君と暮らす事になる365日

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そんな心と体に悪い事も有ったものの、依里は基本的に自分の職場にばかりいる人間のため、それ以降柳川と接触する事はなかった。
仕事用のメールがたまにあったものの、接触はその程度である。
課が違うといかに接触する機会が減るか、これでおわかりだろう。
それにわざわざ接触したい相手でもないのだ。好き嫌いの問題ではなく、接触した後の面倒が大きすぎるのだ。
何しろ彼はこの会社の親会社から来ていると言われている、経営者一族の人間で、御曹司と言っていい人種である。
そんな人種の玉の輿に乗りたい人は後を絶たず、水面下でも水面上でも熾烈な争いを繰り広げているので、それに参加する気など皆無の依里は、遠巻きにそれらを眺めて恐ろしい……と思う側だったのだ。
そういう事情で、依里は柳川と接触はしないのだが……
目の前のこれはどうしよう。
依里はやはり女性用の化粧室で、自分を相手に睨んでいる井上を見て、脱出及び脱走方法を考えたくなった。

「環さん、毎日営業課の人に、お弁当を作っているんですってね」

「私じゃないんですってば……」

「営業補佐の皆さんが、とっても美味しいって褒めているのよ! それを聞いて、柳川さんも食べてみたいですんっていうのよ!」

だったら何なんだ。依里はその言葉が意味する事を知りたかったが、それを口にしたらあっという間に集中砲火よろしく何か言葉が、飛んで来そうでとても言えなかった。
女性の視線の圧はおそろしいのである。

「あのですね……そのお弁当は……前にもお話した通り私の同居人が、趣味と実益とその他もろもろを兼ねて、作ってくれている物でありまして、私が作ったものでは」

「じゃあ同居人の連絡先を教えなさいよ」

「なんでです」

それはプライバシーにかかわるし、あの男は知らない相手からの電話など取らない。
帰宅した後に、登録されていない電話番号からの着信を、何度無視しているか数えきれないほどなのだ。

「取らないのか?」

なんて聞いてみたところ

「知らない相手からの電話なんて嫌い。知らない番号からの電話なんて、職場の仕入先云々だけでお腹いっぱい」

と返されたため、そんな物なのだろうと思っている。依里自身も、知らない番号からの着信はとらないように設定しているので、似たような物である。

「教えられないって事は、やっぱり環さんが作ってるんじゃない! そうじゃなかったら教えらえるでしょ」

「それはプライバシーという物の問題があるのでは」

「生意気ね! 大体あなたなんてどこが優秀なのかしら! 営業補佐の方に配属された後のあなたの優秀な話は、聞いた事がないわよ」

そりゃそうだろう、課が違うし仕事をしている階層も違うのだ。
それで総務課まで情報が流れてくるのであれば、その人は伝説的な能力の高さだろう。
自分は平均程度なわけで、噂が流れるわけもない。
客観的に見てそうだと知っている依里は、一体何を言えばいいのやら、と内心で思っていた。
そんな風に黙った彼女を、言いくるめられたと思ったのだろう。井上が言い出した。

「あなた、私のためにお弁当を作りなさいよ! 綺麗で女子らしいものを」

「だから出来ませんって……」

「それならあなたの同居人とやらに、作るように頼みなさいよ!」

「……なんでそうなるんですか……」

井上には何か作戦がある様子だが、依里はそれを読もうとは思わないので、そう聞いた。

「女子力の高いお弁当を作って渡せば、釣れない柳川さんもきっと私を意識してくれるもの!」

「それは井上さんがご自身で用意しなくちゃいけないものでは?」

流石に口から疑問が漏れてしまった。晴美の作ったものを自作だと称するのはなかなか危険度が高いのだ。
大学時代に、まだ晴美が大学に在籍していた頃に、そういう事をしようとして派手に失敗し、彼氏から振られた女の子がいた事を、依里は噂で聞いていた。
何しろ美味しすぎるお弁当に惚れ込んだ彼氏が、あれもつくってこれもつくってと注文を付けたあたりで、晴美がその彼女に何も言わないで留学してしまい、派手に自爆したのだ。
そして彼女さんはあまり料理が出来る方ではなかった事も相まって、彼氏は騙されたと激怒して別れたのだとか。
そういう事情を噂だけでも聞いた事がある依里としては、井上の作戦が無茶苦茶であるとよく分かる。
そういうのはばれるのだ。特に料理とかはそれが目立つ。

「うるさいわね! あなたは私の言う事を聞けばいいのよ!」

「はあ……」

依里はため息をつき、井上をまっすぐに見て言い切った。

「お弁当は私が作っている物ではありません。そして作ってくれている同居人に、あなたを紹介もしません。第一、自作発言はすぐにばれるものなんですよ。それで印象を悪くする方が、望まない方に進む可能性が高いでしょう」

依里がそこまで言い切った時、ばちん、となかなかすごい音がして、依里は頬に痛みを感じたため、これは手をあげられたな、とすぐに分かった。
ひりひりする頬は赤くなっていそうである。まさか社会人になってまで、平手打ちされるとは思わなかった事も有って、迎撃も回避も行えなかった。
失敗した、と依里は思ったものの、ここで言わねば、ときっぱり言う。

「井上さんの頼みは聞けませんから!」

普段よりも強い口調で言い切り、依里は彼女の脇を通って、速やかに営業課の方に逃げたのだった。
逃げてすぐに、まだ溶け切っていなかったお弁当の保冷剤を頬にあてがって、冷やしたわけであるが、それを見た同僚達が問いかけて来る。

「どうしました?」

「総務課の井上さんに平手打ちをされまして……」

言わない方がよかったかもしれないが、一応同僚へ相談したという事は、誰かの記憶の欠片として残るわけで、後々もめる前に、そういう話をしておいた方が何かと有利だと知っている依里は、手短に説明した。
まさか平手打ちまで、と思ったのは依里だけではなかった様子で、同僚たちは呆れた顔をしたし、何なら給湯室から氷を持ってきてくれたのは、明石である。

「ごめんなさい、私達が環さんのお弁当を自慢したせいで……」

「気にしないでください、誰もこうなるなんて予想しませんから」

事実そうだ。頼みを断られて平手打ちするなんて言う、非常識が成人女性にいるなんて思わないだろう。
頬はもう腫れも引きそうだ、と経験則から判断した依里は、自分のついている営業の白井の補佐のために、担当との連絡の文面を、速やかに作成したのだった。
そうして色々な事をしている間に、時間はあっという間に過ぎてゆき、最後の処理を終えた依里は、会社のメールアドレスに、会社からの物が届いている事に気が付いた。
また何か連絡事項だろうか、とそれを開いた依里は、中身に目を丸くした。

その連絡事項は、依里が会社で優秀な成績を収めた社員のみが招待されるクリスマスパーティに、参加するかどうかの連絡だったのだ。

これまで一度もそう言った物に関りがなかった依里は、まさか今年になって初めて、優秀な成績の社員とされ、クリスマスパーティに招待されるとは思わず、固まった。
だが、会社のそれはかなり綺麗で、美味しいご馳走が出て、楽しいと聞いていたし、参加した社員が、十分色々なものに気を使って、SNSにその情報を出している事から、憧れはかなりあった。
そのため、すぐに彼女も、参加する方で返信をしたのだった。
返信をした後で、衣装はどうしようと我に返ったものの、それで言えば柳川が選んでくれた、いい物が一式揃っている。
会社のクリスマスパーティの空調が酷いとは思えないので、あれで十分だろう。
というか……あれは依里の給料で言えば相当ランクの高い物であるため、場違いには絶対にならないという確信もあった。
他にいい物はないのだし、着てもらえた方がよそ行きも幸せに違いない。
そんな事を考えた依里は、明日のために少しだけ作業を進めて、終業時刻にはきちんと会社を出たのだった。


「会社のクリスマスパーティ? いい物に出られるんだね」

帰宅し、三十分ほど後から帰ってきた晴美に、その事を伝えると、晴美はにこにこと笑った。

「それはヨリちゃんが今までとっても頑張ってきたって、認められたって事でしょ? ヨリちゃん頑張り屋さんだもの。目に見える形になってよかったね」

「クリスマスはお前、どっか行くって言ってたっけ?」

「イギリス」

「クリスマスにイギリスに行っても、面白いお店とか開いてないんじゃないのか
?」

「観光しに行くわけじゃないから! あ、これヨリちゃんスマホに登録しておいて」

「……これは誰の連絡先だ?」

いきなり、名刺サイズの紙きれに書かれたラインのアカウントを見せられて、怪訝な顔になった彼女に、同居人は言う。

「イギリスにいる間、おれと一緒に行動する部下のアカウント! おれにつながらなくても、こっちなら確実につながるだろうから」

「自分のアカウントにつながらないって思うって何なんだよ」

「あまいなあヨリちゃん。おれがこまめにスマホの充電するやつだと思う?」

「残念ながら思わない」

「でしょう? おれしょっちゅうスマホ電池切らすから、おれと一緒にいる人の連絡先知ってた方が、何かと都合いいはずだから」

「この人の本名は?」

「林君」

「……何か前に聞いた気がする」

「そりゃあ、本店でおれの一番の部下だった人だもの。今は本店を切り盛りしている凄腕だよ」

「……なんか……電話でお前に泣きついてなかったっけ?」

「修行が足りないんだよ。おれがいなくてもどうにかできなくちゃ」

ふわふわ笑うくせに、言っている事は時々妙にスパルタな幼馴染を見て、依里は速やかにラインを登録し、挨拶の文面を入れた。
既読もつかないので、彼は今帰宅途中か仕事先にいるのだろう。

「おれはクリスマスイブもクリスマスもイギリスにいるけど、26日には帰ってきて、実家に帰る用意するから」

「はあ」

「はあ、じゃないよ? ヨリちゃんも帰るんだからね!」

「帰省決定?」

「だっておれ、ヨリちゃんのおじさんに、ヨリちゃんも連れて帰るって連絡しちゃったもの。それにおれのおせち料理、ヨリちゃんは食べたくないの?」

「……お前のおせち、めちゃくちゃ美味しいんだよな」

「でしょう? 最後に食べてもらった後から、おれも成長したし腕を磨いたんだよ! だから今年もヨリちゃんに食べてほしいな」

「本音は?」

「おれが帰省した後ヨリちゃんのご飯、誰が作るのさ?」

「なんかお前って……ものすごく私に、自分の料理食べさせたがってるよな」

「ふふふふ、いいでしょ? 食べさせたい人がいるって幸せだもの」

にぱっと笑った晴美には、邪悪な要素はかけらもなかった。
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