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第四章
灯火
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『…ねえお父様、どうして私は…。…いいえ、なんでもありません』
優しかったが少し困ったように眉を下げる父を前にラファエルは言葉を飲み込んだ。その日はミゲルから領地の経営や女性のエスコートの仕方を少し学んでいたように思う。当然ラファエルは乗り気ではなかった。
何故ならラフェエルの心は男性ではなかったから。
物心付いた時には既に違和感を感じていた。自分が好むものは普通の男の子は好まないこと、自分の思考は普通とズレていること、そしてそれは望まれていないことをラファエルは子供の頃から薄々と気付いていた。
それは歳を重ねる毎に顕著になり、決定的だったのはアルフレッドに一目惚れした時だ。
淡い恋をした。今思えば夢のような子供じみた恋だ。ラファエルはその時アルフレッドと結婚がしたいと思った。白くて綺麗な教会で神に祝福されながら真っ白なドレスを着て、まるで御伽噺のような式を挙げたいと思った。
そう思うと同時に自分自身が気持ち悪くて仕方がなかった。
柔らかかった肌は年齢を重ねるごとに固く脂が目立つようになった、骨格が筋張って可愛らしくなくなった、声が低くなった。全てが受け入れられなかった。
憎らしいほど成長していく身体を止めたくて食べるのをやめた。自分から出てくる低い声が聞きたくなくて喋ることをやめた。何もかもが嫌だった。
それで家族を、マリア達を困らせていることなんてわかっていた。けれど人の困惑なんてどうでもいいと思えるほどラファエルは絶望していた。
──私は男じゃない。
どうして言えようか。そんなことを、どうやって伝えろというのだろう。
ラファエルは誰にも打ち明けられなかった。
ただでさえラファエルという存在を持て余している人達にこれ以上悩みの種を増やさせるわけにはいかなかった。どれだけ迷惑を掛けていても、それだけは最後まで伝えることができなかった。
そして生きることを拒絶した自分が目を閉じて、次に目を開けた時はこの姿になっていた。
初めてこの姿を見た時の感動は一生忘れない。
天にも昇る気持ちだった。この姿ならなんでもできると思った、できないことなど、叶わないことなど何もないのだと思った。
それがどうだ。
今アンジェリカは後悔している。
「…ごめん、なさい…っ」
アンジェリカは今かつての父に縋り付いて泣いていた。
流れる涙はもう止まらず、瞬きをする度に雨のように落ちていく。
「…どうしてお前が謝るんだ。謝るのは」
「出来損ないでごめんなさい」
遮るように吐き出した言葉にミゲルの身体が硬直した。
「ちゃんとした息子になれなくて、正しい姿でいられなくてごめんなさい。あんなに心配を掛けたのに、あんなに愛してもらっていたのに、私はなんの期待にも答えられなかった。それなのに、また、また迷惑を掛けて…っ」
これは懺悔だ。
アンジェリカにはわかっている。自分のしたことが間違っていることも、謝るだけでは許されないことをしたこともわかっている。けれどどうしてもそうせずにはいられなかった。
自分が生まれた意味を、アルフレッドを手に入れることで見出そうとした。
自分はアルフレッドと出会うためにラファエルとして生まれ、アルフレッドと結ばれるためにアンジェリカになった。そう思い込むことで自分の行動と存在を肯定していた。けれど違うのだ。
だって神は言っていた「手違い」だと。
手違い、そう言われてしまえば笑えるほど全てが納得できた。
手違いだから自分は正しい性別で生まれることができなくて、手違いだから好きな人とも結ばれない。手違いだから、こんな間違いを犯す。
胸の奥に重たくて暗いどろどろとしたものが広がる。嫌悪感が止まらない。
「……生まれてきて、ごめんなさい」
「違う‼︎」
怒声というにはあまりに辛そうな声がすぐ側で聞こえた。
「それだけは違う」
ミゲルの腕が離れ、互いの表情がわかるようになる。
アンジェリカはこの時初めて父の泣きそうな顔を見た。
「…お前が生まれて来た日、天使が舞い降りたと思った。初めてパパと呼んでくれた日も、つかまり立ちした日も覚えてる。お前が最初に誰の名前を呼ぶかで家族喧嘩にもなった。お前があんまり可愛いから、社交界に出したくないと言ったのは私だ。家族全員愛しているが、その中でもお前は特に可愛かった」
胸からスカーフを抜いたミゲルがアンジェリカの涙を拭う。
「…もう一人のラファエルからお前の話を聞いたとき、すぐには信じられなかった。姿を見るまで半信半疑だった。だけど、会場に現われたお前の笑い方を見てすぐにラファエルだと気付いた」
伏し目がちになって右手の指先で口元を隠しながら穏やかに笑うその仕草は、ミゲルが唯一愛した女性のものだ。家族の中でそれをするのはたった一人。
アンジェリカは母の顔を絵姿でしか見たことがない。ラファエルを産んですぐに儚くなってしまったその人と笑い方が同じだとはじめて聞かされてアンジェリカはまた涙をこぼした。
「ラファエル」
ミゲルが笑う。その笑顔はラファエルが初めて父の誕生日をピアノで祝ったときに見せてくれたものと同じだった。
「生まれて来てくれてありがとう。お前は自慢の子だよ」
あんまり優しく笑うから涙が溢れて仕方がない。
アンジェリカはその場に膝をつき、子供のように声を上げて泣いた。
優しかったが少し困ったように眉を下げる父を前にラファエルは言葉を飲み込んだ。その日はミゲルから領地の経営や女性のエスコートの仕方を少し学んでいたように思う。当然ラファエルは乗り気ではなかった。
何故ならラフェエルの心は男性ではなかったから。
物心付いた時には既に違和感を感じていた。自分が好むものは普通の男の子は好まないこと、自分の思考は普通とズレていること、そしてそれは望まれていないことをラファエルは子供の頃から薄々と気付いていた。
それは歳を重ねる毎に顕著になり、決定的だったのはアルフレッドに一目惚れした時だ。
淡い恋をした。今思えば夢のような子供じみた恋だ。ラファエルはその時アルフレッドと結婚がしたいと思った。白くて綺麗な教会で神に祝福されながら真っ白なドレスを着て、まるで御伽噺のような式を挙げたいと思った。
そう思うと同時に自分自身が気持ち悪くて仕方がなかった。
柔らかかった肌は年齢を重ねるごとに固く脂が目立つようになった、骨格が筋張って可愛らしくなくなった、声が低くなった。全てが受け入れられなかった。
憎らしいほど成長していく身体を止めたくて食べるのをやめた。自分から出てくる低い声が聞きたくなくて喋ることをやめた。何もかもが嫌だった。
それで家族を、マリア達を困らせていることなんてわかっていた。けれど人の困惑なんてどうでもいいと思えるほどラファエルは絶望していた。
──私は男じゃない。
どうして言えようか。そんなことを、どうやって伝えろというのだろう。
ラファエルは誰にも打ち明けられなかった。
ただでさえラファエルという存在を持て余している人達にこれ以上悩みの種を増やさせるわけにはいかなかった。どれだけ迷惑を掛けていても、それだけは最後まで伝えることができなかった。
そして生きることを拒絶した自分が目を閉じて、次に目を開けた時はこの姿になっていた。
初めてこの姿を見た時の感動は一生忘れない。
天にも昇る気持ちだった。この姿ならなんでもできると思った、できないことなど、叶わないことなど何もないのだと思った。
それがどうだ。
今アンジェリカは後悔している。
「…ごめん、なさい…っ」
アンジェリカは今かつての父に縋り付いて泣いていた。
流れる涙はもう止まらず、瞬きをする度に雨のように落ちていく。
「…どうしてお前が謝るんだ。謝るのは」
「出来損ないでごめんなさい」
遮るように吐き出した言葉にミゲルの身体が硬直した。
「ちゃんとした息子になれなくて、正しい姿でいられなくてごめんなさい。あんなに心配を掛けたのに、あんなに愛してもらっていたのに、私はなんの期待にも答えられなかった。それなのに、また、また迷惑を掛けて…っ」
これは懺悔だ。
アンジェリカにはわかっている。自分のしたことが間違っていることも、謝るだけでは許されないことをしたこともわかっている。けれどどうしてもそうせずにはいられなかった。
自分が生まれた意味を、アルフレッドを手に入れることで見出そうとした。
自分はアルフレッドと出会うためにラファエルとして生まれ、アルフレッドと結ばれるためにアンジェリカになった。そう思い込むことで自分の行動と存在を肯定していた。けれど違うのだ。
だって神は言っていた「手違い」だと。
手違い、そう言われてしまえば笑えるほど全てが納得できた。
手違いだから自分は正しい性別で生まれることができなくて、手違いだから好きな人とも結ばれない。手違いだから、こんな間違いを犯す。
胸の奥に重たくて暗いどろどろとしたものが広がる。嫌悪感が止まらない。
「……生まれてきて、ごめんなさい」
「違う‼︎」
怒声というにはあまりに辛そうな声がすぐ側で聞こえた。
「それだけは違う」
ミゲルの腕が離れ、互いの表情がわかるようになる。
アンジェリカはこの時初めて父の泣きそうな顔を見た。
「…お前が生まれて来た日、天使が舞い降りたと思った。初めてパパと呼んでくれた日も、つかまり立ちした日も覚えてる。お前が最初に誰の名前を呼ぶかで家族喧嘩にもなった。お前があんまり可愛いから、社交界に出したくないと言ったのは私だ。家族全員愛しているが、その中でもお前は特に可愛かった」
胸からスカーフを抜いたミゲルがアンジェリカの涙を拭う。
「…もう一人のラファエルからお前の話を聞いたとき、すぐには信じられなかった。姿を見るまで半信半疑だった。だけど、会場に現われたお前の笑い方を見てすぐにラファエルだと気付いた」
伏し目がちになって右手の指先で口元を隠しながら穏やかに笑うその仕草は、ミゲルが唯一愛した女性のものだ。家族の中でそれをするのはたった一人。
アンジェリカは母の顔を絵姿でしか見たことがない。ラファエルを産んですぐに儚くなってしまったその人と笑い方が同じだとはじめて聞かされてアンジェリカはまた涙をこぼした。
「ラファエル」
ミゲルが笑う。その笑顔はラファエルが初めて父の誕生日をピアノで祝ったときに見せてくれたものと同じだった。
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