Zinnia‘s Miracle 〜25年目の奇跡

弘生

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第二章

  咲月のお節介

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       1


「こんにちは」
「いらっしゃいませ。ご予約のお客様ですか……あ」
「カットしに来ちゃいました」
 環先生が、霧人君の勤めるサロンに訪れたらしい。
 
        *

 驚いたよ。
 環先生、おれにカットしてもらえると思って来た、なんて言うから焦ったよ。新米アシスタントの分際で指名されるなんてあり得ないだろ。まだ客の髪、切った事ないんだから。
「柊君、知り合い?」 
 なんて、店長に訊かれちゃってさ。
 環先生、この店初めてだったから、カットはスタイリストの大先輩が担当したんだけど、おれは冷や冷やして、必要以上に回りに気を遣っちゃったよ。
 でも環先生、店を気に入ってくれたらしくて、「また来ます」って笑顔でスタッフ達に挨拶しててさ、ほっとしたよ。
 おれの勤め先、ばらしたの咲月なんだろうな……参るよな。

        *

 霧人君はこの日の出来事を、咲月さんに特に話す事はしなかった。
 いつか屋根に登った窓から、春満月が少しずつ西に移動するのを愛でてから、ぼくは思い切り本家本元の猫伸びポーズと大欠伸をして、霧人君のベッドの端に丸まった。


 咲月さんは週に何回か、山のリゾート地の湖畔にある結婚式場で、ピアノやオルガン演奏のアルバイトを続けている。
 音楽の教員になれば、経済的にお父さんに迷惑をかけなくても済むと考えたのだが、
「採用試験はまた受ければいい。大勢の子供より、今は朔空の傍にいる方が大事なのではないのか。教員は時間通りに帰れないぞ、月乃の受け売りだがね」
 お父さんの忠告に感謝のひと泣きをした後、咲月さんは今まで通りピアノのアルバイトを続ける事にしたのだ。
「ジン、わたしってまんまる幸せね……」
「ぼくだってまんまる幸せだよ」



       2


 最近、霧人君が新しい姿見というものを設置した。
 興味津々で近づいて行くと、その中にもうひと部屋あるみたいで、白猫ジンの真似っ子がこちらを見ている。朔空君も不思議そうに鏡面に手を触れる。ぼく達は姿見の中の偽ジンと偽サクラを探して、姿見の裏に回ったり擦ったり叩いたり呼んだりして、しばらく不可思議な世界に入り込んだ。
 ふたりで姿見の左右に立ち上がり、その表と裏を同時に見て、偽物の正体を追い詰めようとしたが、敵の姿は表にしかない。
「サクとジン、動きまでシンクロしてるわ。結月に見せたい」
 咲月さんが、笑いをこらえながら動画を撮っている。
「幼きシンメトリーだ」
 夕食後、ソファーでくつろいでいるお父さんが、さらっと詩人の数学者みたいな事を言った。
 
 朔空君が眠りに就いた頃、玄関の音がして霧人君が帰宅した。
 ぼくはいつでも真っ先に駆けつけて、霧人君に抱き上げてもらう。相変わらずの石鹸くささの中に、最近はほんの少しアンモニアが混じっている。
「おかえり、キリ」
 咲月さんは夕食を温め直す。
「キリ、次の休日、サクのお迎えを頼まれてくれるかしら」
「……いいけど」
「助かるわ。急に夕方の演奏の交替頼まれて。ちょうどキリのお店が定休日の日だからと思って甘えちゃいました。ありがとう、キリ」
 咲月さんは霧人君に両手を合わせてから、携帯電話のアンテナをビッと出し、了解の電話を同僚にかけていた。
 遅めの夕食前に、霧人君はぼくを連れて、咲月さんの部屋で健やかに眠っている朔空君にお休みのキスをするのが、帰宅後の日課になっていた。
「うふふ、本当にキリはサクの事を愛してくれているのね。もちろん、ジンもお父さんもよ」
 霧人君は咲月さんに聴こえないように、
「口に出すなよ、いちいちうるせえ」
 と、もごもご言いながら、ガシガシ夕飯を食べた。そして、
「朔空の迎えに魂胆は無いよな?」
 ほんの少し猜疑色の目をした。



       3


 園はお迎えの父兄でごちゃごちゃして、子供達の甲高い声が園内に響いている。
 受験のためのカットモデルになってもらった数名の先生に会う度に、霧人君は挨拶をして大変そうだ。
 一歳児クラスは、扉に「さくらんぼ」と書かれていて、中ではそれぞれの園児が自由に動き回り、お迎えを待っている。幼すぎるせいか、教室内は騒がしくはなかった。
 ぼくは霧人君の持つバスケットの隙間から、部屋の隅で先生の膝の上に座って、絵本を読んでもらっている朔空君を見つけ、「ニャア」とひと声鳴いた。
「シーッ」と促す霧人君に気づいて、
「サクラ君、今日はお兄ちゃんのお迎えだよ」
 絵本を閉じると、朔空君を連れて一緒にこちらにやって来たのが環先生だった。
 環先生は、霧人君に連絡ノートや着替えを渡しながら、
「先日は、お店に突然行ってしまってごめんなさい。てっきり、サクラ君のお兄さんに切ってもらえるのかと、はりきって行ってしまったのです」
「あ、すいません」
「いつ行ったら切ってもらえるのですか?」
「新米中の新米なので、早くても一年、二年先です」
「えええ、そんな……私、前に切ってもらった髪がすごく気に入って、また切って欲しいのです」
「はあ、早く上達するように頑張ります」
「あ、ごめんなさい……サクラ君、また明日ね」
 気を取り直すように環先生がそう言うと、朔空君が環先生にしがみついて離れない。
「どうしたんだ、朔空」
「いえ、いつもの事なんです。サクラ君、帰る時は私の首にぎゅっと巻きついてからじゃないと剥がれないんです」
「え? 朔空、環先生から剥がれないんですか」
 霧人君が突然吹き出した。
「訊いたか、ジン。朔空のやつ、環先生が好きなんだな」
「ニャア」
「あら、猫ちゃん」
「あ、すいません。連れて来ちゃまずいですよね」
「いえ、専用のバスケットに入ってますから大丈夫です。私も猫ちゃん大好きです」
「『ジン』という白猫です」
「見たいです」
「機会があったら」
「……また髪切って欲しいです」
「……機会があったら」
 なんだ、この会話は。ぼくはバスケットの中でじりじりした。
 問題の朔空君が環先生から剥がれたところで、ようやく園を後にして、霧人君の運転する車で、夕方の砂浜に寄り道をした。
 朔空君とふたりで、ぼすぼすと変な歩き方を楽しんでいる間に、遠くの空が赤くなって来た。
「ジンが赤い化け猫になる前に帰るぞ」
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