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香りは風になる
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王都の朝。
春を越え、初夏の風が街路樹を揺らしていた。
香り学院の鐘が鳴り、白い花びらが風に舞う。
クラリッサは学院の中庭に立ち、風を感じていた。
――あの頃、泥にまみれて畑を耕した辺境の風と、どこか似ている。
「変わらないものも、あるのですわね。」
呟く声に、風が頬を撫でるように返した。
学院の中では、今日も授業が行われていた。
生徒たちは香料を調合し、互いに香りを嗅ぎ比べる。
失敗の香りすら、もはやこの学院の一部だった。
講堂の壇上でクラリッサは扇子を開き、柔らかく語る。
「香りとは、“伝えること”。
言葉にならない心を、風に乗せること。
だからどうか、香りを誇りにしなさい。
そして恐れないで――自分の風で生きることを。」
生徒たちの瞳が一斉に輝いた。
中でも、ノアとエリスの視線はまっすぐで、迷いがなかった。
“継承”は、もう始まっている。
その日の午後。
学院の門前に、一台の馬車が止まった。
クラリッサが振り返ると、そこに立っていたのは――ユージン・アシュフォード。
以前よりも疲れた表情。だがその瞳には、昔のような硬さはなかった。
「……また風の中で会うとはな。」
「ええ。あなたの風も、まだ途切れていませんのね。」
ユージンは小さな封書を差し出した。
「王家の使者だ。――新しい命令書。“学院代表として、王宮に戻ってほしい”。」
クラリッサの瞳が細められた。
「……王家が、再び“香り”を手にしようとしているのですわね。」
「そうだ。俺は……その調停役として選ばれた。」
短い沈黙。
クラリッサは扇子をゆっくり閉じ、静かに微笑んだ。
「ならば行きますわ。
でも――従うためではありませんの。
“香りは風になる”と、証明するために。」
王宮の大広間。
再建された玉座の前で、王家の老顧問たちが並ぶ。
「クラリッサ・ヴァレンティーヌ、学院の発展を喜ばしく思う。
だが“香り”は王国の象徴。管理のため、王立研究局の管轄下に置く。」
クラリッサは微笑を崩さず、一歩前に出る。
「陛下。香りは“持ち物”ではありませんの。
風のように、人の心に流れるもの。
閉じ込めれば腐り、奪えば失われますの。」
「では、誰がそれを治める?」
「誰も治めませんわ。
風は、治められぬからこそ、美しいのですもの。」
彼女の言葉が、王座の間に響いた。
その一瞬、誰も声を出せなかった。
――そして、王はゆっくりと笑った。
「……ルシアンの娘だな。あの男も、風のような人間だった。」
「お父様は、“香りは国よりも長く生きる”と仰っていましたわ。」
王が頷く。
「ならば、風の行方を見届けよう。」
会議の後。
ユージンは王宮の庭でクラリッサに歩み寄った。
「君はやはり、“風の人”だな。
俺はずっと、君を閉じ込めようとしていた。
でも、ようやく分かった。君を縛ることは、風を止めることだと。」
クラリッサは柔らかく笑った。
「あなたもまた、風の一部ですの。
どんな嵐でも、風は巡り、また出会いますわ。」
ユージンは微かに笑い、敬礼した。
「――その言葉、もう一度救われた気がする。」
夜。
学院の屋上に立ち、クラリッサは静かに空を見上げた。
星々が流れ、遠くで風が鳴る。
扇子を開き、香りを放つ。
それは“初恋草”と“誓いの香り”が混じった、優しい風。
「お父様、見ていますか。
風は、今も巡り続けていますの。
わたくしたちの誇りも、誰かの心で生きていますわ。」
レオンが背後に現れ、そっと言う。
「クラリッサ。……お前の香りが、王都を変えたんだ。」
「いいえ、風が変えたのですわ。
ただ、わたくしはそれを信じただけ。」
風が二人の間を通り抜ける。
その香りは、確かに未来の匂いがした。
春を越え、初夏の風が街路樹を揺らしていた。
香り学院の鐘が鳴り、白い花びらが風に舞う。
クラリッサは学院の中庭に立ち、風を感じていた。
――あの頃、泥にまみれて畑を耕した辺境の風と、どこか似ている。
「変わらないものも、あるのですわね。」
呟く声に、風が頬を撫でるように返した。
学院の中では、今日も授業が行われていた。
生徒たちは香料を調合し、互いに香りを嗅ぎ比べる。
失敗の香りすら、もはやこの学院の一部だった。
講堂の壇上でクラリッサは扇子を開き、柔らかく語る。
「香りとは、“伝えること”。
言葉にならない心を、風に乗せること。
だからどうか、香りを誇りにしなさい。
そして恐れないで――自分の風で生きることを。」
生徒たちの瞳が一斉に輝いた。
中でも、ノアとエリスの視線はまっすぐで、迷いがなかった。
“継承”は、もう始まっている。
その日の午後。
学院の門前に、一台の馬車が止まった。
クラリッサが振り返ると、そこに立っていたのは――ユージン・アシュフォード。
以前よりも疲れた表情。だがその瞳には、昔のような硬さはなかった。
「……また風の中で会うとはな。」
「ええ。あなたの風も、まだ途切れていませんのね。」
ユージンは小さな封書を差し出した。
「王家の使者だ。――新しい命令書。“学院代表として、王宮に戻ってほしい”。」
クラリッサの瞳が細められた。
「……王家が、再び“香り”を手にしようとしているのですわね。」
「そうだ。俺は……その調停役として選ばれた。」
短い沈黙。
クラリッサは扇子をゆっくり閉じ、静かに微笑んだ。
「ならば行きますわ。
でも――従うためではありませんの。
“香りは風になる”と、証明するために。」
王宮の大広間。
再建された玉座の前で、王家の老顧問たちが並ぶ。
「クラリッサ・ヴァレンティーヌ、学院の発展を喜ばしく思う。
だが“香り”は王国の象徴。管理のため、王立研究局の管轄下に置く。」
クラリッサは微笑を崩さず、一歩前に出る。
「陛下。香りは“持ち物”ではありませんの。
風のように、人の心に流れるもの。
閉じ込めれば腐り、奪えば失われますの。」
「では、誰がそれを治める?」
「誰も治めませんわ。
風は、治められぬからこそ、美しいのですもの。」
彼女の言葉が、王座の間に響いた。
その一瞬、誰も声を出せなかった。
――そして、王はゆっくりと笑った。
「……ルシアンの娘だな。あの男も、風のような人間だった。」
「お父様は、“香りは国よりも長く生きる”と仰っていましたわ。」
王が頷く。
「ならば、風の行方を見届けよう。」
会議の後。
ユージンは王宮の庭でクラリッサに歩み寄った。
「君はやはり、“風の人”だな。
俺はずっと、君を閉じ込めようとしていた。
でも、ようやく分かった。君を縛ることは、風を止めることだと。」
クラリッサは柔らかく笑った。
「あなたもまた、風の一部ですの。
どんな嵐でも、風は巡り、また出会いますわ。」
ユージンは微かに笑い、敬礼した。
「――その言葉、もう一度救われた気がする。」
夜。
学院の屋上に立ち、クラリッサは静かに空を見上げた。
星々が流れ、遠くで風が鳴る。
扇子を開き、香りを放つ。
それは“初恋草”と“誓いの香り”が混じった、優しい風。
「お父様、見ていますか。
風は、今も巡り続けていますの。
わたくしたちの誇りも、誰かの心で生きていますわ。」
レオンが背後に現れ、そっと言う。
「クラリッサ。……お前の香りが、王都を変えたんだ。」
「いいえ、風が変えたのですわ。
ただ、わたくしはそれを信じただけ。」
風が二人の間を通り抜ける。
その香りは、確かに未来の匂いがした。
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