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第二章 恋におちたら
18 side哉
しおりを挟む「いってきます」
そう言って家を出た樹理を見送ってパソコンのニュースサイトとメールをチェックして午前中を過ごし、哉も外出した。目的は散髪だ。
いい時代になったもので、本は自宅でほとんど買える。国内の新書、文庫はもちろん、昔は大手書店で注文しなければ手に入れられなかった洋書から、ビジネス雑誌に至っては在庫さえあればだが、バックナンバーも豊富にそろっている。紙というものはかさばる上に重い。運ぶ手間を考えたら、キーを打って注文するだけで届けてもらえるのは大変ありがたい。
ただ、やはり散髪だけは自分で出向かなければ難しいようだ。こちらも忙しい身だが、それなりに有名どころだと相手も同じである。
それでも、昔何度も練習台にされていただけのことはあって、名乗ったら二つ返事だった。
相手が告げた店名と電話番号を教えられたナビは、東京の一等地へと哉を案内した。近くの駐車場に車を止めて、買い物客とも観光客とも取れる人々の間をマイペースに進んでいく。
昼時を少し過ぎたころに目的の店のガラスのドアを押すと、大勢のスタッフがそれぞれのタイミングでいらっしゃいませと声を上げる。その数はざっと見渡しただけでも十名を超えている。
「ようこそ。ご予約ですか?」
「ええ」
「ご指名は?」
「緒方さん……緒方未来さんです」
名を告げると、カウンタの向こうの女性がほんの少し目を見張る。
「店長ですね。少々お待ちください」
後ろを振り返り、誰かに目で合図を送っている。すると客の髪を切っていた長身の男性が小声で客に断ってカウンタの向こうの女性と代わった。
「氷川さまでございますね。申し訳ありません、ただいま店長は私用中でして、しばらくお待ちいただきたいと伝言を預かっております。……十分もかからないと思いますが、よろしければお飲み物をお持ちしますので、あちらの席でお待ちいただけないでしょうか?」
男性が片手で指したのは、通りに面した場所にしつらえられたカフェテリアのようなブースだ。もちろん店内で、通りとはガラスで仕切られている。
「かまいません。待たせてもらいます」
「ありがとうございます。お飲み物は?」
「紅茶を。葉の種類はお任せします」
「かしこまりました」
応対は男性が全てしたが、ここからは初めの女性に代わった。すぐに紅茶がポットで運ばれ、茶菓子までついている。
ゆっくりと二杯目の紅茶を飲んでいると、奥からなにやらあわただしい雰囲気が移動してくる。私用と聞いた瞬間見当はついたが、想像通りの人物がそこに現れた。
「うっわー 哉ちゃんひっさしぶりー」
底抜けに陽気で間抜けなせりふを吐いたのは、茶色い髪を後ろで縛った美青年だ。背はそんなに高くないのだが、頭が小さくて手足もほどほどに長く、均整が取れている。よく通った鼻筋に、くっきりと二重の大きな瞳は猫のようで、細すぎない程度に鋭角なあご。何か塗っているのかと思えるほどしっとりとした唇は、いたずらっぽい笑みの形だ。
カットを待つ客や、毛染めやパーマの間にくつろいでいる客たちが、みんなぽかんとその美青年を見つめている。
「お久しぶりです、次能(つぐのう)先輩」
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