1 / 11
1.歌わない母
しおりを挟む
若者で賑わう街は、平日でも人波が途切れることはない。
「ねえ君、モデルさんや女優の仕事に興味ない?」
スーツの男が少女を呼び止めた。
セーラー服から覗くほっそりとした手足に整った顔立ち、擦れた印象もない品の良さ。行き交う若者たちとは、明らかに違う光を放っている。
「え、あの……」
とまどう面差しがまた魅力的だ。肩先で切り揃えられた髪、目の大きさ、パーツのバランスもいい。他より先に唾をつけておきたいところだ。
「歌は好き?舞台とかドラマに出たいとか、思ったりしない?」
「……歌、好きです。よく家でも歌います」
好反応。
男は意気込んだ。さらに少女の心をつかもうとする。
「じゃあ誰の歌が好きなの?」
誰だっけ、この顔。どこかで見たような……。
記憶を巡らすが、すぐに思い出せない。
「あっ、でもウチ親がうるさくて。絶対歌は歌うなって。だからごめんなさい!」
少女が弾かれたように身を引いた。
「待って、せめて名刺を……」
あわてて去っていく背中を見送った。
それにしても誰だろう?誰かに似ている気がしたんだが……。
「はあ、はあ……」
三崎有紗(みさき・ありさ)は、息を切らしながら裏通りに走り込んだ。
ポケットに手を突っ込んで、集まった名刺を取り出す。
二、三……今のもらい損ないを入れたら四枚。通りを二往復しただけで結構な収穫だ。
今日はほんの小手調べ。自分がどれくらいのものなのか試したかっただけだ。友人から聞いた通り、ここをうろうろしていればイケると思った子には声をかけてくる。
歌を仕事にできるならやってみたい。小さい頃から当たり前のようになじんできていたのだから。でも。
「有紗ー、飽きたあ。もう帰ろうよ」
ハンバーガー屋の入り口で菜々美(ななみ)と出くわす。すっかり待ちくたびれてご機嫌斜めだ。
「ごめんごめん、いちごシェイクおごるから」
「それにしても、何でわざわざスカウト?お母さんに頼めばいいじゃん、デビューしたいって」
「しっ、ママが一切歌わないの知ってるでしょ」
「不思議だよね。家族の前でも全然?」
「私だってちゃんと聞いたことないもん。あの様子じゃ、言っただけで怒られる」
「だってお母さん、元々歌手でデビューしたんでしょ。家のどこかに昔の歌とか残ってないの?」
「ないよ」
有紗だって問いただしたいことだった。ずっと前から。
母の留守に、よく家中を探したがひとつもなかった。マネージャーの名倉(なくら)にもしつこくせがんでみたが、未だ叶わない。
「動画サイトにない?昔の歌って、たいてい誰かアップしてくれるよね」
「そんなに歌番組出ないうちに止めたんだって。そのせいばっかりでもないけど」
「そうなんだ?……有紗のお母さんって、何だかミステリアスね」
「娘にも言えないミステリアスって、何?」
仕事上の戦略ならまだしも、家の中でもそうだとしたら一体何なのだろう?
東央テレビ、第三スタジオは本番前の緊張に包まれていた。
「五秒前!三、二……」
「こんばんわ。ジャパンニュースの時間です」
三崎優子(みさき・ゆうこ)は凛とした表情で告げた。
午後十時を回ると、局の看板キャスターである優子の番組が始まる。月曜から金曜までこの時間帯は、彼女がすべてを仕切り進行している。
カメラには写らない緞帳の下、小柄な中年の男が様子を見守っていた。
彼が優子のマネージャー、名倉五郎(なくら・ごろう)。優子がこの業界に入って以来、二十年以上彼女の活動を支えてきた。
「名倉さん、少しいいですか」
スタッフが小声で呼んだ。優子を一瞥して、廊下へ出る。
「また動画サイトにアップされてましたよ、優子さんのデビュー曲。うちの局のポータルサイト内なんで、一応お知らせしておこうと思いまして」
「それで……削除できそう?どのレベル?」
「茶の間のテレビを撮っているんで、はっきりとは聞こえませんね。生活音も入っているし。著作権侵害ってことで削除して、ユーザーに警告も送りました」
もうずっと前に歌は止めたのに、どこかで誰かが思い出したように見せつける。インターネット文化は人々に功罪をもたらしたが、動画サイトの存在はこの点において言えば間違いなく後者だ。
「ぼくらの世代からすれば、三崎優子は最初歌手だったんですからね。と言っても数曲で封印し、すっかり活動の方向を変えた……あの事故をきっかけに」
ですよね?と首をかしげて見せる。
「優子はもう歌わない。もう随分前からああして別の道を歩んでいる。だから昔の歌は世に出回っていてはいけないんだ」
「彼女が以前の自分の映像や歌を嫌がるって言う噂、やっぱ本当なんですか?」
「ああ、頭痛やめまいが未だに起こる。交通事故ってのは後々大変だよ」
名倉は言い飽きた文言を繰り返す。
音源廃盤と回収、テレビ局に残っている映像の買い取りと破棄。たまにオークションに出る商品も、しらみつぶしに落札してきた。過去は極力排除しなければならない。三崎優子はキャスターだと知らしめるために。
いや、それよりも彼女が過去の自分と対面する羽目にならないように。今や芸能生命を左右する、重大事項なのだから。
「じゃ禁止項目に登録して、アップも検索も不可にしておきますよ」
「ありがとう。また何かあったらよろしく頼みます」
男が去ったタイミングで携帯が震えた。有紗からだった。
名倉さんへ
今日原宿で何度もスカウトされちゃった!
ママが駄目って言うなら、私自力で歌手になっちゃうかも?
なあんてね、冗談だよ。
ママによろしく。おやすみなさい。
事故から三年後。優子は二十三歳で俳優の青木悟(あおき・さとる)と結婚し、翌年に娘の有紗をもうけた。
が、わずか四年で破局した。以後優子は仕事をしながら、有紗と二人で暮らしている。原因は優子の浮気と言われているが、それは表向きの理由だ。
真実を伝えるのは難しく、明かしたところで世間が信じるはずもない。
離婚当時、有紗はまだ三歳だった。父親を恋しがって泣いては、名倉が抱き上げあやしたものだ。今はさすがに……いや、未だに誰か頼れる相手が必要なことはわかる。有紗が優子ではなく、自分へメールを送るようになってから特に。
「ねえ君、モデルさんや女優の仕事に興味ない?」
スーツの男が少女を呼び止めた。
セーラー服から覗くほっそりとした手足に整った顔立ち、擦れた印象もない品の良さ。行き交う若者たちとは、明らかに違う光を放っている。
「え、あの……」
とまどう面差しがまた魅力的だ。肩先で切り揃えられた髪、目の大きさ、パーツのバランスもいい。他より先に唾をつけておきたいところだ。
「歌は好き?舞台とかドラマに出たいとか、思ったりしない?」
「……歌、好きです。よく家でも歌います」
好反応。
男は意気込んだ。さらに少女の心をつかもうとする。
「じゃあ誰の歌が好きなの?」
誰だっけ、この顔。どこかで見たような……。
記憶を巡らすが、すぐに思い出せない。
「あっ、でもウチ親がうるさくて。絶対歌は歌うなって。だからごめんなさい!」
少女が弾かれたように身を引いた。
「待って、せめて名刺を……」
あわてて去っていく背中を見送った。
それにしても誰だろう?誰かに似ている気がしたんだが……。
「はあ、はあ……」
三崎有紗(みさき・ありさ)は、息を切らしながら裏通りに走り込んだ。
ポケットに手を突っ込んで、集まった名刺を取り出す。
二、三……今のもらい損ないを入れたら四枚。通りを二往復しただけで結構な収穫だ。
今日はほんの小手調べ。自分がどれくらいのものなのか試したかっただけだ。友人から聞いた通り、ここをうろうろしていればイケると思った子には声をかけてくる。
歌を仕事にできるならやってみたい。小さい頃から当たり前のようになじんできていたのだから。でも。
「有紗ー、飽きたあ。もう帰ろうよ」
ハンバーガー屋の入り口で菜々美(ななみ)と出くわす。すっかり待ちくたびれてご機嫌斜めだ。
「ごめんごめん、いちごシェイクおごるから」
「それにしても、何でわざわざスカウト?お母さんに頼めばいいじゃん、デビューしたいって」
「しっ、ママが一切歌わないの知ってるでしょ」
「不思議だよね。家族の前でも全然?」
「私だってちゃんと聞いたことないもん。あの様子じゃ、言っただけで怒られる」
「だってお母さん、元々歌手でデビューしたんでしょ。家のどこかに昔の歌とか残ってないの?」
「ないよ」
有紗だって問いただしたいことだった。ずっと前から。
母の留守に、よく家中を探したがひとつもなかった。マネージャーの名倉(なくら)にもしつこくせがんでみたが、未だ叶わない。
「動画サイトにない?昔の歌って、たいてい誰かアップしてくれるよね」
「そんなに歌番組出ないうちに止めたんだって。そのせいばっかりでもないけど」
「そうなんだ?……有紗のお母さんって、何だかミステリアスね」
「娘にも言えないミステリアスって、何?」
仕事上の戦略ならまだしも、家の中でもそうだとしたら一体何なのだろう?
東央テレビ、第三スタジオは本番前の緊張に包まれていた。
「五秒前!三、二……」
「こんばんわ。ジャパンニュースの時間です」
三崎優子(みさき・ゆうこ)は凛とした表情で告げた。
午後十時を回ると、局の看板キャスターである優子の番組が始まる。月曜から金曜までこの時間帯は、彼女がすべてを仕切り進行している。
カメラには写らない緞帳の下、小柄な中年の男が様子を見守っていた。
彼が優子のマネージャー、名倉五郎(なくら・ごろう)。優子がこの業界に入って以来、二十年以上彼女の活動を支えてきた。
「名倉さん、少しいいですか」
スタッフが小声で呼んだ。優子を一瞥して、廊下へ出る。
「また動画サイトにアップされてましたよ、優子さんのデビュー曲。うちの局のポータルサイト内なんで、一応お知らせしておこうと思いまして」
「それで……削除できそう?どのレベル?」
「茶の間のテレビを撮っているんで、はっきりとは聞こえませんね。生活音も入っているし。著作権侵害ってことで削除して、ユーザーに警告も送りました」
もうずっと前に歌は止めたのに、どこかで誰かが思い出したように見せつける。インターネット文化は人々に功罪をもたらしたが、動画サイトの存在はこの点において言えば間違いなく後者だ。
「ぼくらの世代からすれば、三崎優子は最初歌手だったんですからね。と言っても数曲で封印し、すっかり活動の方向を変えた……あの事故をきっかけに」
ですよね?と首をかしげて見せる。
「優子はもう歌わない。もう随分前からああして別の道を歩んでいる。だから昔の歌は世に出回っていてはいけないんだ」
「彼女が以前の自分の映像や歌を嫌がるって言う噂、やっぱ本当なんですか?」
「ああ、頭痛やめまいが未だに起こる。交通事故ってのは後々大変だよ」
名倉は言い飽きた文言を繰り返す。
音源廃盤と回収、テレビ局に残っている映像の買い取りと破棄。たまにオークションに出る商品も、しらみつぶしに落札してきた。過去は極力排除しなければならない。三崎優子はキャスターだと知らしめるために。
いや、それよりも彼女が過去の自分と対面する羽目にならないように。今や芸能生命を左右する、重大事項なのだから。
「じゃ禁止項目に登録して、アップも検索も不可にしておきますよ」
「ありがとう。また何かあったらよろしく頼みます」
男が去ったタイミングで携帯が震えた。有紗からだった。
名倉さんへ
今日原宿で何度もスカウトされちゃった!
ママが駄目って言うなら、私自力で歌手になっちゃうかも?
なあんてね、冗談だよ。
ママによろしく。おやすみなさい。
事故から三年後。優子は二十三歳で俳優の青木悟(あおき・さとる)と結婚し、翌年に娘の有紗をもうけた。
が、わずか四年で破局した。以後優子は仕事をしながら、有紗と二人で暮らしている。原因は優子の浮気と言われているが、それは表向きの理由だ。
真実を伝えるのは難しく、明かしたところで世間が信じるはずもない。
離婚当時、有紗はまだ三歳だった。父親を恋しがって泣いては、名倉が抱き上げあやしたものだ。今はさすがに……いや、未だに誰か頼れる相手が必要なことはわかる。有紗が優子ではなく、自分へメールを送るようになってから特に。
0
あなたにおすすめの小説
【完結】知られてはいけない
ひなこ
ホラー
中学一年の女子・遠野莉々亜(とおの・りりあ)は、黒い封筒を開けたせいで仮想空間の学校へ閉じ込められる。
他にも中一から中三の男女十五人が同じように誘拐されて、現実世界に帰る一人になるために戦わなければならない。
登録させられた「あなたの大切なものは?」を、互いにバトルで当てあって相手の票を集めるデスゲーム。
勝ち残りと友情を天秤にかけて、ゲームは進んでいく。
一つ年上の男子・加川準(かがわ・じゅん)は敵か味方か?莉々亜は果たして、元の世界へ帰ることができるのか?
心理戦が飛び交う、四日間の戦いの物語。
(第二回きずな児童書大賞で奨励賞を受賞しました)
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
イヴの訪問者
MARU助
ミステリー
【完結済み】
12月24日、クリスマス・イヴの夜に恵美の部屋に現れた謎の訪問者。
正体も分からず、お互いに腹を探り合っていく中で、徐々に真実が見え始めていく。
*ミステリーのカテゴリーですが、ライトな部類です。薄めのミステリーという感じです。
クラス転移したけど、皆さん勘違いしてません?
青いウーパーと山椒魚
ファンタジー
加藤あいは高校2年生。
最近ネット小説にハマりまくっているごく普通の高校生である。
普通に過ごしていたら異世界転移に巻き込まれた?
しかも弱いからと森に捨てられた。
いやちょっとまてよ?
皆さん勘違いしてません?
これはあいの不思議な日常を書いた物語である。
本編完結しました!
相変わらず話ごちゃごちゃしていると思いますが、楽しんでいただけると嬉しいです!
1話は1000字くらいなのでササッと読めるはず…
後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~
菱沼あゆ
キャラ文芸
突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。
洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。
天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。
洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。
中華後宮ラブコメディ。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
女神に頼まれましたけど
実川えむ
ファンタジー
雷が光る中、催される、卒業パーティー。
その主役の一人である王太子が、肩までのストレートの金髪をかきあげながら、鼻を鳴らして見下ろす。
「リザベーテ、私、オーガスタス・グリフィン・ロウセルは、貴様との婚約を破棄すっ……!?」
ドンガラガッシャーン!
「ひぃぃっ!?」
情けない叫びとともに、婚約破棄劇場は始まった。
※王道の『婚約破棄』モノが書きたかった……
※ざまぁ要素は後日談にする予定……
【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く
ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。
5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。
夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる