326 / 326
愛し君へ
48
しおりを挟む樹理たちが日本に帰る前に彼女の方が引っ越してしまって、親しく交流したのは短い間だったが、エリーと関わる間に廉の語彙が日本語も英語も飛躍的に増えた。
彼女やその友人たちとの関わりを経て、喜怒哀楽もはっきりと顔に出るまでに変わった。何かきっかけさえあれば突然、それまで溜めこんだ成長の結果があふれ出ることがあるとは言われていたが、それが自分たち両親でなかったことは、ほんの少し悔しく思う。
小さいころから大人しくて、喋らない子。
さすがに五歳を過ぎた頃になっても、親の言うことは理解しているのに、喋らない我が子に不安を感じた樹理が、廉に自閉症スペクトラム判定をしたいと哉に相談した。
五歳以下だとはっきりした判定が出づらいものなので、ここまで待ったと言うところもある。
何事にも合理性を求める為か、廉に多動など、親が対処しづらい症状が全くなかったこともあってか、早くに相談してもとりあえず五歳になるまで様子見だったのだ。
哉の方はと言うと、廉の現状にあまり疑問を持っていなかった。
なぜなら、自分の子供の頃の様子とほぼ同じだったからだ。
あまり喋らない。いつも茫洋としている。与えられたものは一通りやってみる、そして、大抵のことができる。
廉はこの時点で簡単な計算ができて漢字を読めて、日常英語も理解していたが、哉は自分もそうだったからそんなものだと思っていた。
違うと思われる点は、日々英語に触れる生活をしているので、自分が小さい頃よりは英語をより知っていること、音楽に興味を持っていることくらいだ。
哉もピアノは一通りの素養として習ったが、それ以上の興味を引かれなかった。廉はピアノの『音』が好きなのか、楽譜は全く読めないが、譜面二枚分くらいの曲なら何度か繰り返して聞けば覚えて弾けるまでになっていた。
何が気になるところなのか本気でわからずにいた哉だが、樹理が気になると言うのならばと、何と自分も一緒に判定を受けた。
そして、親子で揃って高機能自閉症の可能性が高いとお墨付きを頂いた。
ちなみに、診断を受けた哉の感想は、ふーんくらいのもので、聞いたことはあってもよく知らない分野の事だったので、一応何冊か本を読んでみた。だからどうしたと言う思いと、その中に出てくる事例を見ていたら、中学高校と哉の周りにいた者たちが軒並みヒットするな、くらいのものだった。
樹理はと言うと、判定結果に落胆するでもなく、淡々と受け入れた様子だった。こちらも、だからどうということはないらしい。ただ、ちゃんと判定が下ったことで、廉をより受け入れられるようになったと笑っていた。
「まぁ 氷川さんの子ですから」
と言い切ったのには若干反論の余地はあったかもしれないが、事実その通りなのだ。黙っておくのがいい。
「理解する能力はちゃんとありますから、やっていいこと、悪いことをちゃんと教えて個性を伸ばしてやれたらいいですよね」
廉を向かい合うように膝に置いてソファに座り、樹理が廉の手を取って笑う。
「尚更かわいいってことです。私、廉を産んだこと──産めたこと、本当に良かったって、幸せなことだって思ってるんです。きっとこの子、私が知らないことをたくさん教えてくれるはずだから、楽しみで仕方ないです」
「廉もね」
ぽてんと樹理の胸元にもたれかかって、廉が幸せそうな顔をする。
「おかーさんと、おとーさんとこに、生まれるのって思った。でね、生まれた時、生まれてよかったーって、いっぱいうれしかった」
廉の言葉に、一瞬びっくりした顔をして、蕩けるように微笑む樹理に抱きしめられて、廉がニコニコ笑っている。子供らしくない感情の少ない仏頂面をしている頃から、樹理と哉の母からいいところを貰ったような整った顔をしていてかわいかったが、笑うと更にかわいらしい。
男の子に使う形容詞ではないが、ぱっと花が咲くと言うか、周りまで心地よくさせるような笑顔だ。さらさらと指からこぼれる髪の感触を楽しみながら、哉が頭を撫でてやると、廉は擽ったそうに首をすくめたがイヤそうなそぶりはない。
「清廉の、廉。か」
その笑顔を見て、ふと出産直後の樹理の言葉を思い出す。
確かに、この笑顔は清らかで、その名がぴったりだ。
ずっと、廉と自分はよく似ていると思っていたけれど、今頃になってと思えど、決定的な違いに気づく。
生まれた時から、無条件で溢れるほどに愛してくれる存在。それさえあれば、どんな困難でも難なく超えることができると信頼できる存在。哉にはなかったものだ。
「ああ、樹理がいれば、廉は……いや、俺たちはきっと」
どこにいても。
そこに、ゆるぎない幸せがあるのだ。
‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
完結です!
これまでお付き合いありがとうございました!
0
この作品の感想を投稿する
みんなの感想(7件)
あなたにおすすめの小説
それは、ホントに不可抗力で。
樹沙都
恋愛
これ以上他人に振り回されるのはまっぴらごめんと一大決意。人生における全ての無駄を排除し、おひとりさまを謳歌する歩夢の前に、ひとりの男が立ちはだかった。
「まさか、夫の顔……を、忘れたとは言わないだろうな? 奥さん」
その婚姻は、天の啓示か、はたまた……ついうっかり、か。
恋に仕事に人間関係にと翻弄されるお人好しオンナ関口歩夢と腹黒大魔王小林尊の攻防戦。
まさにいま、開始のゴングが鳴った。
まあね、所詮、人生は不可抗力でできている。わけよ。とほほっ。
溺婚
明日葉
恋愛
香月絢佳、37歳、独身。晩婚化が進んでいるとはいえ、さすがにもう、無理かなぁ、と残念には思うが焦る気にもならず。まあ、恋愛体質じゃないし、と。
以前階段落ちから助けてくれたイケメンに、馴染みの店で再会するものの、この状況では向こうの印象がよろしいはずもないしと期待もしなかったのだが。
イケメン、天羽疾矢はどうやら絢佳に惹かれてしまったようで。
「歳も歳だし、とりあえず試してみたら?こわいの?」と、挑発されればつい、売り言葉に買い言葉。
何がどうしてこうなった?
平凡に生きたい、でもま、老後に1人は嫌だなぁ、くらいに構えた恋愛偏差値最底辺の絢佳と、こう見えて仕事人間のイケメン疾矢。振り回しているのは果たしてどっちで、振り回されてるのは、果たしてどっち?
雪の日に
藤谷 郁
恋愛
私には許嫁がいる。
親同士の約束で、生まれる前から決まっていた結婚相手。
大学卒業を控えた冬。
私は彼に会うため、雪の金沢へと旅立つ――
※作品の初出は2014年(平成26年)。鉄道・駅などの描写は当時のものです。
今宵、薔薇の園で
天海月
恋愛
早世した母の代わりに妹たちの世話に励み、婚期を逃しかけていた伯爵家の長女・シャーロットは、これが最後のチャンスだと思い、唐突に持ち込まれた気の進まない婚約話を承諾する。
しかし、一か月も経たないうちに、その話は先方からの一方的な申し出によって破談になってしまう。
彼女は藁にもすがる思いで、幼馴染の公爵アルバート・グレアムに相談を持ち掛けるが、新たな婚約者候補として紹介されたのは彼の弟のキースだった。
キースは長年、シャーロットに思いを寄せていたが、遠慮して距離を縮めることが出来ないでいた。
そんな弟を見かねた兄が一計を図ったのだった。
彼女はキースのことを弟のようにしか思っていなかったが、次第に彼の情熱に絆されていく・・・。
Fly high 〜勘違いから始まる恋〜
吉野 那生
恋愛
平凡なOLとやさぐれ御曹司のオフィスラブ。
ゲレンデで助けてくれた人は取引先の社長 神崎・R・聡一郎だった。
奇跡的に再会を果たした直後、職を失い…彼の秘書となる本城 美月。
なんの資格も取り柄もない美月にとって、そこは居心地の良い場所ではなかったけれど…。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。
こんばんは。
毎日更新を楽しみにしております。
今日の更新二話同じ内容のようです。
お確かめ下さい。
ご対応ありがとうございました。
すごく切なくて恋情溢れたお話の更新を、毎日待ち遠しく、心待ちにしております。
こちらこそ本当にありがとうございました。
うっかりにもほどがありました。しかも繰り返すとか。
丁寧な感想もありがとうございます。
いつも更新たのしみにしています。
さて、今回、二つ前に戻っているようです。ご確認下さい。
ま た や ら か し た !!!
すみません、なおしてこれから今日の分二話あげます!
ありがとうございます!!