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OVER DAYS
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しおりを挟む「血が出て汚れてたし、新しいの持っていったほうがいいんでしょうか?」
「……鈴谷さんが持ってるのってアレでしょ、リリィちゃんだっけ……ウサギ柄の。さすがにそれは、成人男性には嫌がらせですからやめてあげて下さい」
己のデスクの一番上の引き出しを開けて、ポップにピンクな缶に入った絆創膏の在庫を調べていた鈴谷が誰に問うでもなく言った独り言に、瀬崎が真面目に返している。同じ部屋で三ヵ月近く一緒に仕事をしていれば、最初は緊張していた瀬崎も言いたいことを言うようになってきた。
「案外似合うかもしれないわよ?」
「増本さんまでやめてくださいよもう。一応今日、昼から会議入ってるんですよ。それまでに取れたらいいんだけど。あんなトコ、転んでも中々血が出るような怪我ができるトコじゃないし……ってことは殴られた? ケンカか何か……するような人に見えないんだけどなぁ」
哉の今日のスケジュールを今一度確認していたらしい瀬崎が、女子に人気のキャラクタがプリントされたかわいいハニーピンクの絆創膏を己が貼れと言われたかのように弱弱しく反撃しているが、女性陣のほうが強いのだ。各個打破もままならないくらいに。
そんな麗らかな雰囲気の秘書室とは対照的に、その日の哉は散々だった。普段なら決してやらないようなミスをしたり、聞き流しているようできちんとインプットしている情報を本当に聞き流してしまっていたり、だ。
とりあえず、重要な案件はないし、昼休みに瀬崎が買ってきた、より目立ちにくい色合いの絆創膏に貼り替えて出席した会議にしても時間がかかるだけで実りなく終わった。
何となく、心ここに在らずな様子。いつもが必要以上にしゃんとしているせいか、こんな風に芯がない状態は見慣れない以上に想像も出来なかったので、周りが何となくソワソワしている。極めつけは会議後に執務室へのドアを開けて入ろうとして、然程急いでいる様子でもなかったのに半開きのドアにゴンっと音がするほどぶつかった。そして、ぎょっとした四人分の視線も、ぶつかった痛みも感じていないのかそのままするーっとドアの隙間から中に消えてしまった。
秘書室の面々……鈴谷がチラチラと執務室と隔てるドアを窺いながら『電池切れちゃったのかなぁ もともとHP少なそうだもんなぁ MPはカンストしてそうだけど』などと言っている。もちろん、言い方はアレだが心配はしているのだ。
その翌日も似たようなもので、一応呼び出さなくてもエントランスにいたものの、一段と増して憔悴した様子だった。そして輪をかけて仕事が出来なかった。いっそ見事なくらいに。
いつもは殆ど使用していない様子の携帯電話の着信履歴を気にして、数十分おきに確認している。
「副社長、ご気分が優れないのでしたら、今日はもうお帰りになりますか?」
定時を待ってそう提案すると、パコンと携帯電話を折りたたみながら逡巡の後に同意してくれた。
まだ冬の最中なのに、あの朝からコートを着なくなった。昨日も回り道を指示されて狭い路地を用心深く低速で通り抜ける時、板塀に囲まれたこじんまりとした診療所が見えて、哉が口を開きかけて結局何も言わずにわずかに乗り出した体をシートに預けてしまった。
何より、マンションの部屋の電気が消えているのが気がかりだ。
何かあったのは違いない。違いないが、そこまで入り込むべきか考える。はっきりと哉の口から現状を告げられれば、篠田には上へ報告する義務が生じる。実際、哉に何か変化があればその情報を上げるよう指示を受けている。
知らなかったことにするべきか。
知っておくべきか。
昨日も見た建物が近づく。少し減速して、バックミラー越しに哉を見る。
「止めますか?」
できるだけやわらかく問うと、哉がふっと自嘲するような表情を作る。
「いや、いい。そのまま行ってくれ」
そう応えて、ずるずるとスーツに皺が撚るのも気にならないのか、後部シートに寝転がってしまい、バックミラーから姿が消えた。
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