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29話
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学園医務室。白いカーテンの向こう、安静を強いられている春野は、じっと天井を見つめていた。
その静寂を破って、扉が開く。美苑が現れた。
「……来たんだ」
春野は動じず、瞼を伏せたまま、声だけで応じた。
「……話があるのです。あなたと……今、ちゃんと向き合いたいのですわ」
「向き合う? ふふ、そういうとこ、変わってないね。真面目すぎる」
春野はゆっくりと身を起こす。だがその表情には、いつもの静かな笑みがなかった。
「この間、私を襲ったバイオギア……あれ、あなたですわね?」
美苑の声には迷いがなかった。春野は目を伏せ、短く息を吐いた。
「……なんで、そう思ったの?」
「装甲の断片。あなたの〈ルシフェラ〉の一部に似ていました。加えて、あの時の……“躊躇い”のある間合い。私を殺す気はなかった」
春野の肩が、わずかに揺れた。
「……バレバレだったか。私、ほんと、甘いよね」
「なぜ、こんなことを?」
問いかけに、春野の表情が変わった。柔らかさの消えたその瞳には、深く暗いものが沈んでいた。
「ねぇ、美苑……アンタ、男って好き?」
「えっ……?」
「私は、無理。嫌悪してる。気持ち悪いの。声も、匂いも、存在も」
春野の言葉は、突き刺さるような毒を帯びていた。
「私の父親……最低だった。酔うと母さんを殴って、私には『お前は人形だ』って言って、服を破って、謝れって泣かせて、蹴った。母さんはいつもかばってくれた……でも、最後には……殺された」
その声は、怒りでも憎しみでもなかった。冷たく、乾いていて、涙すらもう出尽くしたようだった。
「コアーは……私を拾ってくれた。『男は害悪だ。壊すべき存在』だって、教えてくれた。私も、そう思った。……何が、“貞操を守る対象”よ。笑わせないで」
「春野……」
「アンタも、文哉に心を寄せてるんでしょ? ……優しいよね、文哉。女のために戦って、涙も流せる。……でも、それが気に入らない。私の母さんみたいに、誰かに優しくして、裏切られるのが怖い。……潰したくなる」
春野は両手で自分の顔を覆うようにして、指を震わせた。
「だからって……なぜ、私を……」
「美苑。アンタは、私の中でたった一人の“正常”だった。……だけど、文哉のことで、変わった。アンタの目が、“恋をしてる女”の目になった。……それが、嫌だった。壊したくなった」
「春野、それでも……私はあなたのことを、友達だと思っていますわ」
「……まだ、そんなこと言えるんだ。やっぱりアンタ、優しすぎるよ。だから私は、アンタが嫌い。……でも、大好き」
春野は笑った。壊れそうなほどに、痛々しく。
ベッド脇のスツールに腰を下ろした美苑は、静かに春野の動きを見つめていた。春野は窓辺に立ち、片手に銀色の金属製ケースを持っていた。掌ほどの小型筐体。だが、その中に“とてつもないもの”が封じられていることを、美苑は直感で理解した。
「春野……それは?」
「……見せてあげる。これが、コアーが私にくれた“答え”」
春野は、まるで宝石でも扱うように慎重にケースを開けた。中には、濃緑の液体が封じられた注射器型の容器が一本。
「名前はまだないんだけど……いいでしょ、“ユグドラシル”って」
笑う春野の声音は淡々としていたが、その瞳は冷たく澄んでいた。
「これはね、男性にしか反応しないウイルス。吸い込んだ男だけ、体内の血液が凝固して、ゆっくり死んでいくの。女性には一切無害。……優れてるでしょ?」
美苑の顔から、血の気が引いた。
「そんな……そんな非道なもの、使えるわけがありませんわ……!」
「そう思うでしょ。けど、現実ってもっと酷いものだよ。……試してみる?」
春野は窓を開けると、無造作に容器を掲げた。
「春野、やめて……やめなさいっ!!」
だが、止める間もなく。
カチリ。
小さな音と共に、春野は容器の安全ピンを外した。
「実験、開始――」
ポトリ、と窓の外へと放られた薬筐体は、校舎の影に落ち、数秒後に小さな破裂音を立てた。無色の煙が、ゆらりと立ち昇る。
「――ッ!!」
美苑が絶句したその瞬間だった。
窓下の中庭にいた男子生徒の一人が、突然胸を押さえ、膝をついた。
「ぐっ、あ、あああ……っ!」
それを皮切りに、付近にいた3人の男子が次々に倒れ、痙攣しながら苦悶の声を上げ始めた。
「いやっ……! まさか、本当に……」
美苑の指先が震えた。心臓が悲鳴を上げるように締めつけられ、全身から力が抜けていく。
「……うふふ。反応、早いわね。成功ね」
笑う春野は、窓の縁に足をかけた。その背に、漆黒と紅の装甲が現れ始める。バイオギア〈アークブレイカー=ルシフェラ〉が展開されていく。
「この薬、いずれ日本全域にばら撒いてあげる。……女の世界を取り戻すの」
「やめて……やめて、春野ッ!! そんなことをしても、あなたの母親は……っ!」
「……わかってるよ。でも、止まれない。私の“生きる意味”は、もうこれしかないんだ」
稲妻型ブレードフィンが、彼女の背に冷たく光を走らせた。
「じゃあね、美苑。アンタだけは……本当に、殺したくなかった」
跳躍。
窓から飛び出した春野の姿は、夕陽を裂くように闇に沈み、やがて視界から消えていった。
美苑は、その場に崩れ落ちた。
「……どうして……どうして、こんなことに……」
膝に手をつき、震える身体を支えながら、唇を噛みしめる。
中庭には、教師たちが駆け寄っていたが、倒れた少年たちはすでに動かなかった。
空が、紅から紫に染まっていく。
その中で、ただひとり、貴族のような気高さを持った風紀委員の少女は、深く、静かに泣いていた。
その静寂を破って、扉が開く。美苑が現れた。
「……来たんだ」
春野は動じず、瞼を伏せたまま、声だけで応じた。
「……話があるのです。あなたと……今、ちゃんと向き合いたいのですわ」
「向き合う? ふふ、そういうとこ、変わってないね。真面目すぎる」
春野はゆっくりと身を起こす。だがその表情には、いつもの静かな笑みがなかった。
「この間、私を襲ったバイオギア……あれ、あなたですわね?」
美苑の声には迷いがなかった。春野は目を伏せ、短く息を吐いた。
「……なんで、そう思ったの?」
「装甲の断片。あなたの〈ルシフェラ〉の一部に似ていました。加えて、あの時の……“躊躇い”のある間合い。私を殺す気はなかった」
春野の肩が、わずかに揺れた。
「……バレバレだったか。私、ほんと、甘いよね」
「なぜ、こんなことを?」
問いかけに、春野の表情が変わった。柔らかさの消えたその瞳には、深く暗いものが沈んでいた。
「ねぇ、美苑……アンタ、男って好き?」
「えっ……?」
「私は、無理。嫌悪してる。気持ち悪いの。声も、匂いも、存在も」
春野の言葉は、突き刺さるような毒を帯びていた。
「私の父親……最低だった。酔うと母さんを殴って、私には『お前は人形だ』って言って、服を破って、謝れって泣かせて、蹴った。母さんはいつもかばってくれた……でも、最後には……殺された」
その声は、怒りでも憎しみでもなかった。冷たく、乾いていて、涙すらもう出尽くしたようだった。
「コアーは……私を拾ってくれた。『男は害悪だ。壊すべき存在』だって、教えてくれた。私も、そう思った。……何が、“貞操を守る対象”よ。笑わせないで」
「春野……」
「アンタも、文哉に心を寄せてるんでしょ? ……優しいよね、文哉。女のために戦って、涙も流せる。……でも、それが気に入らない。私の母さんみたいに、誰かに優しくして、裏切られるのが怖い。……潰したくなる」
春野は両手で自分の顔を覆うようにして、指を震わせた。
「だからって……なぜ、私を……」
「美苑。アンタは、私の中でたった一人の“正常”だった。……だけど、文哉のことで、変わった。アンタの目が、“恋をしてる女”の目になった。……それが、嫌だった。壊したくなった」
「春野、それでも……私はあなたのことを、友達だと思っていますわ」
「……まだ、そんなこと言えるんだ。やっぱりアンタ、優しすぎるよ。だから私は、アンタが嫌い。……でも、大好き」
春野は笑った。壊れそうなほどに、痛々しく。
ベッド脇のスツールに腰を下ろした美苑は、静かに春野の動きを見つめていた。春野は窓辺に立ち、片手に銀色の金属製ケースを持っていた。掌ほどの小型筐体。だが、その中に“とてつもないもの”が封じられていることを、美苑は直感で理解した。
「春野……それは?」
「……見せてあげる。これが、コアーが私にくれた“答え”」
春野は、まるで宝石でも扱うように慎重にケースを開けた。中には、濃緑の液体が封じられた注射器型の容器が一本。
「名前はまだないんだけど……いいでしょ、“ユグドラシル”って」
笑う春野の声音は淡々としていたが、その瞳は冷たく澄んでいた。
「これはね、男性にしか反応しないウイルス。吸い込んだ男だけ、体内の血液が凝固して、ゆっくり死んでいくの。女性には一切無害。……優れてるでしょ?」
美苑の顔から、血の気が引いた。
「そんな……そんな非道なもの、使えるわけがありませんわ……!」
「そう思うでしょ。けど、現実ってもっと酷いものだよ。……試してみる?」
春野は窓を開けると、無造作に容器を掲げた。
「春野、やめて……やめなさいっ!!」
だが、止める間もなく。
カチリ。
小さな音と共に、春野は容器の安全ピンを外した。
「実験、開始――」
ポトリ、と窓の外へと放られた薬筐体は、校舎の影に落ち、数秒後に小さな破裂音を立てた。無色の煙が、ゆらりと立ち昇る。
「――ッ!!」
美苑が絶句したその瞬間だった。
窓下の中庭にいた男子生徒の一人が、突然胸を押さえ、膝をついた。
「ぐっ、あ、あああ……っ!」
それを皮切りに、付近にいた3人の男子が次々に倒れ、痙攣しながら苦悶の声を上げ始めた。
「いやっ……! まさか、本当に……」
美苑の指先が震えた。心臓が悲鳴を上げるように締めつけられ、全身から力が抜けていく。
「……うふふ。反応、早いわね。成功ね」
笑う春野は、窓の縁に足をかけた。その背に、漆黒と紅の装甲が現れ始める。バイオギア〈アークブレイカー=ルシフェラ〉が展開されていく。
「この薬、いずれ日本全域にばら撒いてあげる。……女の世界を取り戻すの」
「やめて……やめて、春野ッ!! そんなことをしても、あなたの母親は……っ!」
「……わかってるよ。でも、止まれない。私の“生きる意味”は、もうこれしかないんだ」
稲妻型ブレードフィンが、彼女の背に冷たく光を走らせた。
「じゃあね、美苑。アンタだけは……本当に、殺したくなかった」
跳躍。
窓から飛び出した春野の姿は、夕陽を裂くように闇に沈み、やがて視界から消えていった。
美苑は、その場に崩れ落ちた。
「……どうして……どうして、こんなことに……」
膝に手をつき、震える身体を支えながら、唇を噛みしめる。
中庭には、教師たちが駆け寄っていたが、倒れた少年たちはすでに動かなかった。
空が、紅から紫に染まっていく。
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