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OVER DAYS
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しおりを挟む車寄せに停めた車から、哉がするりと降りる。門で来訪を知らせていたためか、哉の母である社長夫人がニコニコと満面の笑みで哉を迎えている。その後ろにちらりと長女が姿を現したがすぐ消えた。
矢継ぎ早に喋る社長夫人に遠慮しているのか、いつもなら一番に来客に対応する家令が少し離れたところで控えている。
話題が少ないのだろう、同じことを何度も繰り返している母親に、哉がおそらくうんざりしているだろうが、もともと表情は乏しいのだ。普段から顔をあわせている篠田にもやっと判るくらいなのだから、絶交流とも言える母親がそれに気付くわけがない。
「父は、どこですか?」
「えっと……満定(みちさだ)?」
忍耐強くエンドレスに続きそうな母親の言葉が勢いをなくした瞬間を見逃さず、それまで黙っていた哉が口を開く。
同じ屋根の下で暮らしていて夫の所在さえ把握していないらしい彼女が家令に問うと、離れの書斎に居られますとの答えが返って来る。
「離れの書斎ですって。でもいいじゃない、そんなに急がなくても。おいしい和菓子があるのだけれど……」
「篠田」
まだなお言い募ろうとする母親に見向きもせずに哉が篠田を呼んで奥へ進んで行く。
マンションで足音が乱れていたのは意図ではなかっただろうが、今の荒い足運びは意図的だろう。逆によく足音が響くように歩を進めている嫌いがある。
そんな調子で濡れ縁を目的地に向かって進む。障子戸が柱に当たって跳ね返るほどの勢いで開け放ち、一言の挨拶も礼もなくずかずかと室内に入っていく哉を追って篠田も入室し、開け放たれたままの戸を静かに閉める。
骨董物の文机を挟んで親子が対峙している。哉がスーツのポケットからぞんざいにたたんだあの白い紙を出し、手首を使って文机の上に投げ落とした。
筆を持つ手を止めて、紙を拾い広げて一瞥後、顔を上げた父親に笑みに似た表情を向けて、哉が言い放つ。
「ドイツ語のスペルが間違ってますよ。そんな名前の銀行は、ない」
再び紙に視線を落とした父親の方の唇の端も、息子と同じようにきゅっと上がる。
キンと張った沈黙の中で、なるほどと腑に落ちた。あのマンションの玄関での写真。確かに近くに同じ高さのマンションが数棟あるが、あれほど綺麗に撮れていたのはおそらく篠田に渡されたキーで依頼されたカメラマンがマンション内、哉の住居のある階に身を潜めていたのだろう。あの階の玄関は哉の自宅のみだが、左奥に様々な機械類などが納まっている少しくぼんだ箇所があったので、そこに潜んでシャッター音のしないカメラで撮ればあんな写真はいくらでも撮影できるだろう。
「あの娘はなんだ? お前は女子高校生を囲っていたのか?」
手に持った紙を畳みながら、話題がそらされる。
「それがあの会社を残した理由か?」
「そうだとしたら?」
問いかけに問い返すと、わざとらしいため息が聞こえる。
「分かっているだろう」
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