旅の紀行記怪談

Eisei 5

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第2章 紀行記怪談『恐山』

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 ( ぴちゃん、…ぴちゃん、…ぴちゃ …  )

 真っ暗い部屋の中、浴室から聞こえて来る水の滴る音が、暗く静まり返った室内に、雫の滴り落ちる音を規則正しく響き渡らせている。
 ( ぴちゃん、…ぴちゃん、…ぴちゃん… )

 ( ぴちゃん、…ぴちゃん、…ぴちゃん… )
 止む気配も見せないまま、水滴の滴る音は響き続ける。
 
 目を覚まされてしまった私は、頭の上の、ベッドヘッドに組み込まれている目覚まし時計の表示を確かめる。時間は丁度、午前二時を指していた。昨夜、疲れ果てていた私は、シャワーを浴びて直ぐにベッドに潜り込んでいたのだった。
 浴室の入り口のドアは開け放してあった。ビジネスホテルに宿泊する時、私はいつも、部屋の湿度を保つためそうしていた。
 ( ぴちゃん、… )
 水滴の落ちる音は相変わらず、暗く、シーンと静まり返った静寂な部屋の中に、乾いた余韻を纏いながら響き続ける。

 ( ぴちゃん、… )……… 。
 規則的過ぎる、単調なリズムを刻みながら。

 
 ”   ‥  …。  ”
 頭の中で、私はそう溜息を吐く。
 私の性分からして、浴槽の水道の蛇口や、シャワーから水が滴るような真似は絶対にしなかったから。だから私は、瞬時にそれが何らかの怪異だと感じ取っていた。
 暗闇に目が慣れてくると、薄いカーテンを通して、外の街灯の灯りが狭い部屋の中を僅かに薄っすらと浮き上がらせている。その中で、足元の先に開け放された浴室のドアが、薄闇の中に僅かに白く浮き上がって見えている。
 
 「…うるせーな。止めに行くか?」
 小さく溜息を吐く。眠気に霞んだ頭の片隅で、一瞬そう考えが過った。だが直ぐに、私の意識は閉じられ、再び元の闇の中へと沈んでいった。

 それは、信濃川沿いのビジネスホテルの一室だった。
 そして当然の様に、翌朝目を覚ました私が浴室の蛇口を調べて見ても、どこにも水の滴った痕跡は見つからなかった。


 「それでは、以上7演題を関東甲信越ブロック代表として、東京での全国大会への選出演題といたします」
 「表彰式を行いますので、選出者はステージ中央にお並びください」
 私はスーツの前ボタンを掛けながら、ステージへと上がった。
 それは新潟市で開かれた、あるコンクールだった。代表として参加した私は、東京で開催される全国大会の代表として選出されたのだった。
 それはその前日、そのビジネスホテルに宿泊した夜のことだった。

 「明後日から三日間、夏休みか。車だし、どっか行くか」
 弁当の空箱や、ブラックコーヒーの空き缶が散らかったテーブルの上には、東北地方の旅行ガイドブックが広げられている。さっきホテルにチェックインする前にコンビニで弁当を買った時、窓際の書架にあったガイドブックを買ってきたのだった。

 「東北、か…。」
 ガイドブックの表紙の裏に添付された、東北地方の地図を開いてみる。折込の地図は二つに折りこまれていた。
 一つ目の折り目を広げてみる。開いた地図の一番上の方には、岩手県が半分だけ見て取れた。更に折りこみ地図を広げる。広げた地図のその先には、津軽海峡の向こうに北海道が一部覗いていた。
 「さすが東北。北に長いなぁ。」東北地方は広大で、一枚の地図には収まりきれてはいなかった。その時、正直私は新潟から北には行ったことがなかった。
 地図の一番上に目を落とす。
 そこには陸奥湾と下北半島があった。じっと目を凝らす。
 「ここが、恐山おそれざんか…。」下北半島の中央に恐山と記載されている。
 私は、昔の記憶を辿りよせていた。


 あれは小学生か、中学生の頃、私は自分で自分自身に呪いを掛けていたのだった。
 ” 何時いつか、恐山を訪れねばならない ”、と。
 
 当時、テレビでは心霊系の番組が流行りで、夏休みなどは昼日中から心霊番組が放映されていた。ブラウン管の中では、今や伝説として語られる数多の霊能力者達が、顔や手指が写り込んだ心霊写真を前に声高に蘊蓄うんちくを語っていた。
 「この肩に載る手。うーん…、いけませんねぇ。これはですね、ご先祖の霊が…」
 そして心霊の特番では、心霊、魂の聖地として、大概、青森県の陸奥湾の向こうに位置する恐山が、必ずと言っていいほど取り上げられていた。
 その頃、私はなぜか心霊番組が好きだった。だから、いつか恐山に行ってみたいと思っていた。それは子供時代の、何の根拠も無いただの憧れだったのだろう。だが、大人になった今も時々怪しい出会いをする私は、あの時そう心に決めた ” その呪い ” をずっと心の奥底にしまい続けていた。

 
 「そうだ、恐山行こ!」

 翌日の夕方、コンクール終了後、そのまま私は日本海側を北上していた。
 初日の夜は鳥海山の麓の道の駅で車中泊。女房のお古のパ⚪︎ソはシートがフルフラットになって、車中泊するには最高だった。周りにも駐車場に車を止め、翌日の旅に備え車中泊をする車がたくさん停まっている。水回りもトイレもすぐ近くにあって、利便性も言うことなし。
 まぁ、今は道の駅での車中泊は色々と制限があって難しいみたいだけど、その当時はまだ自由に車を停めることができていたから。

 翌朝、目を覚ますと再び北上。ひたすら北上。
 夏の日本海の海は、不透明に光ってのっぺりとして見えていた。
 山形、秋田を経て青森県へと入る。
 「うーん…。さすがに遠いゎ」
 二日目の夜も、陸奥湾沿いのやはり道の駅で車中泊。まだ、恐山には届かない。

 翌日、やっと下北半島へ。
 恐山へ向かう山道をひたすら上っていく。右へ左へとぐねぐねと。
 目の前が開けると、左手に赤い橋が見えてくる。赤い太鼓橋。それは三途の川を渡る橋で、残念ながら老朽化で渡れなかったけれど。袂には奪衣婆だつえばと、懸衣翁けんえおうの像が。それを過ぎると、いよいよ恐山霊場の広い駐車場へと向かう。

 その日は7月の最終土曜日で、偶然、夏季例大祭の日だった。
 山門をくぐって直ぐの参道の入口脇の広場に、車輪が付いたイタコさんの小さな小屋が三つ。小屋の中や小屋の前には既に、口寄せの順番を待つ人達が大勢並んでいた。
 参道を進むと、参道脇に「湯小屋」と呼ばれる大きな木造の掘っ立て小屋が建ち、中には硫黄の臭いが漂う乳白色に濁った湯舟があった。入山料を払えば入浴できたから、よっぽど入浴しようか迷ったけれど。結局、入浴は断念。脱衣所には籐の脱衣籠しかなかったから、一人旅の私としては、もし置き引きにあったら…。

 恐山菩提寺に地獄めぐり。荒涼とした景色の中に、賽の河原には沢山の石積と赤い風車が風にからからと回ってる。
 青空の下に、青く透き通った湖面が光る宇曽利湖と極楽浜。白い湖畔の浜にも赤い風車が風に回る。カラカラ、カラ……

 賽の河原の地蔵堂は、八角円堂とも呼ばれ、死者が降りてくる場所とされる。
 堂内には、死者がいつ来ても良いようにと家族を失った遺族の方が納めた、亡くなった人の衣服や玩具などの故人が愛用した遺品が納められている。
 そのため、八角円堂には悲しみや無念が溜まり充満していると言われていて、心の弱い人が訪れると他人の悲しみの業をもらいやすく、敏感な人は立ち寄らない方が良いとされる。
 だが、これは恐山から帰って調べてみて初めて分かった事で、その時の私はその事を知らなかった。だから全てが、もはや手遅れであったのだが。
 まあ、亡くなった方の遺族の悲しみや無念を拾ってしまうからとのことで、死者のとは書いてはいなかったのだけれども。

 それなのに。
 私はその様なことも知らぬまま、八角円堂に立ち入りお参りをしていた。
 その時の堂内には、亡くなった方々の服などの遺品の品がずらっと壁に掛けられていて、とても言葉では言い表しようもない空気の密度と独特ので満たされていた。そして、当然の様に私は、その雰囲気に当てられてしまっていた。それは、匂いに対しての過敏症、もしくは共感覚が成した業だったのだろうか。

 帰ってからも、今もまだ…
 八角円堂の堂内の匂いとイメージ強く記憶の中に 恐怖と畏怖の感情を纏った記憶として書き込まれたままになっている。新たな記憶で上書きして消し去ることもできないままで。正直、今だ時としてそのイメージが心に湧き上がり、怖れに身を震わす事もある。

 恐山は、あの世とこの世とを繋ぐ場所と言われている。
 霊山であるが、霊感の強い人は行かない方が良いとも言われる。
 だが私も、心霊スポットとなどという生半可な気持ちで恐山を訪れた訳ではなかった。そして、あの子供の頃の ” 呪い ” を解くためだけでもなく。亡くなった両親を悼むための霊場として恐山を訪ね、菩提寺をお参りさせて頂いたとの確かな自負はある。

 
 恐山を訪ねると一度死を経験したことになり、新しい自分に生まれ変われるとも言われるという。
 
 果たして私は、………    
 生まれ変われたのだろうか。

 
 (了) 
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