不肖ながら、お嬢様は渡しません

松本雀

文字の大きさ
73 / 91

執事の選択──『忠誠と罰が交差する午後』

しおりを挟む
──運命とは選ぶものではなく、選んだ後に背負うものだ。

私は今、その重みを確かに感じている。

庭園は静まり返っていた。咲き誇る花々が陽光に映え、風が時折そよぎ、その穏やかな美しさがかえってこの場の張り詰めた空気を際立たせている。

沈黙を破ったのはアポロだった。彼は軽く顎を上げて、私を鋭く見つめた。

「なるほどな。だがクロード、その条件じゃ俺に何の得もないぜ?」

声色は飄々としているが、その瞳は抜け目なく私の出方を窺っている。続けてアポロは、わざと口元を歪めるように笑いながら言った。

「それにお前が負けた時のペナルティがねえ。フェアじゃないよな?」

私はそちらに首だけを向け、わずかに微笑んだ。

「ごもっともです、アポロ様。それでは――私が負けた暁には、あなたのもとで働かせていただきましょう」

その瞬間、彼の目の色が変わった。からかいの光が消え、代わりに鋭い眼差しがこちらを値踏みするように光る。

「ふうん、魅力的だな……けど、それだけじゃ少し物足りねぇ。もう一声欲しいなあ」

そう言ってアポロは髪を指先でかき上げ、わざとらしくため息を吐く。私は静かに頷いた後、にこりと笑みを浮かべて――口を開いた。

「では、ウィルもお付けします」

その言葉に、呑気に庭の隅で状況を見守っていたウィルが飛び上がり、慌てふためいて私の元へと駆け寄った。

「はっ!?ちょっと待って!私を勝手に巻き込まないでください、クロード!!」

私は彼の顔を見つめながら、わざとらしく困ったように眉を寄せる。それから、言葉を噛みしめるように、柔らかく告げた。

「ウィル。私たちは、友人でしょう?」

「いや、それは、確かに……でも!」

「一蓮托生です。私ひとりでは、心細いので。二人で一緒に働けば、どんな環境でもきっと楽しいですよ」

私はそう言いながら、そっと彼の手を取った。
ウィルは目を見開き、何か言いかけたが、最終的には肩を落として額に手を当てた。

「ああああ……もう……!どうしてあなたはいつもそうなんですかっ!」

その反応を見て、私は心の中で少しだけ笑う。
ウィルの怒りには、呆れと友情が混じっていた。その絶妙な匙加減は、私にとって心地よいものだった。

「よし!」

アポロが声を張り上げる。
彼は指を鳴らし、くくっと楽しげに笑った。

「乗った!いいぜ、クロード。お前とウィル、まとめて面倒見てやるよ」

その様子は、まるでお気に入りの馬が競りに出てきた商人のようだった。私は一礼し、再びサンゼールの方へと身を向ける。

私の望みは単純で、しかし極めて私的だ。
自ら定めた『かたち』を貫けるか否か――ただそれだけだった。

沈黙が庭を支配している。

風は止まり、鳥の囀りもどこか遠く、私たちの間にはただ、決断を待つ余白だけがあった。

私は真正面から彼を見ていた。
逃げ場のない視線というものがあるとすれば、今この瞬間の私の眼差しがそうだったに違いない。

私の言葉が残酷だと、誰かが言うかもしれない。けれど、今ここで必要なのは慈悲ではなく選択だ。彼に与えたのは、絶望ではない。未来の可能性である。――たとえそれが苦痛の形をしていたとしても。

サンゼールの睫毛がわずかに震えた。
その影の奥にある、苦悩と自制と、拭いきれぬ衝動が交錯する瞳を、私は見逃さなかった。

「……あなたは、冷たい方だ」

ようやく搾り出された声は、呟きにも似たものだった。
非難とも諦念ともつかない。けれど、彼がまだ戦っていることだけは、確かに伝わってきた。

「よく言われます」
 
私は微笑を浮かべた。
それは武器にも盾にもならない、ただの所作だったが、それで十分だった。

彼の喉が小さく鳴り、唇が何かを言いかけて止まる。

「……伯爵令嬢と、婚姻の誓約を賭けた決闘など……私の立場では、本来許されぬ望みです」

かすかに下を向いたまま、それでも彼の言葉は続いた。

「けれど、彼女を諦めてなお、私が胸を張って生きていけるとは、どうしても思えないのです。……もう、見ていられない」

彼の声が震えた。怒りでも、悲しみでもない。
ただ、ひとりの男の誇りが揺れていた。
私にとって、それは何よりも尊い徴だった。

「決闘を受けましょう。……勝てば、彼女の側に立つ権利をください」

「当然です。これは、そのための舞台ですから」

私は軽く襟元を整え、背筋を伸ばした。
彼の返答に驚きはなかった。ただ、すべての準備が整ったことを静かに受け止めた。

「……私は、あなたのように、すべてを投げ打てるほど強くはありません」

彼の言葉に、私は目を伏せた。

「それは違いますよ、サンゼール。あなたは、すべてを抱えたまま、前に進もうとしている。……それができる者こそ、本当の意味で強いのです」

彼が顔を上げた瞬間、風がふたたび庭を撫でる。その音が、始まりの合図に思えた。

そして、私たちは互いに一歩を踏み出した。
たった一歩で、引き返せない距離に至る世界もあるのだと――そのときの私たちは、きっと知っていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

『白い結婚だったので、勝手に離婚しました。何か問題あります?』

夢窓(ゆめまど)
恋愛
「――離婚届、受理されました。お疲れさまでした」 教会の事務官がそう言ったとき、私は心の底からこう思った。 ああ、これでようやく三年分の無視に終止符を打てるわ。 王命による“形式結婚”。 夫の顔も知らず、手紙もなし、戦地から帰ってきたという噂すらない。 だから、はい、離婚。勝手に。 白い結婚だったので、勝手に離婚しました。 何か問題あります?

侯爵夫人のハズですが、完全に無視されています

猫枕
恋愛
伯爵令嬢のシンディーは学園を卒業と同時にキャッシュ侯爵家に嫁がされた。 しかし婚姻から4年、旦那様に会ったのは一度きり、大きなお屋敷の端っこにある離れに住むように言われ、勝手な外出も禁じられている。 本宅にはシンディーの偽物が奥様と呼ばれて暮らしているらしい。 盛大な結婚式が行われたというがシンディーは出席していないし、今年3才になる息子がいるというが、もちろん産んだ覚えもない。

《完結》「パパはいますか?」ある日、夫に似た子供が訪ねて来た。

ヴァンドール
恋愛
嫁いですぐに夫は戦地に赴いた。すると突然一人の男の子が訪ねて来た「パパはいますか?」 その子供の顔は戦地に行った夫にそっくりだった。

まだ20歳の未亡人なので、この後は好きに生きてもいいですか?

せいめ
恋愛
 政略結婚で愛することもなかった旦那様が魔物討伐中の事故で亡くなったのが1年前。  喪が明け、子供がいない私はこの家を出て行くことに決めました。  そんな時でした。高額報酬の良い仕事があると声を掛けて頂いたのです。  その仕事内容とは高貴な身分の方の閨指導のようでした。非常に悩みましたが、家を出るのにお金が必要な私は、その仕事を受けることに決めたのです。  閨指導って、そんなに何度も会う必要ないですよね?しかも、指導が必要には見えませんでしたが…。  でも、高額な報酬なので文句は言いませんわ。  家を出る資金を得た私は、今度こそ自由に好きなことをして生きていきたいと考えて旅立つことに決めました。  その後、新しい生活を楽しんでいる私の所に現れたのは……。    まずは亡くなったはずの旦那様との話から。      ご都合主義です。  設定は緩いです。  誤字脱字申し訳ありません。  主人公の名前を途中から間違えていました。  アメリアです。すみません。    

貴妃エレーナ

無味無臭(不定期更新)
恋愛
「君は、私のことを恨んでいるか?」 後宮で暮らして数十年の月日が流れたある日のこと。国王ローレンスから突然そう聞かれた貴妃エレーナは戸惑ったように答えた。 「急に、どうされたのですか?」 「…分かるだろう、はぐらかさないでくれ。」 「恨んでなどいませんよ。あれは遠い昔のことですから。」 そう言われて、私は今まで蓋をしていた記憶を辿った。 どうやら彼は、若かりし頃に私とあの人の仲を引き裂いてしまったことを今も悔やんでいるらしい。 けれど、もう安心してほしい。 私は既に、今世ではあの人と縁がなかったんだと諦めている。 だから… 「陛下…!大変です、内乱が…」 え…? ーーーーーーーーーーーーー ここは、どこ? さっきまで内乱が… 「エレーナ?」 陛下…? でも若いわ。 バッと自分の顔を触る。 するとそこにはハリもあってモチモチとした、まるで若い頃の私の肌があった。 懐かしい空間と若い肌…まさか私、昔の時代に戻ったの?!

ブスすぎて嫁の貰い手がないから閨勤侍女になれと言われたので縁を切ります、完全に!完全縁切りの先にあったのは孤独ではなくて…

ハートリオ
恋愛
ルフスは結婚が決まった従姉の閨勤侍女になるよう父親に命令されたのをきっかけに父に無視され冷遇されて来た日々を終わらせようとブラコン父と完全に縁を切る決意する。 一方、従姉の結婚相手はアルゲンテウス辺境伯とのことだが、実は手違いがあって辺境伯が結婚したいのはルフス。 そんなこんなの異世界ファンタジーラブです。 読んでいただけると嬉しいです。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

処理中です...