五十一歳、森の中で家族を作る ~異世界で始める職人ライフ~

よっしぃ

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第169話:聖域の決断、それぞれの戦いと聖女の祈り

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 聖域での最初の朝は、静かな、しかし切実な混乱の中で幕を開けた。数百人という新しい仲間たちは、長年の恐怖から解放された安堵と、見知らぬ場所への戸惑いが入り混じった表情で、仮設住居の周りで身を寄せ合っていた。朝食の配給、傷の手当て、そして何よりも、これからどうなるのかという不安。彼らを受け入れたアキオの町にとっても、これは歴史上最大の試練だった。

 夜明けと共に、中央館の集会室には町の主要メンバーと、新しい住民の代表としてアヤネの兄カイが緊急招集された。 「凛殿、現状の町の備蓄で、数百人を受け入れた場合の見通しを」 アキオの言葉に、秘書官である凛は、徹夜でまとめたであろう資料を広げた。 「はい。食料の備蓄は、節約すれば一月ほどは持ちこたえられますが、医療品、特に消耗品と、寝具や衣類が圧倒的に不足します。早急に、大規模な仮設住居の建設準備に取り掛かるべきかと」 凛の冷静な報告に、皆の顔が引き締まる。アキオは、集まった全員の顔を見渡し、そしてカイに視線を向け、力強く宣言した。 「皆、聞いてくれ。まず住居だ。今すぐに、全員が安心して眠れる家を建てる。それまでの間、この中央館も皆の家だ。特に、子供がいる家族、病人や年寄りは、今日から館の中へ移ってくれ」 そして、アキオは続けた。「俺の部屋も、今夜から使ってくれ。俺は、シルヴィアの部屋か、あるいは生命樹のそばで休むから、心配いらない。一人でも多く、屋根の下で安心して眠れるようにしたいんだ」 そのリーダーとしての自己犠牲的な決断は、元々の住民たちには深い感銘を、そしてカイをはじめとする新しい住民たちには驚きと、この指導者への確かな信頼を抱かせるものだった。

 その日、アキオの号令一下、町はそれぞれの持ち場で、それぞれの「戦い」を開始した。

 建設の現場では、カイとアルトがリーダーシップを発揮していた。カイは、元奴隷だった仲間たちの中から、土木や石工の経験がある者を見つけ出し、驚くべき統率力で彼らをまとめ上げた。アルトは、ヴァルト子爵領で学んだ石造建築の知識と、アキオから教わった技術を融合させ、大規模な恒久住居の設計図を描き、建設の指揮を執る。二人の若いリーダーのもと、町の男たちは一体となって、未来の礎を築き始めた。

 衣料問題には、アルトの姉サラが立ち上がった。彼女は、シルヴィアから町の衣料事情を聞くと、その卓越した織物の知識で、町の女性たちや「希望の会」の未亡人たちをまとめ、一つの工房を組織した。イラクサに似た植物の繊維をより柔らかく加工する方法、獣の皮を効率的になめし、防水性の高い布を作り出す技術。彼女の指導のもと、町の衣料生産は、質・量ともに飛躍的に向上し始めた。

 そして、最も緊急性の高い食料問題には、キナが挑んでいた。 「だんな! 町ン中のことは任せたぜ! 食いもんは、あたしたちが何とかしてくらあ!」 彼女は町の狩人たちをまとめ上げ、大きく成長した3体の聖獣の子たちを伴い、大規模な狩猟部隊を率いて森の奥深くへと向かった。聖獣たちの超常的な探索能力と、キナの神狼の血を引く狩りの腕が合わさることで、その日の夕方には、彼らは村の備蓄庫を数日分は満たすほどの、大量の獲物を確保して帰還した。

 一方、中央館と、その周辺に広がる仮設住居では、アヤネがその慈愛に満ちたリーダーシップを発揮していた。彼女は、「希望の会」の未亡人たちや、避難民の中の年配の女性たちをまとめ、中央館の解放された区画に大規模な共同託児所・看護所を設立した。アキオ家の多くの赤ん坊たちと、避難民の幼い子供たちは、ここで分け隔てなく、多くの「母親」たちの手によって愛情深く世話をされた。アヤネは、同じ故郷の言葉を話せる者として、心に深い傷を負った女性や子供たちに寄り添い、彼女たちの話を聞き、その心を解きほぐしていく。その姿は、まさに聖域の聖母のようだった。

 そして、その全ての営みを、光妃アウロラが、霊的な次元で支えていた。彼女は、生命樹の麓で、双子の「暁の御子」アキラとアケミと共に、町全体を包み込むような、巨大な祈りと浄化の儀式を始めた。彼女から放たれる清浄で温かいオーラは、町中に満ち渡り、数百人もの人々が持ち込んだ恐怖、絶望、憎しみといった負の感情や、奴隷生活で受けた魂の傷を、優しく癒やし、浄化していく。人々は、悪夢にうなされることなく、数年ぶりに穏やかな眠りを得ることができた。彼女こそが、この町の「聖域」としての機能を最大限に高め、魂レベルでの救済を行う、精神的な支柱だった。

 その日の午後、アキオは凛と共に、ヴァルト子爵への親書を書き上げていた。現状の報告と、先日決めた「相互扶助・緊急交易協定」の正式な提案書だ。凛の明晰な頭脳によって、それは見事な外交文書として完成した。使者が、その重要な親書を携え、ヴァルト子爵領へと出発する。

 夜。アキオは、自室を明け渡したため、約束通りシルヴィアの私室、二人の「愛の巣」を訪れた。 「…すごい一日だったな」 「ええ、アキオ。でも、皆、自分の役割を見つけ、生き生きとしていましたわ。カイ殿も、サラさんも、凛さんも…そして、アヤネも、キナも。皆、本当に素晴らしいわ」 シルヴィアは、アキオの背中にそっと寄り添いながら言った。 アキオは、町全体で繰り広げられるそれぞれの「戦い」を思い浮かべ、この試練を必ず乗り越えられると確信していた。この町は、もはや彼一人が支える場所ではない。多様な才能と、強い意志を持つ人々が、互いに支え合い、未来を築いていく、真の共同体なのだ。 アキオは、愛する正妻の温もりを感じながら、明日への新たな決意を固めるのだった。
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