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第一章
柊家の夏休み
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蝉時雨の降る急な階段を上る。
小高い山にある月乃ママのお墓。
裏手にはテニスコートがあって、コーンコーンとボールを返し合う音が聴こえている。
「真夏のお墓参りはきついわね」
少し息を切らせながら、結月さんが言う。
「ママの命日だもの、文句言わないの」
咲月さんが霧人君の膝を気にしながら、後ろからゆっくりと上ってくる。
「去年は、キリは上れなくてお留守番だったものね」
階段を上り詰めると、小ぢんまりしているが開けた墓地が現れ、暑苦しかった蝉時雨も透明な空気に溶け込んでいる。結月さんの持つ籠から顔を出すと、気持ちいい風がぼくのピンクの鼻先をくすぐった。
月乃ママのお墓にも百日草が朗らかに咲いている。
先に上っていたお父さんが掃除の準備をして、家族みんなで手際良く済ます。微かな甘い香りのお線香をお父さんが炊くと、みんなは目を閉じて手を合わせた。
立ち昇る煙を捕まえたくて、何度も空を掴んでいたぼくだが、みんなの目を閉じた顔を見渡すと少し神妙な気持ちになって、ぼくも行儀よく座り直し、墓石に向かい合って優しそうな月乃ママを想像してみた。
そうしたら、忘れかかっているお母さんの甘い匂いとシルエットを、ほんの少し思い出した。
4
雷雨の一件から後も、隣のコンブは相変わらずのしのしと庭に侵入している。むしゃくしゃするから、しばらく潜めていた威嚇を何度かお見舞いしたが、コンブは全く気にも留めていなさそうだし、特に霧人君目当てで侵入している様子でもなさそうなので、面倒臭いから許してやる事にした。ただ、「百日草の上では寝転ぶな」とだけ注意した。コンブは「ンガ」とだけ言った。
結月さんがシェアハウスに戻ってから、久しぶりに霧人君と散歩に出た。ゆっくり歩く霧人君の足元を行ったり来たりしながら、とことこと歩いて行く。気になるものを見つけて立ち止まると抱き上げられてしまうし、大通りに出ると、石鹸くさいTシャツの内側に入れられた。少し暑いけれど霧人君の心音が安心出来た。
一年近く前に溺れかけた、中学校裏の小さな川沿いにやって来ると、
「見てみな、あそこ」
霧人君の示す方を見ると、百日草が満開だった。
「あいつら、強いだろ。絶対絶やさないんだ」
それから霧人君とぼくは、土手の平べったい石に座って時間を費やした。
あの時の濁って膨らんでいた恐ろしい川が、底が見えるほど穏やかに澄んでいる。鴨が何羽も浮かんでいたり、土手でぼくよりもまんまるになって羽を休めていたりする。亀は岩の上でじっと干されているし、小さな魚達が流れに逆らって泳いでいる影が、水底に映っている。みんな自由に、でも一所懸命生きているんだなと、きらきら流れる川を静かに眺めた。
「おれ、咲月や結月に子供扱いされないように、かっこいい大人になってやる」
「ぼくはいつでもキリトの味方だよ」
「よし、遊ぶぞ、ジン」
霧人君は土手に生えている猫じゃらしを手に、ぼくの目の前で激しくふりふりした。蝗が跳ねるのにも気づかないくらい、ぼくは真剣にそれを追いかけた。
いつしか空は雲を巻き込んで、燃えるように赤く染め上げていた。
「よし、帰ろう、化け猫ジン」
「うん、帰ろう、魔界のキリト」
ぼくは再びTシャツの内側に潜り込み、霧人君は数本の猫じゃらしを手に帰路についた。
キッチンでは咲月さんがパスタを茹でる湯を沸かし始めた所だった。
霧人君は、「シーッ」と指を立て、そっと咲月さんの背後に近づくと、その細い首筋に猫じゃらしをスーッと滑らせた。
「きゃーーーーーー!」
初めて聴いた咲月さんの本気の叫び声。至近の油蝉よりも強力だったかもしれない。
「キリー! やったわね! わたしが世界一毛虫が苦手だと知ってるくせに!」
咲月さんは本気の涙目で霧人君を睨む。
霧人君は笑い転げながら、
「おれ、まだ子供だもーん」
と言った。
霧人君の目から、何か零れたのをぼくは見ていた。
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