幸せのありか

神室さち

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OVER DAYS

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 その後は本当にあっと言う間だった。まず国内支社と取引先を巡ったのだが、大阪にある関西本社と神戸支社以外はスムーズに予定通りこなせたし、その後のアジア、欧州、アメリカにある支社をいくつかと取引先を多数回ったがこちらもあっさり問題なく終えられた。飛行機に乗っていた時間のほうが遥かに長かった。その間、暇ができれば哉は引継書を開いている。ページの一言を指でつついてなにやら思案もしている。


 が、その引継書はいわゆる『ドッグイヤー』と呼ばれる端を折った目印も付箋も、文章に下線も蛍光ペンのマーキングも一切ついていない。ついていないのに、彼が熟読している箇所は数箇所あるが読みたいページを開くにも何の迷いもなくスパッと一撃で開けている。何度も同じ場所を開けば癖がつくので、そのためだとは思うが前後を探すようなこともない。同じように幾度か読んでいる篠田のものより使い込まれているのに、やたらと綺麗だ。


 記憶力が桁外れに良いと言うことは、本社内のあいさつ回りについていたときに思い知った。先に社内報を見ていたのだろうが、主要な役職については紹介をする前にほぼ名前と顔が一致しているようだったし、業務の内容についても把握していた。


 次に国内外支社取引先だが、そちらについても全く問題なく顔合わせもスムースだった。ごくたまに、イレギュラーな人物や会社名が出てきた時はさすがに対応が鈍るが、いくつかのキーワードさえ提供すればすぐに相手にふさわしい話題を返している。話さない人物かと思ったが、ビジネスワーク上では相手を退屈させない程度の話題を持ち、話術もそれなりだ。


 デフォルトが無表情なので何を思っているのか推察し辛いのが難点と言えば難点だが、それ以外については子供じみた我が侭も言わないし、頼まなくても覚えるべきことはきちんと事前に完璧にインプット済みだし、仕事らしい仕事はまだ殆どないが、この過密スケジュールでも文句一つ言わない。ついでに、こちらが気を揉まなくても最低限の体調管理もできる。思いの外と言うより、拍子抜けするほど扱いやすい。


 十日ぶりに副社長室に帰ってみれば、その手前にある秘書室が様変わりしていた。デスクの位置が変えられて、出発前はいなかった秘書課内で移動してきた女性秘書二人と、今年の幹部候補生テストに合格した男性秘書が一人、各々のデスクで前の秘書たちから引き継がれたファイルを熱心に読んでいた。


 午前十一時に成田に到着する便で帰国して、その足で出勤したので、時刻は既に午後を大分回っている。


 一応のノックの後入ってきた哉と篠田を見て、三人が立ち上がって礼をする。篠田は既に三人とも顔を知っていたのだが、あえて秘書それぞれに挨拶をさせて、その奥の副社長室へ入った。


 重い書類やパソコンを詰め込まれた哉が長年使ってきたと思われるビジネスバッグは、出張中に絹を引き裂く悲鳴を上げて殉死した。現在彼が使っているのは現地で調達したブランド物のバッグだ。


 哉がバッグを音も立てず机において、中から白い記憶媒体を取り出し、ずいっと篠田に向けて手を伸ばした。

「入っている文書を全部プリントアウトして持ってきてくれ」

「わかりました」

 記憶媒体を受け取って、秘書室に取って返す。若い方の女性秘書、鈴谷にその役目を命じて自身のデスクに戻り変更されたスケジュールや追加の面会希望などに目を通していると、鈴谷がやってきた。


「あのう……篠田室長」

「なんだ?」

「あの中身、ざっと見ただけで紙にしたら三百枚くらいになると思うんですが……ここのプリンタだとどのくらい掛かるか……フォルダが五つあるので、とりあえず一つずつ、刷り上ったものから副社長にお持ちしたら良いですか?」


「そうだな。それからデータを移して、下の秘書事務室の高速プリンタも使わせてもらえ。瀬崎、行って来い」

 篠田が言い終わって内線を繋ぎ、事務室にプリンタの使用について了解をつける間に、鈴谷がデータを自身にあてがわれたパソコンにコピーして、記憶媒体を瀬崎に渡している。あとはアイコンタクトで瀬崎が頷いて部屋から出て行った。


 三百枚。一体何が書かれているのかと吐き出される紙を手にとって見れば、鉄鋼部門の現状と改善点、今後の展望など見やすい程度の行間をあけたレポートだ。


 哉が任された部門は五つ。一部門に単純に割って六十枚のレポート。これをあの移動兼休息の合間に業務をこなしていた十日ほどで書き上げたのか。


 刷り上ったものを手に、篠田は色々な成分を含んだため息をついた。



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