それは、ホントに不可抗力で。

樹沙都

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§ 墨に近づけば黒くなる。

14

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 残業無し定時退社の約束は、いまのところ守られている。だが、もう帰っていいぞとの言葉に続き発せられる『今日はどっちだ?』に、頭が痛い。
 今夜もどちらかの家で、ふたり一緒に過ごすのは決定事項。

 人間、諦めが肝心とは、誰の言葉だっただろう。

 尊の家へ行っても自分のものはなにもないし、明日も仕事。じゃあウチで、と、力なく言い捨て、オフィスをあとにする。
 ホールでエレベーターを待っていると、玲子専用着信音が高らかに鳴った。

 着信音の使い分けといってもじつは、毎度唐突に厄介ごとを持ち込んでくる玲子に限った話。これは、最低限の自己防衛。あまり役には立たないが、心の準備程度にはなる。

「玲子? どうしたの?」

 どうしたのかなんて、本当は訊きたくもないが。

「あゆむぅ! 仕事終わった?」
「終わったよ。これから帰るとこ」
「そっかあ、ちょうど良かった! あたしね、いま、下に居るの。正面玄関だよ。すぐ下りてきて!」

 玲子さん、ついに、会社にまで進出して待ち伏せですか。

 今度はどんなトラブルだろう。到着したエレベーターのドアがスーッと開いたが、体が乗りたくないと抵抗する。
 後退る足を無理矢理前に出し、エレベーターに乗り込み一階へ下りた。人の流れに紛れて見つからなければいいのにと、背の高い男性の後ろを選んで歩く。だが、正面玄関を出てすぐのところに、こちら方向をキョロキョロしている玲子を発見。

 彼女の隣、少し離れた所ではあるが誰かと一緒のよう。後ろ姿だが、遠目でもわかる。あれは隼人ではない。誰だ。見知らぬ男性と一緒に居るなんて、悪い予感しかしない。

「あゆむぅ-」

 見つけなくていいのに。玲子が大きく手を振りながら全力で駆けてきた。なんだあれはとばかりにこちらを一瞥する周囲の目が痛い。

「どうしたの? また隼人と喧嘩したの?」
「やだぁ、隼人とは仲良しだよぉ。いつも喧嘩ばっかりしてるわけじゃないもん」
「だったら、なによ? わざわざ会社まで来るなんて」
「うん。今日はね、歩夢に会いたいってひと、連れてきてあげたの」
「私に会いたいひと?」

 玲子の指さす方向を見ると、さっきまで背を向けていた男性がこちらを向いた。この人は。

「歩夢」
「安田……さん?」

 どうして。

 それは、三年以上前に記憶から消去した、二度と思い出したくもない男だった。
 
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