幸せのありか

神室さち

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OVER DAYS

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 しばしの間の後、樹理が顔を上げた。その表情は先ほどまでとは打って変わって、硬質だ。一度目を閉じて深呼吸をするように大きく息を吸い込んで、息を吐く力を借りるように樹理が言葉を紡ぐ。


「わかりました。荷物を、まとめてきます。しばらく待って頂けますか?」

 迷いも未練も切り捨てたような表情で茶封筒を差し出し、あっさりと了承を下した樹理に、一瞬反応が遅れたが頷くとするりと室内へ入っていった。これまでに一度しか会っていないが、何となく優柔不断で誰かの判断に己の行動を委ねようとする少女だと言う印象がひっくり返る。


 てきぱきと冷蔵庫の中を整理してゴミを捨て、自分の荷物さえあっと言う間にまとめてしまった。否、もともといつでも出て行けるようまとめてあったのだろう。

 何も問わず、まるで全てを予期していたかのような行動。ならば彼女がここを去ることに全くの心動かない様子かと言うと、それは否だと言うことはひしひしと伝わる。


 やわらかく揺れる中身を、氷の膜で覆って固めたような、硬質で不安定な空気。


 哉を待って事態の説明を求めることなど初めから選択肢にないのだろう。余分な時間稼ぎも一切なく、奥で小さな気配が動いている。

 玄関のドアを背にして立っていると、軽い音が響き、エレベータのドアが開いた。中から珍しく乱れた足音。いつもなら気配すら無意識に消してしまうのに、見なくても誰がそこにいるのかわかるほどに。


 すい、と篠田を見て、哉が乱雑に靴を脱いで家に上がって行った。玄関まではさすがに意味を成した言葉は届かないが、何かのやり取りをしている気配は感じる。



「いりません! 私は、こんなもののためにここにいたわけじゃない!!」

 不意に、樹理が声を上げた。けれども聞こえたのはそれだけで、再びしんとした空気が戻る。


 暫く、余韻のような間のあと、樹理がスーツケースを引きずりながら玄関に現れる。


 先ほどここで顔を合わせた時に緩く笑んでいた唇をかみ締めるようにぎゅっと結んで三和土(たたき)まで進み、そこにある二足の靴に、フッとその口元を解いて、己の靴を履いてからスカートの裾を押さえてしゃがみこみ、踏みつけられたかかとまで指で形を戻してそっと壊れ物のように哉の靴を整える。


「……お待たせしました」

「いえ。では、ご自宅まで送らせて頂きます」



 立ち上がって目を閉じて頭を少し下げた樹理を促して、先に立った篠田は別の階に行ってしまったエレベータを呼ぶためにボタンを押した。


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