冥恋アプリ

真霜ナオ

文字の大きさ
19 / 34

17:アンインストール

しおりを挟む

 車に乗り込むと、安心したからなのか強い疲労感に襲われる。
 運転を担当する丈介には申し訳なかったが、俺たちはやり遂げたという達成感を胸に、車中でぐっすりと眠ることができた。
 流れ続けるラジオからは、もうあの呻き声が聞こえてくることもない。もちろん、車の窓に張り付く影だって無かった。
 当たり前に平和だった日常が、ようやく戻ってきたのだ。

 二人と別れて最寄り駅に到着する頃には、薄暗い住宅街を街灯が照らす時間になっている。
 葵衣たちとはまた後日、顔を合わせたいという話もしていた。
 今度は怪異調査のためではなく、単純に友人として会いたいと思ったのだ。
 あまりにも非現実的なことが起こりすぎて、人生の中で一番長い一日だったといっても、過言ではないかもしれない。
 それでも無事に柚梨を守ることができた。俺にとっては、それだけで十分だった。

「……柚梨、ごめんな」

 見慣れた駅の改札を抜けていつもの分かれ道に立った時、俺はぽつりと謝罪を落とす。
 その言葉の意図がわからなかったのだろう柚梨は、不思議そうな顔をして俺の方を見た。
 行きは不安でいっぱいだった彼女の表情は、晴れやかなものへと変わっている。もうすっかりいつも通りの柚梨だ。

「ごめんって、どうして謝るの? 無事に解決できたのに」

「そうだけど……元はといえば、俺が柚梨にアプリに登録してほしいなんて頼んだから、こんなことになったんだと思ってさ。ホントならあんな怖い思い、する必要なかったのに」

 始めは幸司の死の真相を知りたいという一心で、一番身近だった柚梨に協力を仰いだのだ。
 結果としてそれが彼女を危険に晒す原因となり、危うく命までもを落とすところだった。
 今こうして向き合うことができているのは、単純に運が良かっただけなのかもしれない。
 だって、ひとつでも行動を誤っていたら、きっと柚梨はあの影に飲み込まれてしまっていたのだろうから。

「助けるって言ったのに、危険作った原因が俺だったとかさ」

 笑えない。そう言おうとしたところで、俺は言葉を飲み込む。
 柚梨が突然、俺の両手を握ってきたからだ。
 無意識に俯いていた顔を上げると、目の前の柚梨は笑っていた。

「助けてくれたでしょ、ちゃんと。ありがとう、樹」

「柚梨……」

 つられて笑顔を浮かべて見せるが、上手く表情を作れている自信がない。
 彼女に情けない顔を見せたくなくて、俺はまた視線を落とすが、そこで妙な違和感に気がついた。
 繋いでいる柚梨の手が、どうしてだか黒ずんでいるように見えたのだ。

 もう夜なのだから、影が重なってそう見えているだけかもしれない。あるいは神社での一件で、汚れがついたままだったのかもしれない。
 あれだけ黒い吐瀉物としゃぶつを吐き出していたのだから、汚れが残っていたとしても別に不思議ではないだろう。
 そんな風に思ったのだが。再び顔を上げた瞬間、俺は反射的に息を飲む。

 視界に入った彼女の顔は真っ黒に染まり、両目は底の見えない穴に、大きく開いた口元からは舌が垂れ下がっていたのだ。
 柚梨の面影など一切感じさせない姿がそこにはあった。
 それはまるで、あの怪異のように。

「ッ……!?」

 咄嗟に手を放して後ずさるが、次に見た柚梨はいつも通りの顔をしていた。
 手も、どこも黒ずんでなどいない。

「樹? どうかしたの?」

「いや、何でもない……ごめん。多分疲れてるんだ」

 あの怪異を何度も見すぎたせいだろう、恐らく幻覚が見えたのだ。
 車で眠ってきたとはいえ、疲労は身体に残っている。昨日だって、まともに眠ることができなかったのだから。
 家に帰って、ゆっくりと身体を休めることが必要だ。
 そうしてふと、俺はやり残していることがあったと思い出す。

「……そうだ、あのアプリ。まだ入ったままだろ?」

「え? うん」

「アンインストールしとかないか? というか、最初からそうしとけば良かったんだよな」

 根本的な原因であるアプリを、俺たちはスマホにインストールしたままにしてあった。
 それを削除したところで逃れられたとは思えなかったが、できればもうあのアイコンは二度と目にしたくない。
 柚梨も同じ意見のようで、コクコクと頷いてスマホを取り出す。
 早く消してしまおうと、ホーム画面の真ん中に表示されていたアイコンに触れた。

「…………?」

 通常のアプリなら、長押しをすればアンインストールという選択肢が表示される。それを押せば操作は完了するのだが、なぜかスマホは反応を示さない。
 寒さで指先がかじかんでいるし、乾燥していて反応しなかったのかと、俺はもう一度試してみる。
 しかし、やはりアプリには何の表示もされない。おかしいと思って柚梨を見ると、彼女もまた同じように困惑した表情を浮かべていた。

「消せない……何で? 他のアプリはちゃんと反応するのに……」

 試しに無関係のゲームアプリを長押ししてみると、そちらはちゃんと反応を見せる。
 どういうわけか、May恋アプリだけがアンインストールできなくなっているのだ。

「ウイルスじゃないけど、悪質なアプリだったのかもな。一回インストールしたら簡単には削除させないみたいな……運営に問い合わせて……」

「樹……!」

 アプリ自体に原因があるのだろうと決めつけ、俺は乾いた笑いを浮かべる。
 アプリの運営に苦情を入れれば済むだろうと思ったのだが、焦った声を上げたのは柚梨だった。
 その視線はスマホの画面に落とされている。隣からそれを覗き込んでみると、アプリが起動し、マップが表示されているのが見えた。
 そのマップには、よく見覚えがある。

「これって……この町の地図、だよな……?」

「うん……」

 これは、May恋アプリで使うことのできる機能のひとつだ。
 マッチングした相手と待ち合わせの際に、確実に会えるように、互いの場所をGPSで示してくれる機能が搭載されている。
 もちろん双方の承諾を得て、初めて利用できる機能ではあるのだが。それがなぜ今起動しているのか。

 表示されているアイコンのうち、赤い色をしているハートが、柚梨が今いる場所を示している。
 そして、青い色をしたハートが、少しずつ移動してきているのがわかる。
 柚梨は占い以外の機能を使っていないと言っていたので、マッチングした誰かが近づいてきているという可能性は無い。
 だというのに、このハートは誰かがこの場所に向かってきているということを示している。
 その『誰か』が一体『何』なのか、俺は考えるのが恐ろしかった。

「っ、お前、GPS……!」

「つけてない! 勝手に起動して止められないの……!」

 アプリの画面を消そうとしても、マップは起動したまま、距離だけがどんどん縮まっていく。
 このまま何かが来るのを待つというのは、どう考えても得策ではない。状況はわからないが、俺にもそれだけは理解できる。
 俺は柚梨の手を取ると、迫りくるそれとは反対の方角へと走り出した。

「樹、どこ行くの……!?」

 条件反射のように走り出したのだ、目的地など決まっているはずがなかった。
 とにかく、直感的に『それ』から離れなければならないと思ったのだ。

(全部終わったと思ったのに……!)

 無事に帰ってこられたと思っていた。
 けれど、こうして異変が続いている以上、そうではなかったのだと思い知る。
 恐らくあの身代わり人形は一時的な役割を果たしたのみで、根本的な解決にはならなかったのだ。

「クソッ……!」

 俺は自身のスマホを取り出すと、アドレス帳の中にある名前をタップした。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

意味が分かると怖い話(解説付き)

彦彦炎
ホラー
一見普通のよくある話ですが、矛盾に気づけばゾッとするはずです 読みながら話に潜む違和感を探してみてください 最後に解説も載せていますので、是非読んでみてください 実話も混ざっております

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

【電子書籍化】ホラー短編集・ある怖い話の記録~旧 2ch 洒落にならない怖い話風 現代ホラー~

榊シロ
ホラー
【1~4話で完結する、語り口調の短編ホラー集】 ジャパニーズホラー、じわ怖、身近にありそうな怖い話など。 八尺様 や リアルなど、2chの 傑作ホラー の雰囲気を目指しています。現在 150話 越え。 === エブリスタ・小説家になろう・カクヨムに同時掲載中 【総文字数 800,000字 超え 文庫本 約8冊分 のボリュームです】 【怖さレベル】 ★☆☆ 微ホラー・ほんのり程度 ★★☆ ふつうに怖い話 ★★★ 旧2ch 洒落怖くらいの話 ※8/2 Kindleにて電子書籍化しました 『9/27 名称変更→旧:ある雑誌記者の記録』

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

母の下着 タンスと洗濯籠の秘密

MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。 颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。 物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。 しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。 センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。 これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。 どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。

(ほぼ)5分で読める怖い話

涼宮さん
ホラー
ほぼ5分で読める怖い話。 フィクションから実話まで。

還暦の性 若い彼との恋愛模様

MisakiNonagase
恋愛
還暦を迎えた和子。保持する資格の更新講習で二十代後半の青年、健太に出会った。何気なくてLINE交換してメッセージをやりとりするうちに、胸が高鳴りはじめ、長年忘れていた恋心に花が咲く。 そんな還暦女性と二十代の青年の恋模様。 その後、結婚、そして永遠の別れまでを描いたストーリーです。 全7話

処理中です...