Zinnia‘s Miracle 〜25年目の奇跡

弘生

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第二章

  ぼくの弟

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       3


 九月に入っても灼熱の太陽は健在で、庭はその熱と光に晒されていた。
 だから、庭に出ても直ぐに涼しい部屋の中に避難したくなる。隣のコンブが姿を見せないのも、きっと同じ理由なのだろう。
 けれど、色とりどりの百日草はずっと咲き誇っている。
 霧人君が、「あいつら強いだろ」と言っていた事を思い出して、
「キリトは次はいつ帰ってくるんだろ」ニャニャ、と鳴いた。
 咲月さんは哺乳瓶のミルクを冷ましながら、ベビーバスケットで眠る朔空君を眺めている。ぼくはおねえちゃんだから、お気に入りのベッドを朔空君がもう少し大きくなるまで貸してあげているのだ。
「明日か明後日くらいに、きっとキリがまた帰って来るわよ。サクは素敵なお兄ちゃんとおねえちゃんがいて幸せね」
 そう言って、ぼくの方に笑顔を向けながら、朔空君にミルクを飲ませていた。ぬくい哺乳瓶を両手で抱えるようにして貪り飲んだ微かな記憶が、瞬きのように過った。柊家のみんながぼくのお母さんだった。

 太陽が傾く頃、咲月さんは朔空君を抱いて庭に出た。もちろんぼくも一緒である。
「ほら見て、サク。百日草よ、十三年咲き続けてるのよ」
 朔空君は、ゆっくりとぼんやり見える目を動かす。
「ジンの花もあるのよ。ね、ジン」
「ぼくのは白いのなんだ」
 白い百日草に鼻を擦り付けてから、朔空君の小さな手にも鼻をくんくん擦り付けた。霧人君と同じ、石鹸の匂いがした。



       4


 朔空君は日増しに成長して、その変化に一時も目が離せなかった。
 休日はお父さんが、霧人君が帰ってくれば霧人君が、朔空君を抱いて散歩に行く。ぼくも一緒だ。
「サクはパパがふたり、ううん三人いるみたいね、うふふ」
 咲月さんが、ぼくの頭を優しく撫でたかと思うと、いきなり釣竿蝶々を激しく振る事がある。その口調と行動のギャップに戸惑いながら、ぼくは我を忘れて蝶々を追いかけてしまうのだ。
 それを目で追っていた朔空君は、やがて手を伸ばすようになり、寝返りをうつようになった。
 小春日和には、ふたりでうつ伏せのまま床に木漏れる光を掴もうとすると、ぼくの前足に朔空君の小さな手が重なる。ぼくは、決して爪を出したりはしない。そして、ぼくのお馴染みの陽当たりの良い場所で、ふたりで心ゆくまで昼寝をするのだ。
「サクとジン、双子みたい。まるで三日月みたいにおんなじ格好して眠ってるの。向かい合わせたらまんまるね」
 咲月さんは、お父さんが新調してくれたデジカメで、それはそれはたくさんの写真を残した。
 朔空君は座れるようになると、結月さんが送ってくれた、木製の色とりどりのドイツの積木を手に取るようになった。
 毎日のように繰り返されてきた、咲月さんのピアノや歌声には、手をばたばたさせながら一緒に声を上げるし、お父さんが庭の枯葉を箒で集めている所にぼくが戯れつくと、何故かけらけら笑う。ぼくが調子に乗るので、お父さんは迷惑だった? 違う、きっと楽しんでいたはずだ。お父さんの優しい三日月の目を見ればわかるのだ。
 居間の照明を下げて、懐中電灯の光を部屋六面に飛ばす、霧人君の簡易アトラクションには、ぼくも朔空君も夢中になった。ぼくには、釣竿蝶々以上の運動量だった。
「壁紙が破れちゃったな」
 お父さんが苦笑している。
「ごめんなさい」ニニニィ……
「いいんだよ、ジン」
 お父さんは、いつでも優しい。けれど、
「霧人、やり過ぎだぞ」と、言った。

「うふふ、誰が誰のお父さんでお兄ちゃんでお姉ちゃんでお母さんなのか、わからなくなってきたわ。ねえ、ジン。いつかの話、看護師に指摘された話よ。わたし、むしろ必要以上に幸せな人生を送っていると思うのよ。そうでしょ?」
 咲月さんは独り言のように、ぼくに言った。



       5


 咲月さんが興奮して話しているのは、同じ産院で朔空君より一日早く生まれたお友達に会いに行った話だ。
「すごいのよ! 自分からつかまり立ちをして、伝い歩きをすいすいしただけでも驚きなのに、何も手掛かりの無い場所で床に手をついて立ち上がっちゃうの。それだけじゃない、トトトトッて歩いたのよ! この目で見たけど信じられないわ」
 朔空君はようやく掴まって立つのがやっとだった。
「からだも大きいし、一日早く生まれたからって、この差はないわよね。予定日はサクの方が早かったのよ」
「それぞれだよ。確か霧人も歩くのも喋るのも遅かったよ。心配するな」
「恥ずかしいから、おれの話をするなよ」
「いいじゃないか。なあ、月乃」
 月乃ママの写真を見ているお父さんは、前よりも少しだけおしゃべりになっている。これは朔空君の魔法なのだろう。
「だいたい、朔空が人並。その友達が早熟なだけだ」
「あらキリ、詳しいわね」
「……詳しくない咲月の方が変だ」
 霧人君は朔空君を抱き上げると、散歩に出てしまった。
「待ってよキリト、ぼくも行く」
 春の暖かさには少し早かったが、鼻がむずむずするような、柔らかい風が吹いていた。
 朔空君を抱いて、のんびり空を見上げて歩く霧人君について行きながら、
「キリトのトートバッグの中に育児本が入っているのを知っているけど、誰にも言わないよ」と、鳴いた。

 朔空君も一緒に百日草のこぼれ種を蒔いたこの春、残りの一年間は自宅から通うと、霧人君は寮を引き上げて戻って来た。
 結月さんも朔空君に会いに、近いうちに土産話を持って帰国するという。
 咲月さんは、今年も教員採用を見送って、結婚式場のピアノ弾きのアルバイトを再開するために、朔空君を保育園に預ける事を考えていた。
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