251 / 326
OVER DAYS
16
しおりを挟むしばしの間の後、樹理が顔を上げた。その表情は先ほどまでとは打って変わって、硬質だ。一度目を閉じて深呼吸をするように大きく息を吸い込んで、息を吐く力を借りるように樹理が言葉を紡ぐ。
「わかりました。荷物を、まとめてきます。しばらく待って頂けますか?」
迷いも未練も切り捨てたような表情で茶封筒を差し出し、あっさりと了承を下した樹理に、一瞬反応が遅れたが頷くとするりと室内へ入っていった。これまでに一度しか会っていないが、何となく優柔不断で誰かの判断に己の行動を委ねようとする少女だと言う印象がひっくり返る。
てきぱきと冷蔵庫の中を整理してゴミを捨て、自分の荷物さえあっと言う間にまとめてしまった。否、もともといつでも出て行けるようまとめてあったのだろう。
何も問わず、まるで全てを予期していたかのような行動。ならば彼女がここを去ることに全くの心動かない様子かと言うと、それは否だと言うことはひしひしと伝わる。
やわらかく揺れる中身を、氷の膜で覆って固めたような、硬質で不安定な空気。
哉を待って事態の説明を求めることなど初めから選択肢にないのだろう。余分な時間稼ぎも一切なく、奥で小さな気配が動いている。
玄関のドアを背にして立っていると、軽い音が響き、エレベータのドアが開いた。中から珍しく乱れた足音。いつもなら気配すら無意識に消してしまうのに、見なくても誰がそこにいるのかわかるほどに。
すい、と篠田を見て、哉が乱雑に靴を脱いで家に上がって行った。玄関まではさすがに意味を成した言葉は届かないが、何かのやり取りをしている気配は感じる。
「いりません! 私は、こんなもののためにここにいたわけじゃない!!」
不意に、樹理が声を上げた。けれども聞こえたのはそれだけで、再びしんとした空気が戻る。
暫く、余韻のような間のあと、樹理がスーツケースを引きずりながら玄関に現れる。
先ほどここで顔を合わせた時に緩く笑んでいた唇をかみ締めるようにぎゅっと結んで三和土(たたき)まで進み、そこにある二足の靴に、フッとその口元を解いて、己の靴を履いてからスカートの裾を押さえてしゃがみこみ、踏みつけられたかかとまで指で形を戻してそっと壊れ物のように哉の靴を整える。
「……お待たせしました」
「いえ。では、ご自宅まで送らせて頂きます」
立ち上がって目を閉じて頭を少し下げた樹理を促して、先に立った篠田は別の階に行ってしまったエレベータを呼ぶためにボタンを押した。
0
あなたにおすすめの小説
それは、ホントに不可抗力で。
樹沙都
恋愛
これ以上他人に振り回されるのはまっぴらごめんと一大決意。人生における全ての無駄を排除し、おひとりさまを謳歌する歩夢の前に、ひとりの男が立ちはだかった。
「まさか、夫の顔……を、忘れたとは言わないだろうな? 奥さん」
その婚姻は、天の啓示か、はたまた……ついうっかり、か。
恋に仕事に人間関係にと翻弄されるお人好しオンナ関口歩夢と腹黒大魔王小林尊の攻防戦。
まさにいま、開始のゴングが鳴った。
まあね、所詮、人生は不可抗力でできている。わけよ。とほほっ。
溺婚
明日葉
恋愛
香月絢佳、37歳、独身。晩婚化が進んでいるとはいえ、さすがにもう、無理かなぁ、と残念には思うが焦る気にもならず。まあ、恋愛体質じゃないし、と。
以前階段落ちから助けてくれたイケメンに、馴染みの店で再会するものの、この状況では向こうの印象がよろしいはずもないしと期待もしなかったのだが。
イケメン、天羽疾矢はどうやら絢佳に惹かれてしまったようで。
「歳も歳だし、とりあえず試してみたら?こわいの?」と、挑発されればつい、売り言葉に買い言葉。
何がどうしてこうなった?
平凡に生きたい、でもま、老後に1人は嫌だなぁ、くらいに構えた恋愛偏差値最底辺の絢佳と、こう見えて仕事人間のイケメン疾矢。振り回しているのは果たしてどっちで、振り回されてるのは、果たしてどっち?
雪の日に
藤谷 郁
恋愛
私には許嫁がいる。
親同士の約束で、生まれる前から決まっていた結婚相手。
大学卒業を控えた冬。
私は彼に会うため、雪の金沢へと旅立つ――
※作品の初出は2014年(平成26年)。鉄道・駅などの描写は当時のものです。
今宵、薔薇の園で
天海月
恋愛
早世した母の代わりに妹たちの世話に励み、婚期を逃しかけていた伯爵家の長女・シャーロットは、これが最後のチャンスだと思い、唐突に持ち込まれた気の進まない婚約話を承諾する。
しかし、一か月も経たないうちに、その話は先方からの一方的な申し出によって破談になってしまう。
彼女は藁にもすがる思いで、幼馴染の公爵アルバート・グレアムに相談を持ち掛けるが、新たな婚約者候補として紹介されたのは彼の弟のキースだった。
キースは長年、シャーロットに思いを寄せていたが、遠慮して距離を縮めることが出来ないでいた。
そんな弟を見かねた兄が一計を図ったのだった。
彼女はキースのことを弟のようにしか思っていなかったが、次第に彼の情熱に絆されていく・・・。
Fly high 〜勘違いから始まる恋〜
吉野 那生
恋愛
平凡なOLとやさぐれ御曹司のオフィスラブ。
ゲレンデで助けてくれた人は取引先の社長 神崎・R・聡一郎だった。
奇跡的に再会を果たした直後、職を失い…彼の秘書となる本城 美月。
なんの資格も取り柄もない美月にとって、そこは居心地の良い場所ではなかったけれど…。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる