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第二章 恋におちたら
76 side樹理
しおりを挟む一階に止まっていたエレベータを呼ぶ。
「ワシものう、小夜子さんとのことは親戚一同大反対だったんじゃ。息子より若い嫁じゃて歳も離れておったし、小夜子さんの仕事ものう、小さいバーの雇われママでなそんな女にたぶらかされてと散々じゃったよ」
ポーンと電子音が鳴り、ドアが開く。独り言のようにつぶやく老人に、黙って樹理がついていく。
「なによりの、小夜子さん本人がもう頑として頷いてくれなんでな。結局老い先短いジジイの最後の願いじゃと頼んで頼んで拝み倒して」
そこで言葉を切り、思い出し笑いのような笑みを浮かべて続ける。
「それでもうんと言ってもらえんで。仕方ないのでな、死にかけの芝居をして後生だとだまし討ちで婚姻届にサインと判を押させたんじゃ」
「………怒られたんじゃないですか? 小夜子さんに……」
だまし討ちにもほどがある。しかも、あまり疑えないだまし討ちだ。
「おおともよ。それはもうご立腹だったがの、今までどおり店も続けてよいし、時々ワシの面倒を見てくれたらいいってことでな、引き受けてくれたんじゃよ。こうやって突然でも店を閉めて温泉に行ってくれたりもするしのう。やっぱりワシの女を見る目はまだまだ曇っておらんと思ったのう」
見る目は曇っていなくても、行動はかなり怪しい。
「ワシはの、美味い酒や美味い飯を作ってくれる女にハズレはないと思っとる。お嬢さんは要らん災厄を被るかもしれんが、あれとおってやってもらえんかな。ワシものう、十二でなんとか外に出してやれたんだが、もうちいと早ぅあれを何とかしてやれたらよかったと今でもちぃっとだけだが、悔いておるのよ。明日も知れんジジイの心残りを何とかしてやってくれんか? いやだと言われたらまた死んだフリせねばならんのだがの」
断られるなんて微塵も思っていないのだろう。にこにこと冗談まで言って、一階に止まったエレベータから降りる。
「ここまででええよ。あれに言っといてくれ。コレはニセもんじゃ。鍵は早ぅ変えたほうがええぞとな」
そう言って何もプリントされていないカードを樹理に渡し、エントランスの自動ドアを抜けていく。
「あの、ありがとうございました。今度来るときはご連絡いただけたらうれしいです。あと、食べたいものも教えてくださいね」
自動ドアが閉まる前に、樹理が慌てて言う。老人はその言葉に振り返って、やっぱりにこにこと上機嫌に笑い、背を向けて歩いていった。
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