それは、ホントに不可抗力で。

樹沙都

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§ 墨に近づけば黒くなる。

07

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 さてさて、誰かさんのおかげですっかりと寝不足の朝。一日中寝て過ごしたい気分ではあるが、佳恵襲来予告を無視はできず。重い身体を引きずり身支度を済ませ、幸せそうに熟睡している尊をたたき起こした。

 尊にもしっかりと手伝わせ、念入りに部屋を掃除したあと、二人してシャワーを浴び、首はおろか、頭の先からつま先まで全身をくまなく清めて、遅めの朝食をとり、佳恵を待つ。

 すべてが一段落したところで、ラグの上で後ろ手をつき、長い足を投げだした尊は、普段よりきれいに片付けられているガランとした部屋を物珍しそうに見渡している。

 キッチンで直にやって来る佳恵の好きなコーヒーとクッキーの準備を終えた私は、ふたり分のほうじ茶を淹れた急須と湯飲みを乗せた盆をテーブルに置き、向かい合わせに座った。

「なあ、おまえ、いつ引っ越してくる?」
「なに? 突然……」
「だって、もったいないだろう? 家賃」
「いや、でも。そんなこと突然言われたって……」
「突然じゃないだろう? どうせ遅かれ早かれ一緒に暮らすんだ。無駄な家賃を考えたら、早いほうがいいに決まってるし。そうだ。おまえの家にも、挨拶に行かないとな」
「あ、挨拶って! なんでそんな話になるのよ?」
「なんでって、ただでさえ順番が逆になってるんだぞ? せめてこっちで籍を入れる前に挨拶に行きたいと思うのは、当たり前のことだろうが」

 反論が、できない。

 尊の言葉は至極当然のこと。私たちは、日本での届けを怠っているだけで、正式な夫婦なのだから。
 さっさと届けを出さなければいけないのも、一緒に暮らすのも当たり前。

 そう。すべて、なにも間違っていない。
 間違ってはいないのだが、いきなり面と向かって事実を突きつけられると、頭では理解できるのだが、なんだか気持ちが置き去りにされているようで、釈然としない。

「その話さ……、少し、考えさせてくれる?」
「考える? なにをいまさら」
「うん。いまさらはわかってるんだけど」
「俺と暮らすのが嫌か? やっぱり、離婚したい?」

 その言葉にハッとして、いつの間にやら俯いていた顔を上げると、寂しそうにうっすらと笑う尊。

 うわ、なんか、凄い罪悪感。

 あのとき、不用意に放った『離婚しましょう』の言葉は、尊を傷つけていたのだ。
 なんて残酷な言葉を、投げてしまったのか。

「……ごめんなさい」
「なにを謝ってるの? やっぱり……」

 そうだ。私たちは、お互いに知る努力をしようと決めたのだ。だから、思うことはきちんと、言葉にしなければ。

「待って、違う! もう離婚したいなんて思ってない。ううん、あのときだって混乱してつい口から出ちゃっただけで、本気で尊と別れたいなんて思ってたわけじゃないよ。ただ、突然状況が変わっちゃって……、頭が追いついていかないっていうか……」

 もう、泣きそうだ。

「本当にそれだけ? 本当に別れたいと思ってない?」
「思ってないってば。だから、離婚しようだなんて言って、ごめんなさい」

 もうしわけなくて、語尾が小さくなっていく。

 上目遣いにチラリと見上げたその瞬間、尊の顔に浮かぶ笑みが黒いのに気がついた。
 やられた。言質を取られた。まったく、油断も隙もあったもんじゃない、と、思いながら改めて顔を上げるとそこには、優しい笑顔がある。裏でなにを考えているのかは別だが。

「わかった。待つよ。但し、あまり長くは待たせるなよ」

 これまでの経験によると、尊は有言実行。性急で、すぐに暴走する。だから、念のため「明日までとか言わないでよね」と、釘を刺しておく。

 その言葉を口にしたとたん、苦虫を噛み潰したような表情を見せた尊に、やはりそのつもりであったか、危ないところだった、と、胸をなで下ろした。

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