Zinnia‘s Miracle 〜25年目の奇跡

弘生

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第二章

  大き過ぎる誤算

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       1

 
「ねえキリ、そろそろサクの髪、切った方がいいかしら」
 朔空君の髪は細くてふわふわで、まだはさみを入れた事がない。前髪だけをちょりんと留めているのだが、後ろ髪は肩に付いている。
「ふわふわカールの毛先を切るの、未練残るけど、伸ばしておけないものね」
 咲月さんは、眉をハの字にしながら朔空君の柔らかい髪を撫でる。
「今からやるか」
 霧人君は右手をはさみの形にして、チョキチョキして見せた。
 今では見慣れた大きな姿見の前で、椅子に座った咲月さんに抱っこされている朔空君が、いったい何が始まるのかと、大きな目をくりくりさせて霧人君の動向を見守っている。
「ジン、朔空の気を惹きつけていて」
 幼い子はカット中にむずがって動いてしまうらしいので、ぼくの出番というわけだ。
 ひと声ニャアと相槌を打ち、姿見の前で朔空君におしりを向けてスフィンクスみたいに座ると、長い尻尾を複雑にピロピロ動かした。
 実は朔空君は、このピロピロで機嫌が良くなるのだ。ぼく、ジンおねえちゃんの編み出したあやし術なのだ。
 霧人君はシャリシャリ手際良く、あっという間に朔空君を男の子っぽく仕上げた。可愛い。
 生まれた時からの髪がついに切り落とされ、咲月さんは感慨深くなって目をじわじわさせた。そして、毛先のカールした細くて柔らかい髪を丁寧に集めると、その一部を大切そうに和紙に包んで、お守りくらいの黄色の小さな巾着袋に仕舞った。
 少しおにいちゃんぽくなった朔空君の写真を、結月さんに送るのだと言っていた。
「キリ、ありがとう」
「キイ、アイガト」
 咲月さんを真似て、上機嫌の朔空君が言う。
「霧人お兄様と言え」
「イエ」今度は霧人君を真似た。
「……咲月も切るんだろ」
「はい。霧人お兄様、お願いします、うふふ」
 霧人君は咲月さんの真っ直ぐな黒髪に櫛を入れた。
 この日も平和は続いていた。


「あの、予約してないんですけど、シャンプーお願い出来ますか?」
 環先生が、再び霧人君の勤めるサロンを訪れた。シャンプーとブローのみ。アシスタントの霧人君が任されるからだろう。
 この日、後輩思いの店長が、
「柊君。彼女、知り合いなんだよね。カットモデル頼んでみたら? マネキンより実践の方が上達するよ」
 と、勧めてくれたのだという。
 環先生にしたら突然のクリスマスプレゼントみたいだったはずだ。
  
 後日、霧人君が閉店後の掃除をしていると、おずおずと環先生がやって来た。
 カット時間は三十分。
 店内が静かすぎるかなと、カット練習に付き合ってくれる店長が有線を入れると、スピッツの透明なサウンドが流れた。
「あ、私、スピッツ大好きなんです」
「咲月、いや、朔空の母親も好きです」
「わ、サクラ君のお母さんとますます気が合いそうです」
 会話しながらでも、カットに集中する霧人君が目に浮かぶ。
 そして、さらさらショートレイヤーが完成した。
「一年目にしたら上出来だよ、柊君。三角さん、お疲れ様でした」
 店長のありがたい評価に、霧人君は小さくガッツポーズをしたらしい。
「環先生、ありがとうございました。好きなヘアスタイルを選べなくてごめんなさい」
「念願のサクラ君のお兄さんにカットしてもらえてうれしいです。それと……やっぱり白猫ジンちゃんに会いたいです」



       2


 そのような経緯いきさつから、今ぼくは、お気に入りの砂浜をぼすぼすと歩くように走っている。
 そして、ぼくの後から朔空君と手を繋ぎながらついて来るのは、生成りのワンピースにピンクのカーディガンを羽織った環先生だった。霧人君がカットした髪が秋の海風にさらさらしていた。
 霧人君は、ミルクティーのペットボトルを持ったまま、砂の上に座り、ただただぼく達を眺めているだけだった。
「ジンちゃんとサクラ君、本当に兄弟みたい。霧人さんと合わせて三兄弟ですね」
「まあ、そんな感じです」
「サクラ君のお母さんも大変ですね、三人も子供がいるなんて」
 環先生が、楽しそうに続けると、
「……あいつは……咲月は母親じゃありません。おれの姉です」
「わ、わかってます。冗談で言ったんです。ごめんなさい」
 朔空君は環先生に抱っこされてご満悦だが、先生は次の言葉を探していた。
「サクラ君のお母さんは優しいし強い上に、霧人さんみたいな頼れる弟さんがいるのは心強いでしょうね」
「おれは全然頼りないですよ。いつまでも子供扱いで、もっと頼って欲しいのに……」
「あの、時々こうしてお散歩、ご一緒してもいいですか……その……」
「おれは構いませんよ。でも、保育園の方がやばくないですか。朔空は園児のひとりなんだから」
「大丈夫です、大丈夫にします」
 霧人君の膝の上で、ぼくはじりじり感じながらも、霧人君がどうしたいのかが見えて来なくて、
「キリト、言葉が足りなさすぎる」と、ニャアニャア鳴いてみせた。
「ジンちゃん、どうしたのかしら」
「寒くなって来ましたね。そろそろ戻りませんか」
 霧人君が腰を上げて砂を払った。
「あ、そうだ。今度、相談に乗って頂きたい事があるの」
「おれに? おれ、先生より歳下ですよ」
「歳とか関係ない。さっきお姉さんにも頼って欲しいって言ってたじゃないですか」
「……じゃあ、今訊きます」
 霧人君が再び腰を下ろそうとすると、環先生が朔空君を抱いたまま立ち上がって、
「違う。そうじゃなくて……また今度、って事です」
「はあ」
 ぼくのじりじりは、違う意味でのじりじりに変わっていた。ぼくは女の子として、環先生の切なさがわかってしまったからだ。
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