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§ 嵐の前のひと騒ぎ。
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田中先輩から持ちかけられた、あの異動話。時期が微妙に合致しないだろうか。もしかしたらこれは、佳恵の思う個人的な興味ではなく、仕事上の興味なのかも知れない。だが、たまたまエレベーターで挨拶をしただけでは、佳恵に私のことを尋ねる理由も無く、その後、少し情報を得たからといって、引き抜きにまで発展するとは考え難い。
だが、だからといって、いまそれを佳恵に話すのは少々危険。行動力のある佳恵のことだ。もしこの疑いを相談すれば、ただごとでは済まなくなる。
それにしても、やはり気になるのは、あの目。私に向けられた視線は、なんだか意味有り気だった気もする。
「そうなんだ……。それで、その、小林さんってどんな人なの?」
「なによ? 興味湧いた?」
「いや、ぜんぜん。ただ……玲子も寝たことだし、たまには他人の話も酒の肴にちょうどいいかな? ってね」
あの鋭い目は危険。まさかとは思うが、相手を知っていて悪いことはない。
「そうねえ、あんたは食べ物と仕事ばっかりだもん。たまにはいいわね、そういうのも」
「でしょ?」
「小林さんねぇ……、司叔父の学生時代からの親友って話だけど、私はウチの会社に入ってからしか知らないし、たまに挨拶程度に話すだけだからさ、実際はどんな人なのか、よく知らないのよ。でも、これは司叔父から聞いた話なんだけど……」
話し始めたその内容は、佳恵が叔父の司から聞いた話と彼女の憶測でしかなく、どうということはない。だが、その話とともに突如始まったまぶたの痙攣が、何か良からぬことの前触れのように思えてならない。
「それって、婚約してたってこと?」
「うーん、そこまではわからないわ。ただ、三年くらい前だったかな? 結婚を約束したんだかしてないんだかの恋人がいたらしいんだけど、突然、消えちゃったんだって」
「消えた……って? 人間ひとりそう簡単に消えたりできないと思うけど?」
「まあ、つまりは逃げられちゃったってことなのかもね。それ以上は司叔父もよくわからないのか、言わないだけなのかわからないけど……」
いくら超優良物件でもあの目つきだ。絶対に『逃げられた』で、正解だろう。
「まあね、親友のプライベートだもんね。いくら姪が相手だからってそうそうなんでも話していいわけじゃないし」
「うん。だから、私もそれ以上は訊かなかったんだけど。でも、それから小林さん、変わったんだって」
「変わった?」
「うん。笑わなくなったんだって。きっと、よほどショックだったのよね。その恋人が突然消えたのが……」
「へぇ……」
「あ、でも、仕事に関して鬼なのは、昔かららしいわ。開発の若い男の子たちもかなり怖がってて、ちょっとおもしろいわよ」
「それ、噂になってるわ。女子力勝負、優良物件とあれば見境無しのウチの女の子たちも、小林さんだけには怖くて近寄れないって話」
「あっはは! バカねえ。そもそも、相手にされないでしょうに」
突然ピロピロと携帯電話のアラートが鳴り響く。酔い潰れているはずの玲子がムクッと起き上がり「ああっ!」と、叫び声をあげた。
「なによ? どうしたの?」
クッションの傍に投げ出したままのトートバッグから携帯電話を取り出し操作を始めた玲子に、佳恵が訝しげに首を傾げて近づき、背後から手の中のそれを覗き込む。
「ごめんねぇ、フランソワーズ。あなたのこと、忘れてたわけじゃないのよ?」
携帯電話に向けて発する玲子の甘い声に、佳恵はブハッと噴きだし、私は口に運びかけたショットグラスを落としそうになった。
「あんた、ばっかじゃない? こんな出目金……に、フランソワーズ……なんて、名前つけてるの?」
「なによ? 私の勝手でしょ?」
「いや、まあ、そうだけどさぁ。ククク」
肩を震わせ涙目で笑う佳恵に、ムッと膨れた玲子が言い返す。
「じゃあ、佳恵のは? このゲーム、あんたもやってたよね? あたしのフランソワーズをバカにするってことは、あんたの出目金はさぞかし高尚な名前なのよね?」
「見たいの? あんたとは全然レベル違うわよ?」
佳恵が携帯電話を玲子に見せると、今度は玲子が噴きだした。
「うわぁ、出目太郎って……なにこの名前! だっさあい!」
ふたりに背を向けて、必死で笑いを噛み殺す私の手に握られたショットグラスが震える。せっかくの酒が零れる零れる。
この酔っ払い女たちは……おもしろ過ぎ。
だが、だからといって、いまそれを佳恵に話すのは少々危険。行動力のある佳恵のことだ。もしこの疑いを相談すれば、ただごとでは済まなくなる。
それにしても、やはり気になるのは、あの目。私に向けられた視線は、なんだか意味有り気だった気もする。
「そうなんだ……。それで、その、小林さんってどんな人なの?」
「なによ? 興味湧いた?」
「いや、ぜんぜん。ただ……玲子も寝たことだし、たまには他人の話も酒の肴にちょうどいいかな? ってね」
あの鋭い目は危険。まさかとは思うが、相手を知っていて悪いことはない。
「そうねえ、あんたは食べ物と仕事ばっかりだもん。たまにはいいわね、そういうのも」
「でしょ?」
「小林さんねぇ……、司叔父の学生時代からの親友って話だけど、私はウチの会社に入ってからしか知らないし、たまに挨拶程度に話すだけだからさ、実際はどんな人なのか、よく知らないのよ。でも、これは司叔父から聞いた話なんだけど……」
話し始めたその内容は、佳恵が叔父の司から聞いた話と彼女の憶測でしかなく、どうということはない。だが、その話とともに突如始まったまぶたの痙攣が、何か良からぬことの前触れのように思えてならない。
「それって、婚約してたってこと?」
「うーん、そこまではわからないわ。ただ、三年くらい前だったかな? 結婚を約束したんだかしてないんだかの恋人がいたらしいんだけど、突然、消えちゃったんだって」
「消えた……って? 人間ひとりそう簡単に消えたりできないと思うけど?」
「まあ、つまりは逃げられちゃったってことなのかもね。それ以上は司叔父もよくわからないのか、言わないだけなのかわからないけど……」
いくら超優良物件でもあの目つきだ。絶対に『逃げられた』で、正解だろう。
「まあね、親友のプライベートだもんね。いくら姪が相手だからってそうそうなんでも話していいわけじゃないし」
「うん。だから、私もそれ以上は訊かなかったんだけど。でも、それから小林さん、変わったんだって」
「変わった?」
「うん。笑わなくなったんだって。きっと、よほどショックだったのよね。その恋人が突然消えたのが……」
「へぇ……」
「あ、でも、仕事に関して鬼なのは、昔かららしいわ。開発の若い男の子たちもかなり怖がってて、ちょっとおもしろいわよ」
「それ、噂になってるわ。女子力勝負、優良物件とあれば見境無しのウチの女の子たちも、小林さんだけには怖くて近寄れないって話」
「あっはは! バカねえ。そもそも、相手にされないでしょうに」
突然ピロピロと携帯電話のアラートが鳴り響く。酔い潰れているはずの玲子がムクッと起き上がり「ああっ!」と、叫び声をあげた。
「なによ? どうしたの?」
クッションの傍に投げ出したままのトートバッグから携帯電話を取り出し操作を始めた玲子に、佳恵が訝しげに首を傾げて近づき、背後から手の中のそれを覗き込む。
「ごめんねぇ、フランソワーズ。あなたのこと、忘れてたわけじゃないのよ?」
携帯電話に向けて発する玲子の甘い声に、佳恵はブハッと噴きだし、私は口に運びかけたショットグラスを落としそうになった。
「あんた、ばっかじゃない? こんな出目金……に、フランソワーズ……なんて、名前つけてるの?」
「なによ? 私の勝手でしょ?」
「いや、まあ、そうだけどさぁ。ククク」
肩を震わせ涙目で笑う佳恵に、ムッと膨れた玲子が言い返す。
「じゃあ、佳恵のは? このゲーム、あんたもやってたよね? あたしのフランソワーズをバカにするってことは、あんたの出目金はさぞかし高尚な名前なのよね?」
「見たいの? あんたとは全然レベル違うわよ?」
佳恵が携帯電話を玲子に見せると、今度は玲子が噴きだした。
「うわぁ、出目太郎って……なにこの名前! だっさあい!」
ふたりに背を向けて、必死で笑いを噛み殺す私の手に握られたショットグラスが震える。せっかくの酒が零れる零れる。
この酔っ払い女たちは……おもしろ過ぎ。
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