十年以上彼女の活動を支えてきた。
「名倉さん、少しいいですか」
スタッフが小声で呼んだ。優子を一瞥して、廊下へ出る。
「また動画サイトにアップされてましたよ、優子さんのデビュー曲。うちの局のポータルサイト内なんで、一応お知らせしておこうと思いまして」
「それで……削除できそう?どのレベル?」
「茶の間のテレビを撮っているんで、はっきりとは聞こえませんね。生活音も入っているし。著作権侵害ってことで削除して、ユーザーに警告も送りました」
もうずっと前に歌は止めたのに、どこかで誰かが思い出したように見せつける。インターネット文化は人々に功罪をもたらしたが、動画サイトの存在はこの点において言えば間違いなく後者だ。
「ぼくらの世代からすれば、三崎優子は最初歌手だったんですからね。と言っても数曲で封印し、すっかり活動の方向を変えた……あの事故をきっかけに」
ですよね?と首をかしげて見せる。
「優子はもう歌わない。もう随分前からああして別の道を歩んでいる。だから昔の歌は世に出回っていてはいけないんだ」
「彼女が以前の自分の映像や歌を嫌がるって言う噂、やっぱ本当なんですか?」
「ああ、頭痛やめまいが未だに起こる。交通事故ってのは後々大変だよ」
名倉は言い飽きた文言を繰り返す。
音源廃盤と回収、テレビ局に残っている映像の買い取りと破棄。たまにオークションに出る商品も、しらみつぶしに落札してきた。過去は極力排除しなければならない。三崎優子はキャスターだと知らしめるために。
いや、それよりも彼女が過去の自分と対面する羽目にならないように。今や芸能生命を左右する、重大事項なのだから。
「じゃ禁止項目に登録して、アップも検索も不可にしておきますよ」
「ありがとう。また何かあったらよろしく頼みます」
男が去ったタイミングで携帯が震えた。有紗からだった。
名倉さんへ
今日原宿で何度もスカウトされちゃった!
ママが駄目って言うなら、私自力で歌手になっちゃうかも?
なあんてね、冗談だよ。
ママによろしく。おやすみなさい。
事故から三年後。優子は二十三歳で俳優の青木悟(あおき・さとる)と結婚し、翌年に娘の有紗をもうけた。
が、わずか四年で破局した。以後優子は仕事をしながら、有紗と二人で暮らしている。原因は優子の浮気と言われているが、それは表向きの理由だ。
真実を伝えるのは難しく、明かしたところで世間が信じるはずもない。
離婚当時、有紗はまだ三歳だった。父親を恋しがって泣いては、名倉が抱き上げあやしたものだ。今はさすがに……いや、未だに誰か頼れる相手が必要なことはわかる。有紗が優子ではなく、自分へメールを送るようになってから特に。
「ねえ君、モデルさんや女優の仕事に興味ない?」
スーツの男が少女を呼び止めた。
セーラー服から覗くほっそりとした手足に整った顔立ち、擦れた印象もない品の良さ。行き交う若者たちとは、明らかに違う光を放っている。
「え、あの……」
とまどう面差しがまた魅力的だ。肩先で切り揃えられた髪、目の大きさ、パーツのバランスもいい。他より先に唾をつけておきたいところだ。
「歌は好き?舞台とかドラマに出たいとか、思ったりしない?」
「……歌、好きです。よく家でも歌います」
好反応。
男は意気込んだ。さらに少女の心をつかもうとする。
「じゃあ誰の歌が好きなの?」
誰だっけ、この顔。どこかで見たような……。
記憶を巡らすが、すぐに思い出せない。
「あっ、でもウチ親がうるさくて。絶対歌は歌うなって。だからごめんなさい!」
少女が弾かれたように身を引いた。
「待って、せめて名刺を……」
あわてて去っていく背中を見送った。
それにしても誰だろう?誰かに似ている気がしたんだが……。
「はあ、はあ……」
三崎有紗(みさき・ありさ)は、息を切らしながら裏通りに走り込んだ。
ポケットに手を突っ込んで、集まった名刺を取り出す。
二、三……今のもらい損ないを入れたら四枚。通りを二往復しただけで結構な収穫だ。
今日はほんの小手調べ。自分がどれくらいのものなのか試したかっただけだ。友人から聞いた通り、ここをうろうろしていればイケると思った子には声をかけてくる。
歌を仕事にできるならやってみたい。小さい頃から当たり前のようになじんできていたのだから。でも。
「有紗ー、飽きたあ。もう帰ろうよ」
ハンバーガー屋の入り口で菜々美(ななみ)と出くわす。すっかり待ちくたびれてご機嫌斜めだ。
「ごめんごめん、いちごシェイクおごるから」
「それにしても、何でわざわざスカウト?お母さんに頼めばいいじゃん、デビューしたいって」
「しっ、ママが一切歌わないの知ってるでしょ」
「不思議だよね。家族の前でも全然?」
「私だってちゃんと聞いたことないもん。あの様子じゃ、言っただけで怒られる」
「だってお母さん、元々歌手でデビューしたんでしょ。家のどこかに昔の歌とか残ってないの?」
「ないよ」
有紗だって問いただしたいことだった。ずっと前から。
母の留守に、よく家中を探したがひとつもなかった。マネージャーの名倉(なくら)にもしつこくせがんでみたが、未だ叶わない。
「動画サイトにない?昔の歌って、たいてい誰かアップしてくれるよね」
「そんなに歌番組出ないうちに止めたんだって。そのせいばっかりでもないけど」
「そうなんだ?……有紗のお母さんって、何だかミステリアスね」
「娘にも言えないミステリアスって、何?」
仕事上の戦略ならまだしも、家の中でもそうだとしたら一体何なのだろう?
東央テレビ、第三スタジオは本番前の緊張に包まれていた。
「五秒前!三、二……」
「こんばんわ。ジャパンニュースの時間です」
三崎優子(みさき・ゆうこ)は凛とした表情で告げた。
午後十時を回ると、局の看板キャスターである優子の番組が始まる。月曜から金曜までこの時間帯は、彼女がすべてを仕切り進行している。
カメラには写らない緞帳の下、小柄な中年の男が様子を見守っていた。
彼が優子のマネージャー、名倉五郎(なくら・ごろう)。優子がこの業界に入って以来、二十年以上彼女の活動を支えてきた。
「名倉さん、少しいいですか」
スタッフが小声で呼んだ。優子を一瞥して、廊下へ出る。
「また動画サイトにアップされてましたよ、優子さんのデビュー曲。うちの局のポータルサイト内なんで、一応お知らせしておこうと思いまして」
「それで……削除できそう?どのレベル?」
「茶の間のテレビを撮っているんで、はっきりとは聞こえませんね。生活音も入っているし。著作権侵害ってことで削除して、ユーザーに警告も送りました」
もうずっと前に歌は止めたのに、どこかで誰かが思い出したように見せつける。インターネット文化は人々に功罪をもたらしたが、動画サイトの存在はこの点において言えば間違いなく後者だ。
「ぼくらの世代からすれば、三崎優子は最初歌手だったんですからね。と言っても数曲で封印し、すっかり活動の方向を変えた……あの事故をきっかけに」
ですよね?と首をかしげて見せる。
「優子はもう歌わない。もう随分前からああして別の道を歩んでいる。だから昔の歌は世に出回っていてはいけないんだ」
「彼女が以前の自分の映像や歌を嫌がるって言う噂、やっぱ本当なんですか?」
「ああ、頭痛やめまいが未だに起こる。交通事故ってのは後々大変だよ」
名倉は言い飽きた文言を繰り返す。
音源廃盤と回収、テレビ局に残っている映像の買い取りと破棄。たまにオークションに出る商品も、しらみつぶしに落札してきた。過去は極力排除しなければならない。三崎優子はキャスターだと知らしめるために。
いや、それよりも彼女が過去の自分と対面する羽目にならないように。今や芸能生命を左右する、重大事項なのだから。
「じゃ禁止項目に登録して、アップも検索も不可にしておきますよ」
「ありがとう。また何かあったらよろしく頼みます」
男が去ったタイミングで携帯が震えた。有紗からだった。
名倉さんへ
今日原宿で何度もスカウトされちゃった!
ママが駄目って言うなら、私自力で歌手になっちゃうかも?
なあんてね、冗談だよ。
ママによろしく。おやすみなさい。
事故から三年後。優子は二十三歳で俳優の青木悟(あおき・さとる)と結婚し、翌年に娘の有紗をもうけた。
が、わずか四年で破局した。以後優子は仕事をしながら、有紗と二人で暮らしている。原因は優子の浮気と言われているが、それは表向きの理由だ。
真実を伝えるのは難しく、明かしたところで世間が信じるはずもない。
離婚当時、有紗はまだ三歳だった。父親を恋しがって泣いては、名倉が抱き上げあやしたものだ。今はさすがに……いや、未だに誰か頼れる相手が必要なことはわかる。有紗が優子ではなく、自分へメールを送るようになってから特に。
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