幸せのありか

神室さち

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愛し君へ

26 side樹理

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 ふと気づくと、地平が霞むような開けた場所に立っていた。


 ずっとここにいたような気もするし、先ほどここに来たような気もする。


 初めて来た場所なのに、なぜか懐かしいような、そんな場所に、樹理は一人ぽつんと立っていた。



 足元は低く流れるピンクのような、紫のような霧のようなものが、樹理の後ろから前に向かって、ゆったりと流れている。

 後の方から、誰かの声が聞こえる気がするけれど、なぜか振り向くのが怖い。とにかく前に進まなくてはならない、そんな焦燥にかられて、振り向くことなく足を踏み出す。



 と、その時。


 足元の霧が、ざっと晴れた。



 色とりどりの花、花、花。目を凝らしても、見知った花はない。一面覆うような柔らかな色合いの花が、やはり後ろから吹く風に揺れている。


 驚いて辺りを見回していたら、目の前に子供が立っていた。

 背丈は、琉伊の娘の萌花くらい。頭があって、胴があって、手足があって、人の形をしているけれど、性別がわからない。それもそのはずで、顔がない。


 全体がぼんやりと白と黄色と橙色……内から光る様な色だ。


 前に進もうとした樹理を、慌てた様子で手をバタバタと振って留めようとする。

「え……っと。先に進みたいんだけど、だめ?」

 子供が、両手を前に合わせてこくこくと頷く。


「でも、私、行かないといけない気がするの。そこ、退いてくれない?」

 しゃがんで、表情はないのにとても必死な様子が伝わる子供にやさしく頼むが、今度はぶんぶんと頭を横に振っている。通せんぼするように両手を広げて。


 頑なな子供の様子に、どうしようかと樹理がため息を吐き、立ち上がる。


 子供と話している間にも、後ろから聞こえる声に、ちらりと後ろに気を逸らした樹理に、子供がそっちだと言わんばかりに手を樹理の後ろの方へ向けて、指……を、指している……ようだ。


「うしろ?」

 樹理の問いに、再びこくこくと子供が頷く。

 振り向くより、前に進みたいのだが、ここは一度振り向いておかないと、この子は納得してくれなさそうだ。

 心の中だけで嘆息して、振り向こうと、踵を返しかけて。


 樹理の動作で振り返ろうとしていることを知って、なんだかほっとしたような……目も鼻も口もないその顔が、嬉しそうに見えて、樹理が止まる。




 私が振り向いたら、この子は、どうなるんだろう。




 そう思った瞬間、何の予備動作もなく、するりと子供の脇の下を両手で攫っていた。


 抱き上げた子供は、見えているのがウソみたいに軽くて、存在感が薄かった。

 いつも萌花にするように、お尻と腿の辺りを腕に乗せ、もう片方の手で背中を抱くと、びっくりしたのか抵抗する様子もなかった子供の両手が、おずおずと首に回る。


 軽いのに、ほのかに温かい。

 遠慮がちに回された手に、ふいに、きゅっと力が込められたような気がした。

 だから、樹理もぎゅっと子供を抱きしめた。





 ────樹理。





 先ほどまで、漠然と呼ばれているような感覚しかなかったのに、急にはっきりと、耳元で呼ばれたように、しっかりと、哉の声が届く。


 振り向くことに対する、よくわからない恐怖心は、その声が聞こえたことで全くなくなった。子供を抱きしめたまま、樹理は迷うことなく、体ごと後ろを振り返った。



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