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第一楽章
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黄昏の訪れた空。始まった頃だろうか。院内の廊下の窓から三夜は一昨日出かけたイベント会場の方角を眺めた。仕事もなんとかひと段落したし、救急でも来ない限りはしばらく休めそうだと、三夜は売店で購入した軽食とドリンクを持ち休憩室へと向かった。
なんだか今日は忙しいと言うより、騒がしい日だったなあ。
深夜に起きた幽霊騒ぎ。幽霊が出ると申し送りの恒例となっている病室で蒼白の顔に光る目玉の幽霊が本当に出たと数人の看護師の目撃情報は、朝になって出勤してきた看護師や医師たちの間で瞬く間に伝播していった。日が西へと傾き始め忙しさのピークも過ぎてようやく幽霊の話題が落ち着いたかと思えば、今度はどこかの棟でハリウッド映画に出てくるスター似のイケメンの来客を見たとか見ないとか、どうやらそれは小児科にも関係があるとかないとか、耳ざといグループから発信された情報はこちらもまた瞬く間に波及し、なんだかとってもざわついていた。まったくスタッフルームのなんと騒がしい一日だったか。
まあ病棟が平和で静かだったってことは何よりだけど。
廊下の途中、フリースペースではテレビの前で幽霊とイケメン情報に大きく沸いていた若い看護師と医師たちが患者と一緒に今度は多少遠慮しながらもやはりキャーキャーと騒いでいた。大画面に映るヨーロッパの中世貴族、ファンタジー映画さながらのゴシックな衣装を纏った金髪の王様は深く低いながらも伸びる声から、男声とは思えない高域まで自在に操り歌い上げている。
葉山君、相変わらず見事な声帯だなあ。
その横で火柱があがると、やんちゃな若き王を護るように両翼のギタリストたちが派手に登場し並び立った。その後方、霧のような煙の向こうにはベースとドラム、そしてキーボードの姿が見えた。
皆、すごいなあ。
とても同じ学舎にいたとは思えない。宙空投影と火煙を効果的に用いたそのステージ演出と圧倒的な音の映像に、音楽はおろかいわゆるエンタメ関係にはからきし疎い三夜でさえ鳥肌が立つ感覚がした。
「三夜先生! 先生も観ますか! 超かっこいいですよ!」
「各種美形を取り揃えたメンバー闇月最高です!」
両手に月をあしらった団扇を持った看護師とやはり団扇を持って画面に釘付けの患者たち。
「あ。うん。僕はこれ食べるから。皆さんもあまり興奮しすぎないでくださいね」
なんで団扇? あ、そろそろ夏だから? と思わないでもなかったが、三夜はやんわりと若いスタッフと患者たちに注意すると休憩室に向かった。
三夜は微妙な時間だからか、それとも休憩中のスタッフは皆あのフリースペースにある大画面の前なのか、誰もいない部屋の空いた席に座り、サンドイッチとサラダ、ほうじ茶ラテを机に並べ備品の2Dディスプレイの電源を入れると、ちょうど何万と言う観客を俯瞰で眺めるカメラが観客席の上を走りぬけステージへと向かっている途中の映像だった。音量を控えめに設定しサラダにドレッシングをかけてほうじ茶ラテの蓋をとって冷ます。ステージ上の友人たちは、わかっていても色々な意味で別次元の存在で、そこから発せられる音楽に思わず引き込まれてしまい入口から自分を呼ぶ声に反応するのに一瞬遅れてしまった。
「平盛教授! すみません。何かご用ですか?」
慌てて席を立った三夜を平盛は「いいよ。いいよ」と押し留めた。
「入っていいかい? 君にちょっと紹介したい人がいてね。ああ。そのままでいいよ。ようやくの休憩だろう? まあ、僕としては動画なんかを見るより食事を摂ったら仮眠を取ることを勧めるがね」
三夜は「そのままで」と言われたものの、広げた軽食を隣の机に移して片付けると「どうぞお入り下さい」と平盛に空いた席を勧めた。三夜の勧めに平盛は後ろにいるらしい人物に声をかけ部屋へと入ってきた。
「休憩中にすまんね」
「いえ」
平盛の後に続いて堅牢で見るからに重たそうなトップフレームケースを片手に入ってきた男は高そうなスーツを着こなし柔和な笑顔を見せる整った顔の若い外国人だった。
「紹介しよう。彼は、デイヴィ・グレアム。この前話したベンヌ社の者だよ。今回のGATERS会議に合わせて来日したそうだが、折りよく私のところへ寄ってくれた」
若く見えるがただのセールスマンと言うわけではなく、世界有数の製薬会社でそれなりの仕事を与えられているということは優秀な青年なんだろう。彼が多くのスタッフを浮き足立たせた張本人、ハリウッドスター似の来訪者だな。そう思いながら、三夜はグレアムと挨拶を交わすと差し出された手を握った。
先に席に座った平盛は、ディスプレイを消そうとした三夜の手を「そのままで」と止めた。二人がそれぞれ席に着くのを確認すると「さて用件だが」と幾分か声のトーンを落として平盛は話を始めた。
「例のあの子の状態はどうかな」
「今のところ落ち着いてはいますが、投薬の進行を遅らせる効果は期待ほどには出ていません」
「そうか。あまり時間はなさそうだね。前回君に話した内容だが、実は彼も私の提案に非常に興味を持ってくれてね。出来れば社に戻り次第、話を進めたいそうなんだ」
グレアムは平盛の話に相槌を打つように頷いた。
「私たちベンヌが幼い子どもたち、またそのご家族の助けとなるならば、我が社としてこれ以上の喜びはありません。社では今回の計画案が準備段階にあります。是非皆様の一助となるべくお手伝いさせて頂ければと思っております」
グレアムは真摯な顔で三夜に語りかけた。
「はあ。有難うございます。しかし平盛教授。先日お話頂いた時にも申し上げましたが私の一存では……」
「勿論、ここの部門長をはじめ上には僕が話しを通す。君に負担はかけないよ。ただその時が来たら本人とそしてご家族に説明してほしい。患者の君への信頼は君が思うよりずっと厚いと僕は思う。君はそういう医者だ。自信を持ちたまえ。僕は君に期待しているよ」
「それは……」
返答に詰まった三夜に平盛は抑えていた声のトーンを戻し、話が外に漏れ聞こえないようにとわざわざつけたままにした映像に話題を変えた。
「今すぐと言う話ではないし、今日は彼を君に紹介するのが目的だ。顔合わせとでも言おうかそんなところだから、そんなに難しく考えないでくれ。それはそうと一体何を見ていたんだね」
「LIVE BAND AIDのライブ映像です」
「三夜君。君がそういうものに興味があったとは知らなかったよ。だが今回のチャリティは世界のこどもがテーマなのだから小児科医としては気になるところなのかな」
「良くご存知ですね」
「ニュースを見る余裕ぐらい多忙の僕にもあるよ。それに、君はアヴィアンと言う歌手を知っているかい? 僕は彼のファンなんだ。素晴らしい歌声だよ」
「すみません。私は疎くて」
「謝ることはないよ」
観客席から沸き起こった歓声に、平盛がステージに目を向けた。
「今ステージにいるのは、彼らか」
「ええ。ご存知でしたか」
「過去の話とは言え一部の学生、教授陣、それから本部にもまだまだ有名であったし今回のこの世界的チャリティイベントに参加すると言うニュースでまた再燃しているところだったよ。良きにつけ悪しきにつけ彼らの話題がね」
ステージに蠢く火炎の中から漆黒の衣装を身にまとったギタリストが現れた。ギタリストの合図とともに、その火炎は彼が操る炎の傀儡、無数の僕に姿を変えた。その演出は火煙師であるタケシの技術と宙空投影が完璧に融合した空間で、そこに鳴り響く音はあたかもその世界を現実だと感じさせ、その世界に引き込まれた観衆はさらにヒートアップしていった。
闇の公爵様のお出ましか。入谷、似合いすぎだよ。
三夜は観客の熱気を一身に受けている友人を見た。
「目をかけてやったのに、馬鹿な男だ」
三夜は小さく平盛が苦笑交じりに残念とも呆れとも呟いた言葉にそっと視線を向けたが、それよりも入谷がギターソロを弾き始めた途端、同じくステージを見ていたグレアムが緊張したように体を強張らせたことがなぜだか気になった。
なんだか今日は忙しいと言うより、騒がしい日だったなあ。
深夜に起きた幽霊騒ぎ。幽霊が出ると申し送りの恒例となっている病室で蒼白の顔に光る目玉の幽霊が本当に出たと数人の看護師の目撃情報は、朝になって出勤してきた看護師や医師たちの間で瞬く間に伝播していった。日が西へと傾き始め忙しさのピークも過ぎてようやく幽霊の話題が落ち着いたかと思えば、今度はどこかの棟でハリウッド映画に出てくるスター似のイケメンの来客を見たとか見ないとか、どうやらそれは小児科にも関係があるとかないとか、耳ざといグループから発信された情報はこちらもまた瞬く間に波及し、なんだかとってもざわついていた。まったくスタッフルームのなんと騒がしい一日だったか。
まあ病棟が平和で静かだったってことは何よりだけど。
廊下の途中、フリースペースではテレビの前で幽霊とイケメン情報に大きく沸いていた若い看護師と医師たちが患者と一緒に今度は多少遠慮しながらもやはりキャーキャーと騒いでいた。大画面に映るヨーロッパの中世貴族、ファンタジー映画さながらのゴシックな衣装を纏った金髪の王様は深く低いながらも伸びる声から、男声とは思えない高域まで自在に操り歌い上げている。
葉山君、相変わらず見事な声帯だなあ。
その横で火柱があがると、やんちゃな若き王を護るように両翼のギタリストたちが派手に登場し並び立った。その後方、霧のような煙の向こうにはベースとドラム、そしてキーボードの姿が見えた。
皆、すごいなあ。
とても同じ学舎にいたとは思えない。宙空投影と火煙を効果的に用いたそのステージ演出と圧倒的な音の映像に、音楽はおろかいわゆるエンタメ関係にはからきし疎い三夜でさえ鳥肌が立つ感覚がした。
「三夜先生! 先生も観ますか! 超かっこいいですよ!」
「各種美形を取り揃えたメンバー闇月最高です!」
両手に月をあしらった団扇を持った看護師とやはり団扇を持って画面に釘付けの患者たち。
「あ。うん。僕はこれ食べるから。皆さんもあまり興奮しすぎないでくださいね」
なんで団扇? あ、そろそろ夏だから? と思わないでもなかったが、三夜はやんわりと若いスタッフと患者たちに注意すると休憩室に向かった。
三夜は微妙な時間だからか、それとも休憩中のスタッフは皆あのフリースペースにある大画面の前なのか、誰もいない部屋の空いた席に座り、サンドイッチとサラダ、ほうじ茶ラテを机に並べ備品の2Dディスプレイの電源を入れると、ちょうど何万と言う観客を俯瞰で眺めるカメラが観客席の上を走りぬけステージへと向かっている途中の映像だった。音量を控えめに設定しサラダにドレッシングをかけてほうじ茶ラテの蓋をとって冷ます。ステージ上の友人たちは、わかっていても色々な意味で別次元の存在で、そこから発せられる音楽に思わず引き込まれてしまい入口から自分を呼ぶ声に反応するのに一瞬遅れてしまった。
「平盛教授! すみません。何かご用ですか?」
慌てて席を立った三夜を平盛は「いいよ。いいよ」と押し留めた。
「入っていいかい? 君にちょっと紹介したい人がいてね。ああ。そのままでいいよ。ようやくの休憩だろう? まあ、僕としては動画なんかを見るより食事を摂ったら仮眠を取ることを勧めるがね」
三夜は「そのままで」と言われたものの、広げた軽食を隣の机に移して片付けると「どうぞお入り下さい」と平盛に空いた席を勧めた。三夜の勧めに平盛は後ろにいるらしい人物に声をかけ部屋へと入ってきた。
「休憩中にすまんね」
「いえ」
平盛の後に続いて堅牢で見るからに重たそうなトップフレームケースを片手に入ってきた男は高そうなスーツを着こなし柔和な笑顔を見せる整った顔の若い外国人だった。
「紹介しよう。彼は、デイヴィ・グレアム。この前話したベンヌ社の者だよ。今回のGATERS会議に合わせて来日したそうだが、折りよく私のところへ寄ってくれた」
若く見えるがただのセールスマンと言うわけではなく、世界有数の製薬会社でそれなりの仕事を与えられているということは優秀な青年なんだろう。彼が多くのスタッフを浮き足立たせた張本人、ハリウッドスター似の来訪者だな。そう思いながら、三夜はグレアムと挨拶を交わすと差し出された手を握った。
先に席に座った平盛は、ディスプレイを消そうとした三夜の手を「そのままで」と止めた。二人がそれぞれ席に着くのを確認すると「さて用件だが」と幾分か声のトーンを落として平盛は話を始めた。
「例のあの子の状態はどうかな」
「今のところ落ち着いてはいますが、投薬の進行を遅らせる効果は期待ほどには出ていません」
「そうか。あまり時間はなさそうだね。前回君に話した内容だが、実は彼も私の提案に非常に興味を持ってくれてね。出来れば社に戻り次第、話を進めたいそうなんだ」
グレアムは平盛の話に相槌を打つように頷いた。
「私たちベンヌが幼い子どもたち、またそのご家族の助けとなるならば、我が社としてこれ以上の喜びはありません。社では今回の計画案が準備段階にあります。是非皆様の一助となるべくお手伝いさせて頂ければと思っております」
グレアムは真摯な顔で三夜に語りかけた。
「はあ。有難うございます。しかし平盛教授。先日お話頂いた時にも申し上げましたが私の一存では……」
「勿論、ここの部門長をはじめ上には僕が話しを通す。君に負担はかけないよ。ただその時が来たら本人とそしてご家族に説明してほしい。患者の君への信頼は君が思うよりずっと厚いと僕は思う。君はそういう医者だ。自信を持ちたまえ。僕は君に期待しているよ」
「それは……」
返答に詰まった三夜に平盛は抑えていた声のトーンを戻し、話が外に漏れ聞こえないようにとわざわざつけたままにした映像に話題を変えた。
「今すぐと言う話ではないし、今日は彼を君に紹介するのが目的だ。顔合わせとでも言おうかそんなところだから、そんなに難しく考えないでくれ。それはそうと一体何を見ていたんだね」
「LIVE BAND AIDのライブ映像です」
「三夜君。君がそういうものに興味があったとは知らなかったよ。だが今回のチャリティは世界のこどもがテーマなのだから小児科医としては気になるところなのかな」
「良くご存知ですね」
「ニュースを見る余裕ぐらい多忙の僕にもあるよ。それに、君はアヴィアンと言う歌手を知っているかい? 僕は彼のファンなんだ。素晴らしい歌声だよ」
「すみません。私は疎くて」
「謝ることはないよ」
観客席から沸き起こった歓声に、平盛がステージに目を向けた。
「今ステージにいるのは、彼らか」
「ええ。ご存知でしたか」
「過去の話とは言え一部の学生、教授陣、それから本部にもまだまだ有名であったし今回のこの世界的チャリティイベントに参加すると言うニュースでまた再燃しているところだったよ。良きにつけ悪しきにつけ彼らの話題がね」
ステージに蠢く火炎の中から漆黒の衣装を身にまとったギタリストが現れた。ギタリストの合図とともに、その火炎は彼が操る炎の傀儡、無数の僕に姿を変えた。その演出は火煙師であるタケシの技術と宙空投影が完璧に融合した空間で、そこに鳴り響く音はあたかもその世界を現実だと感じさせ、その世界に引き込まれた観衆はさらにヒートアップしていった。
闇の公爵様のお出ましか。入谷、似合いすぎだよ。
三夜は観客の熱気を一身に受けている友人を見た。
「目をかけてやったのに、馬鹿な男だ」
三夜は小さく平盛が苦笑交じりに残念とも呆れとも呟いた言葉にそっと視線を向けたが、それよりも入谷がギターソロを弾き始めた途端、同じくステージを見ていたグレアムが緊張したように体を強張らせたことがなぜだか気になった。
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