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第二章
朔空の成長
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「立った!」
ついに朔空君が、自分の力で立ち上がった。お誕生は少し過ぎていた。
居間で叫ぶ咲月さんの声に、霧人君とお父さんが集結した。
すいかパンツを履いた朔空君が、大きな西瓜を支えに自力で立ち上がったのである。興奮で咲月さんの鼻が膨らんでいる。みんなの歓喜に得意になったのか、朔空君は何度も西瓜を支えに立って見せた。
「垂直抗力だな」
お父さんはうれしそうな三日月目をする。
「よし、朔空。歩け」
気の早い霧人君は、両手を差し伸べる。
「結月にもこの瞬間見せたかったわ」
「動画撮って、パソコンで送ればいいよ」
「頼むわ、キリ」
「ただいま! 朔空、結月おばちゃんだよ」
「自分でおばちゃんて言ってるわ」
「じゃあ、おばちゃんて呼ばせるか」
結月さんが帰国して、柊家ががちゃがちゃと騒々しくなった。
「いやーん、可愛くて美味しそう。食べちゃう!」
「やっぱりね」
咲月さんと霧人君は目を合わせてくすくす笑った。
「それにしても西瓜で立ったのは笑えるわ」
そう、あの大きな丸ごとの西瓜は、隣のおばさんが、いつもコンブがお世話になっているから頂き物だけど、と持って来てくれた物だ。
「コンブ様様ね! わはは」
結月さんは、ピンクに染めた髪をくりくり動かして笑った。
そして結月さんは、やっぱりぼくも忘れないでくれた。
「ジン、ただいま。君も相変わらず美味しそう。今夜も一緒に寝ようね」
苦しくて逃げ出すほどに、ぼくをぎうぎうと抱きしめた。
ベルリンの大学でバイオ研究を続けている聖さんとの生活は、毎日が発見だとテンション高めに話す。近いうちの作品発表も視野に入れて、アートとしてふたりで紙に菌を地道に植え付ける作業をしているのだという。
「いつかサクも遊びに来るのよ」
そう言いながら結月さんが抱き上げると、数秒の沈黙の後、突然朔空君が泣き出した。
「うそでしょ、人見知り? だって咲月とおんなじ顔じゃない」
「髪の色かしら?」
咲月さんがフォローする。
「漆黒のピアスに合うようにピンクにしたのに、サクに嫌われてしまうの?」
「あ、絵の具の匂いかも」
咲月さんが再度フォローする。
「全然似てないよ」
ぼそりと霧人君が言った。
けれどもしばらくすると、結月さんの耳元で揺れる大きな漆黒のピアスが気になり出したらしく、それを触り始め、やがて穴の空くほどに結月さんの顔をじっと見つめて笑ったのだ。
「そんなに見つめないでよ、サク。ユウキお姉さん、照れちゃうわ」
「おばちゃんだろ」
恒例の結月さんと霧人君の戯れ合いの中で、笑顔の柊家は変わる事なく丸くて温かい。
「さあ、一週間だらけるわよ」
いつかと同じ台詞で、そのままになっている自室のベッドに転がる結月さんと、ぼくは平和に眠った。
月乃ママのお墓参りを済ませると、結月さんは再び海の向こうに戻って行った。
2
まもなく朔空君は、保育園の0歳児クラスに入った。
誕生日から三ヶ月過ぎてはいたが、空きが出たのだ。
始めのうちは、大人しい朔空君からは考えられない、園の外に届くほどの泣き声が聴こえて、咲月さんは後ろ髪を引かれたという。
「ほんの数時間離れるだけなのに、この苦しさは何なのかしら」
咲月さんは涙目になっていた。
慣らし保育の期間も慣れないまま終わろうとした頃、担任の保育士が、
「朔空君、大丈夫ですよ。誰が抱いても毎朝大泣きするけれど、居たんですよ、ひとり」
そう言って紹介されたのが、今年短大を卒業したばかりの、「先生」と呼んで良いものかと考えてしまうほど初々しくて可愛いらしい保育士だったらしい。
「三角環です。まだ、担任ではないのですが、朔空君をしっかりお預かりします」
その腕には、泣き止んでいる朔空君がいた。
「もお、サクったら環先生じゃないと泣き止まないんですって」
環先生の可愛さと朔空君の現金さが、しばらく笑い話になっていた。
「今度キリも、サクのお迎え行ってごらん。環先生、すごい可愛いから」
「……咲月、結月化が進んでるぞ。別に行くのはいいけどさ」
普段に無い咲月さんの高いテンションに対して、霧人君は不貞腐れ気味だった。
霧人君には年明けの国家試験が迫っていた。マネキンだけではない、カットモデルの必要性を切に感じていた。
「ジンの毛をカットするわけにいかないし……」
昨年、中学時代の元カノの美夜から「やり直したい」などと言われて、のこのこ顔を出した。美夜から、あの坂島がいかに嘘つきでくだらなかった奴かという悪口を散々訊く振りをして、シレッとカットモデルをやってもらった事がある。
美夜からすれば、素敵にカットしてくれた霧人君とやり直せると勘違いするのは目に見えている。それを、
「絶対嫌だ」
とぶっきらぼうに回答したから、美夜から二度目の平手打ちをお見舞いされたのだという。
嫌なら会わなければいいのに。と思ったが、霧人君だって、少しくらいずる賢い所があってもいいのかもしれない。
「え? カットモデル?」
咲月さんもお父さんも、すでにその頭を提供している。
咲月さんは「ううむ」と絵に描いたように考えるポーズを作った所で、ぽん、と手を叩く。
「そうだわ、保育園の先生達に頼みましょう、そうよそうよ」
「え、ちょっ、待っ」
「不満? 頼んでみるわ。大切な弟のためだもの」
咲月さんは、やけに楽しそうに、
「ね」と、朔空君とぼくを見た。
やがて、百日草のこぼれ種を蒔く時期が来た。
霧人君は言うまでもなく、美容師の国家試験に無事受かり、就職先のサロンも自宅から通える場所に決まっていた。
急に霧人君が大人になったみたいに大きく感じて、ぼくと今までみたいに転げ回って遊んでくれるのだろうかと不安だったけれど、霧人君は少しも変わっていなくて、休みの日には、ぼくと朔空君を散歩に連れ出した。
運転免許を取った霧人君が、時々お父さんの車で連れて行ってくれる砂浜が、ぼくは好きだった。
さらさらした砂に足を取られて、ぼすぼすと前に進まない変な走り方を見て、朔空君がけらけら笑い、そして、ぼくの真似をして見せるのだ。
ぼくは、朔空君のためだったら、何でもしてあげたいと思った。おねえちゃんだもの……けれど、実際ぼくは何もしてあげられない。見守る事しか出来ないのだ。
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