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1 キャバクラで用心棒
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キャバクラの事務室で防犯カメラを睨んでいた。
自慢の体のラインを見せつけるドレスを纏い、キャバ嬢たちは金魚のようにテーブルの間を泳ぎ回る。華金の夜はスーツ姿のサラリーマンが多い。照明の落とされた店内で、シャンデリアだけが下品に光っていた。
毎月のみかじめ料の代わりにこうして用心棒を請け負っているのだが、実際カタギとのトラブルで黒川蓮(くろかわれん)がこの事務室を出て行ったことはない。今日も退屈というつまみを食べながら、硬いパイプ椅子の上で晩酌をする。防犯カメラの端で、ガタイのいい男がキャバ嬢の腕を引っ張っていても、ボーイが事を収めるのを見守るだけだ。
薄いレモンサワーを呷る。洒落たワインもシャンパンも、蓮の口には合わない。ジョッキの中身は、猫が水を舐めるくらいの速さで減っていく。
アルコールが滲みこむ前に、カメラに映っていた嬢と男の姿が見えなくなっていることに気付いた。代わりに近くにいたボーイがうろうろと彷徨っている。暫く状況の確認をしていたが、嬢は戻らない。膝を叩いて、裏口から外へ出た。
酔っぱらいの合間を縫って、店の周囲に目を凝らす。微かだが、蓮の耳には不穏な物音が聞こえた。
音を辿って、キャバクラから何軒も先のコンセプトバーとスナックの間に辿り着く。濃い暗闇の中で、細かな流れ星が散っていた。
「やめてってば!」
女の引き攣った声が、建物の間に反響した。目を凝らすと、探していた嬢のドレスのビジューがチラチラと輝いていた。
「他の男んとこに行くなんて許さねえからな!」
「やだ!痛い!痛い!」
大ぶりの和太鼓を叩いたような男の怒鳴り声が続いた。
「二度と浮気なんてふざけたことできねえように顔潰してやる!」
「いや!誰か!」
蓮の爪先から二十歩ほど進んだ先で、サンドバッグを殴るような音が響く。静かに目を慣らしていた蓮は、通りの喧騒を背に浴びて、シャツの袖を捲りながらゆっくりと歩を進めた。
建物の影の中で、男は一回りも小さい嬢に馬乗りになり、丁寧に化粧を施した顔に拳骨を落としていた。蓮はわざと、傍にあった空き缶を蹴る。
「助けて!」
瞼も頬も腫らした嬢が、蓮に気付いて濡れた瞳を向けた。
男の剥き出しの腕からは、和彫りが覗いていた。
蓮は男の胸ぐらに手を伸ばし、嬢から引き剥がして、その巨体を力いっぱい壁に叩きつけた。
虚を突かれた男が、喉から呻き声を上げる。蓮は男が体勢を立て直す間に、握った拳を更に強く握り込んだ。前腕で、満月の縁をかたどっただけの黒い刺青が膨れ上がる。
「クソがよっ!」
男は吠えながら、蓮に掴みかかってきた。
蓮の顔に、男が撒き散らす唾が飛んでくる。
蓮は男の顎に掌底を打ち込んだ。
彼は甲高い悲鳴を上げながら、地面に崩れ落ちた。近づくと、靴底が柔らかいものに乗り上げた。蓮はしゃがみ込み、アリの巣を観察するように、それをじっと見つめる。小指ほどの大きさの、赤黒いのなまこのようなものが血液を染み出しながら横たわっていた。
「ああっああっ舌がっ俺のっ」
男が芋虫のように体をくねらせて悶えている。その姿を、蓮は冷ややかな目で見ていた。
十代から組に入り、もう十年が経つ。この界隈の掟やしきたりは若造の頃に叩きこまれ、闇の常識の基礎を作っていた。他人から金を巻き上げることも、殴ることも、日常動作と同じくらい簡単で面倒なことだった。蓮の世界には、ぬくもりも良心もない。鮮やかな血液に、体温の残滓が残っていることすら忘れてしまった。
蓮は芋虫を見飽きて、男の顔に唾を吐きかけた。
明るいところで放心している嬢の腕を掴み、人の流れに混じって歩く。女の泣きそうに歪めた顔は、どこもかしこも山のように腫れていた。
店に戻り、事務室に嬢を置いてボーイを呼びに行った。蓮の姿を見て、ボーイは怯えたような顔をしたが、すぐに状況を察しホールを出て行った。ふと、周囲の視線を感じて、嫌な予感と共に自分の姿を見下ろすと、鳩尾あたりに鮮血が染み付いていた。
またクリーニング屋のババアに変な目で見られるじゃねぇか。
蓮は、男を見逃してやったことを後悔した。
縄張(シマ)を荒らした奴にヤキ入れてやるのは当然だが、先程の男はそういったことすら知らないただのチンピラだった。仕置きが過ぎたとは思わないが、万が一殺してしまったら面倒だ。
飛んだ舌がくっつかどうかは知らなかったが、人通りが多いところに出ればどうにかなるだろう。
蓮は溜息をつきながら、事務室に戻ってワイシャツを脱いだ。
自慢の体のラインを見せつけるドレスを纏い、キャバ嬢たちは金魚のようにテーブルの間を泳ぎ回る。華金の夜はスーツ姿のサラリーマンが多い。照明の落とされた店内で、シャンデリアだけが下品に光っていた。
毎月のみかじめ料の代わりにこうして用心棒を請け負っているのだが、実際カタギとのトラブルで黒川蓮(くろかわれん)がこの事務室を出て行ったことはない。今日も退屈というつまみを食べながら、硬いパイプ椅子の上で晩酌をする。防犯カメラの端で、ガタイのいい男がキャバ嬢の腕を引っ張っていても、ボーイが事を収めるのを見守るだけだ。
薄いレモンサワーを呷る。洒落たワインもシャンパンも、蓮の口には合わない。ジョッキの中身は、猫が水を舐めるくらいの速さで減っていく。
アルコールが滲みこむ前に、カメラに映っていた嬢と男の姿が見えなくなっていることに気付いた。代わりに近くにいたボーイがうろうろと彷徨っている。暫く状況の確認をしていたが、嬢は戻らない。膝を叩いて、裏口から外へ出た。
酔っぱらいの合間を縫って、店の周囲に目を凝らす。微かだが、蓮の耳には不穏な物音が聞こえた。
音を辿って、キャバクラから何軒も先のコンセプトバーとスナックの間に辿り着く。濃い暗闇の中で、細かな流れ星が散っていた。
「やめてってば!」
女の引き攣った声が、建物の間に反響した。目を凝らすと、探していた嬢のドレスのビジューがチラチラと輝いていた。
「他の男んとこに行くなんて許さねえからな!」
「やだ!痛い!痛い!」
大ぶりの和太鼓を叩いたような男の怒鳴り声が続いた。
「二度と浮気なんてふざけたことできねえように顔潰してやる!」
「いや!誰か!」
蓮の爪先から二十歩ほど進んだ先で、サンドバッグを殴るような音が響く。静かに目を慣らしていた蓮は、通りの喧騒を背に浴びて、シャツの袖を捲りながらゆっくりと歩を進めた。
建物の影の中で、男は一回りも小さい嬢に馬乗りになり、丁寧に化粧を施した顔に拳骨を落としていた。蓮はわざと、傍にあった空き缶を蹴る。
「助けて!」
瞼も頬も腫らした嬢が、蓮に気付いて濡れた瞳を向けた。
男の剥き出しの腕からは、和彫りが覗いていた。
蓮は男の胸ぐらに手を伸ばし、嬢から引き剥がして、その巨体を力いっぱい壁に叩きつけた。
虚を突かれた男が、喉から呻き声を上げる。蓮は男が体勢を立て直す間に、握った拳を更に強く握り込んだ。前腕で、満月の縁をかたどっただけの黒い刺青が膨れ上がる。
「クソがよっ!」
男は吠えながら、蓮に掴みかかってきた。
蓮の顔に、男が撒き散らす唾が飛んでくる。
蓮は男の顎に掌底を打ち込んだ。
彼は甲高い悲鳴を上げながら、地面に崩れ落ちた。近づくと、靴底が柔らかいものに乗り上げた。蓮はしゃがみ込み、アリの巣を観察するように、それをじっと見つめる。小指ほどの大きさの、赤黒いのなまこのようなものが血液を染み出しながら横たわっていた。
「ああっああっ舌がっ俺のっ」
男が芋虫のように体をくねらせて悶えている。その姿を、蓮は冷ややかな目で見ていた。
十代から組に入り、もう十年が経つ。この界隈の掟やしきたりは若造の頃に叩きこまれ、闇の常識の基礎を作っていた。他人から金を巻き上げることも、殴ることも、日常動作と同じくらい簡単で面倒なことだった。蓮の世界には、ぬくもりも良心もない。鮮やかな血液に、体温の残滓が残っていることすら忘れてしまった。
蓮は芋虫を見飽きて、男の顔に唾を吐きかけた。
明るいところで放心している嬢の腕を掴み、人の流れに混じって歩く。女の泣きそうに歪めた顔は、どこもかしこも山のように腫れていた。
店に戻り、事務室に嬢を置いてボーイを呼びに行った。蓮の姿を見て、ボーイは怯えたような顔をしたが、すぐに状況を察しホールを出て行った。ふと、周囲の視線を感じて、嫌な予感と共に自分の姿を見下ろすと、鳩尾あたりに鮮血が染み付いていた。
またクリーニング屋のババアに変な目で見られるじゃねぇか。
蓮は、男を見逃してやったことを後悔した。
縄張(シマ)を荒らした奴にヤキ入れてやるのは当然だが、先程の男はそういったことすら知らないただのチンピラだった。仕置きが過ぎたとは思わないが、万が一殺してしまったら面倒だ。
飛んだ舌がくっつかどうかは知らなかったが、人通りが多いところに出ればどうにかなるだろう。
蓮は溜息をつきながら、事務室に戻ってワイシャツを脱いだ。
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