不肖ながら、お嬢様は渡しません

松本雀

文字の大きさ
66 / 91

執事の矜持──『光と影の隙間で』

しおりを挟む
──本当の強さとは何か。

それは怒りでも悲しみでもなく、ただ静かに立ち続ける力だと、私は思う。

「お嬢様を離せ!」

サンゼールの声が、まるで刃物のように空気を裂いた。普段の穏やかな彼からは想像できないほど、剥き出しの怒気がこもっている。

私はその勢いに目を見張りながら、彼の腕を掴んだ。制止というより、彼を守るためだった。ここで彼を行かせてはいけないと、直感が告げている。

「サンゼール、今はまだ」

私が静かな声で囁くと、サンゼールは驚いたように私を見つめた。その瞳には焦燥と戸惑いが入り交じっている。その目に、かつて見たことのないような感情が宿っているのを、私ははっきりと感じた。

その間にも、バリガは余裕のある表情を崩さなかった。片手を腰にあてがい、まるで事態を楽しむかのように冷淡な笑みを浮かべている。

「やれやれ、余計な手間が増えたものだ。薬漬けの女一人で事足りるはずが……面倒事は嫌いでね」

バリガがそう言って肩を竦めると、玄関ホールの影に控えていた男たちが一斉に微かな動きを見せた。男たちの視線、姿勢、身のこなし、そのすべてに殺気が滲んでいる。彼らはただの下っ端などではなく、明らかにプロのそれだった。

私の背後でイワンが小さく震え、怯えた声で私に囁く。

「クロード先輩、あいつら……本当にヤバそうですよ……どうすれば……」

その震え声に、私はちらりと振り向き、安心させるようにイワンの肩に手を置いた。

「わかっています、イワン。でも、私たちはここで、執事として守るべきものを守らなければならない」

私の言葉にイワンは少しだけ目を見開き、そして固く頷いた。小さなその背中に、勇気が宿ったことを感じる。

一方でサンゼールはまだ激しい息をしていた。彼の肩が荒く上下し、握りしめた拳が小刻みに震えている。放っておけば今にも飛び出しそうなほどに張り詰めていた。

私は彼の前に立ち塞がるようにして、穏やかな声で話しかける。

「サンゼール。あなたのそんな顔、初めて見ました」

その一言に、サンゼールの瞳が大きく見開かれる。私の言葉が予想外だったのか、彼の唇が小さく震えた。

「以前のあなたなら、こんなときは諦めていたでしょう。少しだけ抵抗して、すぐに運命を静かに受け入れていた。でも今のあなたは違う。戦おうとしている」

私の言葉が、彼の心の深いところに届いたのが分かった。瞳の奥に宿った怒りが、次第に新しい決意の光に変わりつつある。

「それがどんなに尊い変化か、あなた自身がまだ気づいていないのなら──私が証明してあげます。さあ、行きますよ!」

サンゼールは私の言葉に静かに頷いた。その表情にはもう迷いはなく、覚悟が色濃く浮かんでいた。

バリガが鼻で笑う。

「茶番は終わりか? では始めるとしよう」

その声に呼応するように男たちが動き出す。しかし私はそれに動じず、堂々と前に踏み出した。背筋を伸ばし、視線を強く前に据えたままはっきりと告げる。

「いいえ。これから始まるのは、クロード流の──『お掃除』です」

私の宣言に空気が一気に凍りつく。

男たちの動きがわずかに止まり、バリガの目が細められる。

サンゼールが私の隣に並び、イワンもまた勇気を振り絞るように私の後ろに立った。私たち三人の間に確かな繋がりが生まれ、それが新たな決意となって心に強く響いた。

私たちはもう、何も恐れない。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

『白い結婚だったので、勝手に離婚しました。何か問題あります?』

夢窓(ゆめまど)
恋愛
「――離婚届、受理されました。お疲れさまでした」 教会の事務官がそう言ったとき、私は心の底からこう思った。 ああ、これでようやく三年分の無視に終止符を打てるわ。 王命による“形式結婚”。 夫の顔も知らず、手紙もなし、戦地から帰ってきたという噂すらない。 だから、はい、離婚。勝手に。 白い結婚だったので、勝手に離婚しました。 何か問題あります?

侯爵夫人のハズですが、完全に無視されています

猫枕
恋愛
伯爵令嬢のシンディーは学園を卒業と同時にキャッシュ侯爵家に嫁がされた。 しかし婚姻から4年、旦那様に会ったのは一度きり、大きなお屋敷の端っこにある離れに住むように言われ、勝手な外出も禁じられている。 本宅にはシンディーの偽物が奥様と呼ばれて暮らしているらしい。 盛大な結婚式が行われたというがシンディーは出席していないし、今年3才になる息子がいるというが、もちろん産んだ覚えもない。

《完結》「パパはいますか?」ある日、夫に似た子供が訪ねて来た。

ヴァンドール
恋愛
嫁いですぐに夫は戦地に赴いた。すると突然一人の男の子が訪ねて来た「パパはいますか?」 その子供の顔は戦地に行った夫にそっくりだった。

まだ20歳の未亡人なので、この後は好きに生きてもいいですか?

せいめ
恋愛
 政略結婚で愛することもなかった旦那様が魔物討伐中の事故で亡くなったのが1年前。  喪が明け、子供がいない私はこの家を出て行くことに決めました。  そんな時でした。高額報酬の良い仕事があると声を掛けて頂いたのです。  その仕事内容とは高貴な身分の方の閨指導のようでした。非常に悩みましたが、家を出るのにお金が必要な私は、その仕事を受けることに決めたのです。  閨指導って、そんなに何度も会う必要ないですよね?しかも、指導が必要には見えませんでしたが…。  でも、高額な報酬なので文句は言いませんわ。  家を出る資金を得た私は、今度こそ自由に好きなことをして生きていきたいと考えて旅立つことに決めました。  その後、新しい生活を楽しんでいる私の所に現れたのは……。    まずは亡くなったはずの旦那様との話から。      ご都合主義です。  設定は緩いです。  誤字脱字申し訳ありません。  主人公の名前を途中から間違えていました。  アメリアです。すみません。    

貴妃エレーナ

無味無臭(不定期更新)
恋愛
「君は、私のことを恨んでいるか?」 後宮で暮らして数十年の月日が流れたある日のこと。国王ローレンスから突然そう聞かれた貴妃エレーナは戸惑ったように答えた。 「急に、どうされたのですか?」 「…分かるだろう、はぐらかさないでくれ。」 「恨んでなどいませんよ。あれは遠い昔のことですから。」 そう言われて、私は今まで蓋をしていた記憶を辿った。 どうやら彼は、若かりし頃に私とあの人の仲を引き裂いてしまったことを今も悔やんでいるらしい。 けれど、もう安心してほしい。 私は既に、今世ではあの人と縁がなかったんだと諦めている。 だから… 「陛下…!大変です、内乱が…」 え…? ーーーーーーーーーーーーー ここは、どこ? さっきまで内乱が… 「エレーナ?」 陛下…? でも若いわ。 バッと自分の顔を触る。 するとそこにはハリもあってモチモチとした、まるで若い頃の私の肌があった。 懐かしい空間と若い肌…まさか私、昔の時代に戻ったの?!

ブスすぎて嫁の貰い手がないから閨勤侍女になれと言われたので縁を切ります、完全に!完全縁切りの先にあったのは孤独ではなくて…

ハートリオ
恋愛
ルフスは結婚が決まった従姉の閨勤侍女になるよう父親に命令されたのをきっかけに父に無視され冷遇されて来た日々を終わらせようとブラコン父と完全に縁を切る決意する。 一方、従姉の結婚相手はアルゲンテウス辺境伯とのことだが、実は手違いがあって辺境伯が結婚したいのはルフス。 そんなこんなの異世界ファンタジーラブです。 読んでいただけると嬉しいです。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

処理中です...