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【ティタ視点】記憶の断片──『真実に気付いた日』
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──優しさに救われることもあれば、優しさに傷つけられることもある。
本当の孤独とは、優しさを信じられなくなることだ。
「やはりあの時の女はお前か」
その声は唐突に、静かな闇を切り裂くように響いた。私は驚きのあまり息を止め、そのままゆっくりと振り返る。
そこには、薄暗い部屋の中でまるで影のように佇む壮年の男性の姿があった。
──バリガ・ミカンス・マクラクラン。
その顔は、昼間見たときよりずっと険しく、私の背筋をぞくりと震わせるには十分すぎるほどの冷たさを帯びていた。
彼が着ているコートには見覚えがある。微かな光を受けて怪しく輝く、宝石のボタン。その輝きを見た途端、封じ込めていた記憶が、堰を切ったように溢れ出した。
──あの夜。
酒場からの帰り道に気紛れで入った裏路地。ほんの少しのスリルと、風に当たりたいという軽い気持ちで足を踏み入れたその場所で、私は見てはいけないものを見てしまった。
複数の男性たちがひそひそと何かを取引している姿。低く囁き合う声、手から手へと渡される紙袋、大きな革の鞄、そして見知らぬ印章。まるで夢のように、現実味のない光景。
彼らは私に気づくと、まるで蜘蛛の子を散らすように一斉に散り散りになった。私はその時、あまりの恐怖に立ち尽くすことしかできなかった。
その場に残されたのは、黒い無骨な鞄。彼らが慌てて落としていった忘れ物だった。私は震える手でそれを拾い上げる。届け出るつもりだったが、緊張と恐怖でその場をすぐに離れることしか考えられなかった。
無意識のうちに足はアポロ様のサロンへと向かっていた。扉を開けると、いつものように彼は穏やかな笑みを浮かべて私を迎え入れてくれる。
「お、珍しいな、ティタ。そんな無骨なバッグ、お前らしくないぜ!」
彼が鞄に気付いて笑いながら尋ねると、私は混乱したまま「忘れ物みたいです」とだけ答えた。アポロ様は不審そうな表情を浮かべつつも好奇心に負けたのか、勝手に中身を漁り始めた。
台帳を開けた瞬間、彼の顔が驚きに染まったのを覚えている。
「……こいつは……すげぇ!ティタ、お前は最高の女だぜ!」
その時のアポロ様の顔は、見たことのない真剣さと興奮に彩られていた。私は戸惑いながらも彼に尋ねた。
「それ、そんなに重要なものなんですか?」
彼は真剣な目で私を見つめ返し、低く、しかし強い口調で言った。
「ああ、かなりヤバいブツだ……だが切り札にもなる。これは別邸に隠しておく。もし俺に何かあったら、これを持ってすぐに警備隊に駆け込むんだ。いいな、ティタ?」
その言葉に、私は改めて自分が何か途方もない事態に巻き込まれたのだと実感した。
あれから今日まで、私はずっとその記憶を封じ込めていた。だが今、目の前のバリガのコートを見て、その努力は無駄だったのだと思い知らされる。
「……あの時の人は、あなた、なのね」
私の声は小さく震えていた。それでも、自分自身の口からその真実を吐き出さずにはいられなかった。
バリガは静かに微笑んだ。その微笑みは冷酷で、自信に満ちていた。
「お前が余計なものを拾ってしまったせいで、随分と面倒なことになった。だが、これでようやく全てを片付けられる」
彼の低く冷たい声が私の鼓膜を震わせる。体が固まり、逃げようにも足が動かない。
「……邪魔さえしなければ……目の前に現れなければ、見逃してやったものを。アポロはお前のことなど、何とも思っていないというのに」
それが事実かどうかなんて、もう問題じゃなかった。私の中で信じていた何かが、静かに、けれどはっきりと崩れていく。
何とも思われていない。
その言葉は、自分で口にするにはあまりにも心細くて、情けなくて、涙が出そうだった。
私は、期待していたのだろうか。サロンで笑って出迎えてくれたこと。あの夜、抱き締めてくれたこと。私を、誰でもない「ティタ」として見てくれたこと。それらのひとつひとつに、意味があったのだと、思いたかった。
そして気づく。
私が今思い出しているのは──サンゼールの横顔。
『私は、お嬢様の笑顔が好きです。あなたに幸せになっていただけたら……それで十分なのです』
あの時の私は、その言葉の意味も重さも分かっていなかった。ただ自分の想いを拒まれたことだけに腹を立てて、叫んで、傷ついたふりをして、彼の優しさを踏みにじった。
それでも彼は、静かに私の幸せを願っていたのだ。
アポロ様の優しさは、私の寂しさを埋めてくれた。サンゼールの優しさは、私の弱さを抱きしめてくれた。
どちらも本物だった。だからこそ、私は自分の手で、未来を選ばなければならない。
震える手で鞄を抱き直す。帳簿の角が胸にあたる。その冷たさが、不思議と心を落ち着かせた。
私はもう、あの夜の私ではない。
「……来ないで」
私は、過去を振り返るためにここに来たのではない。未来を手に入れるために、ここに立っているのだ。
本当の孤独とは、優しさを信じられなくなることだ。
「やはりあの時の女はお前か」
その声は唐突に、静かな闇を切り裂くように響いた。私は驚きのあまり息を止め、そのままゆっくりと振り返る。
そこには、薄暗い部屋の中でまるで影のように佇む壮年の男性の姿があった。
──バリガ・ミカンス・マクラクラン。
その顔は、昼間見たときよりずっと険しく、私の背筋をぞくりと震わせるには十分すぎるほどの冷たさを帯びていた。
彼が着ているコートには見覚えがある。微かな光を受けて怪しく輝く、宝石のボタン。その輝きを見た途端、封じ込めていた記憶が、堰を切ったように溢れ出した。
──あの夜。
酒場からの帰り道に気紛れで入った裏路地。ほんの少しのスリルと、風に当たりたいという軽い気持ちで足を踏み入れたその場所で、私は見てはいけないものを見てしまった。
複数の男性たちがひそひそと何かを取引している姿。低く囁き合う声、手から手へと渡される紙袋、大きな革の鞄、そして見知らぬ印章。まるで夢のように、現実味のない光景。
彼らは私に気づくと、まるで蜘蛛の子を散らすように一斉に散り散りになった。私はその時、あまりの恐怖に立ち尽くすことしかできなかった。
その場に残されたのは、黒い無骨な鞄。彼らが慌てて落としていった忘れ物だった。私は震える手でそれを拾い上げる。届け出るつもりだったが、緊張と恐怖でその場をすぐに離れることしか考えられなかった。
無意識のうちに足はアポロ様のサロンへと向かっていた。扉を開けると、いつものように彼は穏やかな笑みを浮かべて私を迎え入れてくれる。
「お、珍しいな、ティタ。そんな無骨なバッグ、お前らしくないぜ!」
彼が鞄に気付いて笑いながら尋ねると、私は混乱したまま「忘れ物みたいです」とだけ答えた。アポロ様は不審そうな表情を浮かべつつも好奇心に負けたのか、勝手に中身を漁り始めた。
台帳を開けた瞬間、彼の顔が驚きに染まったのを覚えている。
「……こいつは……すげぇ!ティタ、お前は最高の女だぜ!」
その時のアポロ様の顔は、見たことのない真剣さと興奮に彩られていた。私は戸惑いながらも彼に尋ねた。
「それ、そんなに重要なものなんですか?」
彼は真剣な目で私を見つめ返し、低く、しかし強い口調で言った。
「ああ、かなりヤバいブツだ……だが切り札にもなる。これは別邸に隠しておく。もし俺に何かあったら、これを持ってすぐに警備隊に駆け込むんだ。いいな、ティタ?」
その言葉に、私は改めて自分が何か途方もない事態に巻き込まれたのだと実感した。
あれから今日まで、私はずっとその記憶を封じ込めていた。だが今、目の前のバリガのコートを見て、その努力は無駄だったのだと思い知らされる。
「……あの時の人は、あなた、なのね」
私の声は小さく震えていた。それでも、自分自身の口からその真実を吐き出さずにはいられなかった。
バリガは静かに微笑んだ。その微笑みは冷酷で、自信に満ちていた。
「お前が余計なものを拾ってしまったせいで、随分と面倒なことになった。だが、これでようやく全てを片付けられる」
彼の低く冷たい声が私の鼓膜を震わせる。体が固まり、逃げようにも足が動かない。
「……邪魔さえしなければ……目の前に現れなければ、見逃してやったものを。アポロはお前のことなど、何とも思っていないというのに」
それが事実かどうかなんて、もう問題じゃなかった。私の中で信じていた何かが、静かに、けれどはっきりと崩れていく。
何とも思われていない。
その言葉は、自分で口にするにはあまりにも心細くて、情けなくて、涙が出そうだった。
私は、期待していたのだろうか。サロンで笑って出迎えてくれたこと。あの夜、抱き締めてくれたこと。私を、誰でもない「ティタ」として見てくれたこと。それらのひとつひとつに、意味があったのだと、思いたかった。
そして気づく。
私が今思い出しているのは──サンゼールの横顔。
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あの時の私は、その言葉の意味も重さも分かっていなかった。ただ自分の想いを拒まれたことだけに腹を立てて、叫んで、傷ついたふりをして、彼の優しさを踏みにじった。
それでも彼は、静かに私の幸せを願っていたのだ。
アポロ様の優しさは、私の寂しさを埋めてくれた。サンゼールの優しさは、私の弱さを抱きしめてくれた。
どちらも本物だった。だからこそ、私は自分の手で、未来を選ばなければならない。
震える手で鞄を抱き直す。帳簿の角が胸にあたる。その冷たさが、不思議と心を落ち着かせた。
私はもう、あの夜の私ではない。
「……来ないで」
私は、過去を振り返るためにここに来たのではない。未来を手に入れるために、ここに立っているのだ。
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