56 / 90
§ 墨に近づけば黒くなる。
07
しおりを挟む
さてさて、誰かさんのおかげですっかりと寝不足の朝。一日中寝て過ごしたい気分ではあるが、佳恵襲来予告を無視はできず。重い身体を引きずり身支度を済ませ、幸せそうに熟睡している尊をたたき起こした。
尊にもしっかりと手伝わせ、念入りに部屋を掃除したあと、二人してシャワーを浴び、首はおろか、頭の先からつま先まで全身をくまなく清めて、遅めの朝食をとり、佳恵を待つ。
すべてが一段落したところで、ラグの上で後ろ手をつき、長い足を投げだした尊は、普段よりきれいに片付けられているガランとした部屋を物珍しそうに見渡している。
キッチンで直にやって来る佳恵の好きなコーヒーとクッキーの準備を終えた私は、ふたり分のほうじ茶を淹れた急須と湯飲みを乗せた盆をテーブルに置き、向かい合わせに座った。
「なあ、おまえ、いつ引っ越してくる?」
「なに? 突然……」
「だって、もったいないだろう? 家賃」
「いや、でも。そんなこと突然言われたって……」
「突然じゃないだろう? どうせ遅かれ早かれ一緒に暮らすんだ。無駄な家賃を考えたら、早いほうがいいに決まってるし。そうだ。おまえの家にも、挨拶に行かないとな」
「あ、挨拶って! なんでそんな話になるのよ?」
「なんでって、ただでさえ順番が逆になってるんだぞ? せめてこっちで籍を入れる前に挨拶に行きたいと思うのは、当たり前のことだろうが」
反論が、できない。
尊の言葉は至極当然のこと。私たちは、日本での届けを怠っているだけで、正式な夫婦なのだから。
さっさと届けを出さなければいけないのも、一緒に暮らすのも当たり前。
そう。すべて、なにも間違っていない。
間違ってはいないのだが、いきなり面と向かって事実を突きつけられると、頭では理解できるのだが、なんだか気持ちが置き去りにされているようで、釈然としない。
「その話さ……、少し、考えさせてくれる?」
「考える? なにをいまさら」
「うん。いまさらはわかってるんだけど」
「俺と暮らすのが嫌か? やっぱり、離婚したい?」
その言葉にハッとして、いつの間にやら俯いていた顔を上げると、寂しそうにうっすらと笑う尊。
うわ、なんか、凄い罪悪感。
あのとき、不用意に放った『離婚しましょう』の言葉は、尊を傷つけていたのだ。
なんて残酷な言葉を、投げてしまったのか。
「……ごめんなさい」
「なにを謝ってるの? やっぱり……」
そうだ。私たちは、お互いに知る努力をしようと決めたのだ。だから、思うことはきちんと、言葉にしなければ。
「待って、違う! もう離婚したいなんて思ってない。ううん、あのときだって混乱してつい口から出ちゃっただけで、本気で尊と別れたいなんて思ってたわけじゃないよ。ただ、突然状況が変わっちゃって……、頭が追いついていかないっていうか……」
もう、泣きそうだ。
「本当にそれだけ? 本当に別れたいと思ってない?」
「思ってないってば。だから、離婚しようだなんて言って、ごめんなさい」
もうしわけなくて、語尾が小さくなっていく。
上目遣いにチラリと見上げたその瞬間、尊の顔に浮かぶ笑みが黒いのに気がついた。
やられた。言質を取られた。まったく、油断も隙もあったもんじゃない、と、思いながら改めて顔を上げるとそこには、優しい笑顔がある。裏でなにを考えているのかは別だが。
「わかった。待つよ。但し、あまり長くは待たせるなよ」
これまでの経験によると、尊は有言実行。性急で、すぐに暴走する。だから、念のため「明日までとか言わないでよね」と、釘を刺しておく。
その言葉を口にしたとたん、苦虫を噛み潰したような表情を見せた尊に、やはりそのつもりであったか、危ないところだった、と、胸をなで下ろした。
尊にもしっかりと手伝わせ、念入りに部屋を掃除したあと、二人してシャワーを浴び、首はおろか、頭の先からつま先まで全身をくまなく清めて、遅めの朝食をとり、佳恵を待つ。
すべてが一段落したところで、ラグの上で後ろ手をつき、長い足を投げだした尊は、普段よりきれいに片付けられているガランとした部屋を物珍しそうに見渡している。
キッチンで直にやって来る佳恵の好きなコーヒーとクッキーの準備を終えた私は、ふたり分のほうじ茶を淹れた急須と湯飲みを乗せた盆をテーブルに置き、向かい合わせに座った。
「なあ、おまえ、いつ引っ越してくる?」
「なに? 突然……」
「だって、もったいないだろう? 家賃」
「いや、でも。そんなこと突然言われたって……」
「突然じゃないだろう? どうせ遅かれ早かれ一緒に暮らすんだ。無駄な家賃を考えたら、早いほうがいいに決まってるし。そうだ。おまえの家にも、挨拶に行かないとな」
「あ、挨拶って! なんでそんな話になるのよ?」
「なんでって、ただでさえ順番が逆になってるんだぞ? せめてこっちで籍を入れる前に挨拶に行きたいと思うのは、当たり前のことだろうが」
反論が、できない。
尊の言葉は至極当然のこと。私たちは、日本での届けを怠っているだけで、正式な夫婦なのだから。
さっさと届けを出さなければいけないのも、一緒に暮らすのも当たり前。
そう。すべて、なにも間違っていない。
間違ってはいないのだが、いきなり面と向かって事実を突きつけられると、頭では理解できるのだが、なんだか気持ちが置き去りにされているようで、釈然としない。
「その話さ……、少し、考えさせてくれる?」
「考える? なにをいまさら」
「うん。いまさらはわかってるんだけど」
「俺と暮らすのが嫌か? やっぱり、離婚したい?」
その言葉にハッとして、いつの間にやら俯いていた顔を上げると、寂しそうにうっすらと笑う尊。
うわ、なんか、凄い罪悪感。
あのとき、不用意に放った『離婚しましょう』の言葉は、尊を傷つけていたのだ。
なんて残酷な言葉を、投げてしまったのか。
「……ごめんなさい」
「なにを謝ってるの? やっぱり……」
そうだ。私たちは、お互いに知る努力をしようと決めたのだ。だから、思うことはきちんと、言葉にしなければ。
「待って、違う! もう離婚したいなんて思ってない。ううん、あのときだって混乱してつい口から出ちゃっただけで、本気で尊と別れたいなんて思ってたわけじゃないよ。ただ、突然状況が変わっちゃって……、頭が追いついていかないっていうか……」
もう、泣きそうだ。
「本当にそれだけ? 本当に別れたいと思ってない?」
「思ってないってば。だから、離婚しようだなんて言って、ごめんなさい」
もうしわけなくて、語尾が小さくなっていく。
上目遣いにチラリと見上げたその瞬間、尊の顔に浮かぶ笑みが黒いのに気がついた。
やられた。言質を取られた。まったく、油断も隙もあったもんじゃない、と、思いながら改めて顔を上げるとそこには、優しい笑顔がある。裏でなにを考えているのかは別だが。
「わかった。待つよ。但し、あまり長くは待たせるなよ」
これまでの経験によると、尊は有言実行。性急で、すぐに暴走する。だから、念のため「明日までとか言わないでよね」と、釘を刺しておく。
その言葉を口にしたとたん、苦虫を噛み潰したような表情を見せた尊に、やはりそのつもりであったか、危ないところだった、と、胸をなで下ろした。
0
あなたにおすすめの小説
行き遅れのお節介令嬢、氷の公爵様と結婚したら三人娘の母になりました
鳥柄ささみ
恋愛
お節介焼きで困っている人を放っておけないシアは、数多のご令嬢達から人気の令嬢だ。毎日ファンレターが届き、社交界に出れば令嬢に取り囲まれるほどである。
けれど、それに反比例するように男性からの人気はなく、二十七だというのに嫁の貰い手もないため、毎日母から小言をもらっていた。
そんなある日のこと、突然公爵家から縁談の話が。
シアは公爵家がなぜ自分に縁談など持ち掛けるのかと訝しく思いつつ話を受けると、なんと公爵の後妻として三人の娘の母代わりになれと言われる。
困惑するも、自分へ縁談を持ちかけた理由を聞いて、お節介なシアは嫁ぐこと決めたのだった。
夫になるレオナルドはイケメンなのに無表情で高圧的。三人の娘も二女のアンナを除いて長女のセレナも三女のフィオナもとても反抗的。
そんな中でもお節介パワーを発揮して、前向きに奮闘するシアの物語。
※他投稿サイトにも掲載中
半年間、俺の妻になれ〜幼馴染CEOのありえない求婚から始まる仮初の溺愛新婚生活〜 崖っぷち元社畜、会社が倒産したら玉の輿に乗りました!?
とろみ
恋愛
出勤したら会社が無くなっていた。
高瀬由衣(たかせゆい)二十七歳。金ナシ、職ナシ、彼氏ナシ。ついでに結婚願望も丸でナシ。
明日までに家賃を用意できなければ更に家も無くなってしまう。でも絶対田舎の実家には帰りたくない!!
そんな崖っぷちの由衣に救いの手を差し伸べたのは、幼なじみで大企業CEOの宮坂直人(みやさかなおと)。
「なぁ、俺と結婚しないか?」
直人は縁談よけのため、由衣に仮初の花嫁役を打診する。その代わりその間の生活費は全て直人が持つという。
便利な仮初の妻が欲しい直人と、金は無いけど東京に居続けたい由衣。
利害の一致から始まった愛のない結婚生活のはずが、気付けばいつの間にか世話焼きで独占欲強めな幼なじみCEOに囲い込まれていて――。
【完結】育てた後輩を送り出したらハイスペになって戻ってきました
藤浪保
恋愛
大手IT会社に勤める早苗は会社の歓迎会でかつての後輩の桜木と再会した。酔っ払った桜木を家に送った早苗は押し倒され、キスに翻弄されてそのまま関係を持ってしまう。
次の朝目覚めた早苗は前夜の記憶をなくし、関係を持った事しか覚えていなかった。
商人の娘でしかない私が、騎士様のそばにいる方法
ナナカ
恋愛
ねぇ、ジョシュア様。
妹の役目を続けていれば、あなたのそばにいてもいいですか?
プラチナブロンドに甘い容姿の騎士ジョシュア様は貧乏貴族出身。直接の血の繋がりはないけれど親類と言えなくもないから、商人の父は張り切って援助をしている。
そんな付き合いが十年以上続いていて、私たちは一緒にドレスを見に行ったりもする。でもジョシュア様にとっては私は今も小さな子供で、妹様たちの代わりでしかないらしい。……私はもう二十歳で、行き遅れの年齢になっているのに。
※他所で連載した「あなたとレースと花嫁衣装」を一部改稿したものです
運命には間に合いますか?
入海月子
恋愛
スペイン建築が大好きな設計士
大橋優那(おおはし ゆな) 28歳
×
せっかちな空間デザイナー
守谷翔真(もりや しょうま) 33歳
優那はスペイン建築を学ぶという夢が実現するというときに、空間デザイナーの翔真と出会った。
せっかちな彼は出会って二日目で優那を口説いてくる。
翔真に惹かれながらも、スペインに行くことが決まっている優那はその気持ちに応えられないときっぱり告げた。
それでも、翔真はあきらめてくれない。
毎日のように熱く口説かれて、優那は――
【完結】いくら溺愛されても、顔がいいから結婚したいと言う男は信用できません!
大森 樹
恋愛
天使の生まれ変わりと言われるほど可愛い子爵令嬢のアイラは、ある日突然騎士のオスカーに求婚される。
なぜアイラに求婚してくれたのか尋ねると「それはもちろん、君の顔がいいからだ!」と言われてしまった。
顔で女を選ぶ男が一番嫌いなアイラは、こっ酷くオスカーを振るがそれでもオスカーは諦める様子はなく毎日アイラに熱烈なラブコールを送るのだった。
それに加えて、美形で紳士な公爵令息ファビアンもアイラが好きなようで!?
しかし、アイラには結婚よりも叶えたい夢があった。
アイラはどちらと恋をする? もしくは恋は諦めて、夢を選ぶのか……最後までお楽しみください。
俺を信じろ〜財閥俺様御曹司とのニューヨークでの熱い夜
ラヴ KAZU
恋愛
二年間付き合った恋人に振られた亜紀は傷心旅行でニューヨークへ旅立つ。
そこで東條ホールディングス社長東條理樹にはじめてを捧げてしまう。結婚を約束するも日本に戻ると連絡を貰えず、会社へ乗り込むも、
理樹は亜紀の父親の会社を倒産に追い込んだ東條財閥東條理三郎の息子だった。
しかも理樹には婚約者がいたのである。
全てを捧げた相手の真実を知り翻弄される亜紀。
二人は結婚出来るのであろうか。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる