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OVER DAYS
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しおりを挟むこれまでの更生計画の進捗状況の報告会で、それは起こった。まず、哉が決断を翻して残した会社が槍玉に挙がり、そこをついてきた同業の社長を哉が言いくるめた。ここまではいつもの流れで、哉はその一身に彼らの非難を受けて立っている。
どれだけマイナスの感情ばかりを投げかけられても、それでもその感情を買って、同じく感情で返すことを哉は一度もしたことがない。怖いくらい冷静な態度で理路整然と相手を袋小路に追い詰めると言う、どちらかと言うともっと酷い手法で攻めて行く。
そこまではいつもの流れだった。しかし、いつも隅っこに居て、これまで一度たりとも発言をしたことのない、ここに集められたメンバーの中でも若い方の部類に入る男がぼそりと呟いた一言がいけなかった。
どこかから流れる噂など、巡り巡って皆の耳に入っている。誰もが氷川の長男と次男の軋轢は聞き及んでいたはず。言った本人も、つい本音がポロリと零れただけだろうが、運悪く会議室内は哉の短いが辛らつな言葉が劣化ウラン弾のように、後々にまで禍根を残しそうなレベルの絨毯攻撃が繰り広げられ、相手社長の陣地が灰燼に帰した余韻で他の音が全くなかったのだ。
誰もが哉と目をあわそうとせず、言った当人ももともと気の小さい人間なのだろう、真っ青になって俯いている。
「言いたいことはそれだけですか?」
逆に、やさしい口調が更に冷え冷えと室内に広がった。
会議室内は眠くならない程度にゆるく暖房が効いていたはずだが、いきなり氷点下になったかのような錯覚を起こすほど空気が冷える。
口元は笑っているが、その瞳は蒼い氷点下の焔を上げている。その場にいた数名が武者震いをするように体を揺すらせていた。
放っておくと錯覚の冷気を当てられている彼らの体が本当に凍りかねない様子なので、哉の隣で補佐していた篠田が音頭を取って次の報告会の日時を告げてお開きにした。
コソコソと逃げるようにいい年をした大人が背を丸めて去っていくのを哉が睥睨するように見送った。誰もいなくなってから、下らないとでも言いた気に固いイスに背を預けてフンと鼻を鳴らしている。
哉がこんなにも感情を顕わにする事は……これまでなかったことだ。少なくとも、今日集まった面子には哉が人並みに感情を持った人間だと言うことが理解できただろう。
それでも五分ほども静かに座っていれば切り替えができたらしく、音を立てずに立ち上がってさっさと執務室に帰って他にも山とある仕事に取り掛かっていた。
毎度変わらず午後八時を過ぎても腰を上げない哉を、それでも執務室から追い出したのは午後九時を少し回った頃。そのまま家まで送ろうと進路を決めた篠田に、哉が初めて家以外の目的地を指示した。
こちらからの接待でよく使う、雰囲気のよいクラブに向かってくれと言われて、どうしたものかと考える。が、顔が知れている飲み屋であるのならと諒解して車を進め、一人でいいと篠田の同行を断った哉を置いて車を少し走らせ、クラブに連絡を入れておく。そうすれば、無茶な飲み方をする前に止めてくれるだろうと予測して。
なので、その後、哉がどうやって家に帰ったのか篠田は知らない。さすがに後数年で三十になろうかと言う青年の動向を首に縄をかけて見張るほどではないだろうと思ったのだ。
だが、翌日マンションへ迎えに行ってみれば、いつも定時にエントランスに姿を現すのに一向に出てくる気配がなかった。どうしたのかと自宅に電話を掛けてみれば、酷く慌てた様子で応答し、相手が篠田だと判って落胆したのか冷静さを取り戻したのか、十分待てと言って電話を切り、きっかり十分後にエントランスを出てきた。
後部シートの哉をちらりとバックミラーで見ると、本人も気になるのか、しきりに左のこめかみに貼られた、ガーゼ部分にまだ色合いも鮮やかな赤いシミを滲ませた絆創膏を触っている。
「まだ出血もあるようですし、今日一日は剥がさずそのままのほうがいいと思いますが」
篠田が、無意識なのか絆創膏の端に爪を引っ掛けている哉にそう言うと、ため息未満のような息を吐いておとなしく触らなくなった。
これは、これから顔をあわせる秘書たちの反応が楽しみだと思っていたら、案の定三人とも朝の挨拶も曖昧になるくらい驚いていた。哉が執務室へ消えてたっぷり一分くらい経ってから鈴谷が『普通の人間っぽい……』と呟いたのをきっかけにやっと動けるようになったほどだ。
朝のコーヒーを運んだ時に見た、肌色の絆創膏がその白い肌に全くそぐわなくて浮いている。と言うのはまあ、感想として有りだとは思うが、その後の一言に篠田も笑ってしまった。
「だって、血が赤かったんです!!」
では何か。緑か青かったら鈴谷は納得したのだろうか。
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