Zinnia‘s Miracle 〜25年目の奇跡

弘生

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第二章

  大き過ぎる誤算

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 今年も百日草の種を蒔く。
 朔空君はおもちゃのシャベルで、満足げに春の土をぽんぽん叩く。
 悪気なくうねうねと顔を出した蚯蚓みみずに、「きゃ」と咲月さんが飛び退すさり、つられて朔空君が立ち上がり、ぼくはうねうねに飛びついて、傍で霧人君が大笑いして、お父さんはサッシ越しに優しく微笑んでいた。
 何でもない平和な一日一日が愛おしかった。
 
 
 秋の砂浜散歩から、半年経っていた。
 薄青い春の砂浜で、朔空君は無邪気に砂山作りに精を出す。ぼくは掘っても掘っても直ぐに埋まってしまう穴掘りに疲れて、砂漠に佇むスフィンクスのようにどっしりと座り、朔空君を見守りながら、霧人君達のじりじりする会話に耳を傾けていた。

「だから私、結婚する事に決めました」
「そうですか」
「……好きなひとには梃子でも動かない好きなひとがいて、それがどうにも太刀打ち出来なくて……だから、元彼とやり直す事に決めたんです」
「…‥それで幸せなんですか?」
「だって! 仕方ないじゃないですか、好きなひとは、まだ……若いし、わたしが好きな事にすら気づいていないし、元彼は私の事好きでいてくれます。好きでいるより、好きでいてもらった方がいいもの」
 霧人君は、穏やかな波の繰り返しをぼんやり眺めながら、
「……おれは違います」と言った。
「お姉さんが大好きなんですね」
 環先生の長い溜息と霧人君の長い沈黙に、ぼくのじりじりはおなかの百日草の種辺りで渦巻いた。
「おれ、頼りないけど、父親のいない朔空を守……」
「違うわ。霧人さんが、お姉さんとサクラ君の傍にいたいのでしょ」
「……」
「わたし、朔空君の家族がずっと仲良く幸せでありますようにって祈ります」
「……あ……りがとう」
「結婚式には、霧人さんにヘアセットお願いしてもいいですか」
「え?」
「約束ですよ」



 朔空君は二歳児クラスの「いちごぐみ」に進級し、環先生は「さくらんぼぐみ」の担任になった。
 クラスが変わっても、朔空君は「ミスミタマキ」の首に巻きついてから帰る日課は変わっていなかった。
 けれども。
 春の砂浜でシーグラスを見つけて喜ぶ朔空君の傍には咲月さんと霧人君がいて。
 夏の砂浜では、線香花火の夕陽みたいな玉を朔空君が触ろうとして大騒ぎする咲月さんと霧人君がいて。
 秋は流木でナスカの地上絵ばりの絵を描く朔空君に狂喜乱舞する咲月さんと霧人君がいて。
 冬は鼻を赤くして、小さな焚火を囲む咲月さんと霧人君の間に朔空君がいて。
 そして、ぼくはそのたびに、光るシーグラスを掘り当てたり、線香花火から散りばめる火花を狙ってみたり、朔空君の描く線上をぼすぼす辿ったり、小さな焚火の一番近くを陣取ったりした。
「炎に魅入られた化け猫ジンだ」
「たまにはお父さんも付き合えばいいのにね」
「いいんだよ、数学馬鹿は」
「環先生、結婚するのね」
「そうだね」
「わたし、キリといい感じなのかしらって思ってたから」
「咲月だろ! 企んでたの」
「そんな事するわけないじゃない、可愛い弟の人生を誘導するような事。うふふ、馬鹿ね」
 咲月さんは、手袋をした朔空君の右手を繋ぎ、よいよいよいとリズムを取りながら、
「お父さんがいつも言ってるじゃない。『自由に生きればいいよ、でも、命は大切にするんだぞ』って。だから、キリはキリの思うように生きなくちゃ、なのよ」
「じゃあ、おれはこれだ」
 朔空君の左手を繋ぐと、「ほら」と立ち上がった。つられて咲月さんも立ち上がると、ふたりの間で朔空君が楽しそうに宙に浮いた。
「おいで、ジン」
 霧人君は、ぼくも忘れずに石鹸くさい胸に抱き入れた。
「……キリは本当にサクを愛してくれているのね」
「うるせえ」
 素敵な毎日がずっと続きますように。



       4


 百日草の種を蒔く頃、がちゃがちゃと結月さんが帰国した。
 黒いタイトなワンピースに真っ赤な春コートと白い大きな花のピアスという出で立ちだが、長い黒髪に戻していて、咲月さんと同じ顔になっていた。
「ジン、ただいまぁ」
 気を失うほどの激しいもふもふぐりぐりが懐かしい。
「サクゥ、会いたかったわ。ユウキママですよぉ」
「おばちゃんだろっ」
「あらキリ、今、わたしの事、咲月みたいって思ったでしょ」
 そう言って、黒髪をゆらゆら動かしてみせる。
「全っ然似てない」
 柊家の団欒は、結月さんの土産話、特にパートナー聖さんの活躍話と、朔空の成長ぶりで賑やかに過ごした。
 霧人君が久しぶりに結月さんの髪をカットすると、
「うーん、さすが我が弟。腕を上げたわね」
 朔空君の描く絵を見て、
「うーん、ここに天才を見い出したわ。将来ドイツに連れてっちゃおうかな、わはは」
 咲月さんをぎうと抱きしめて、
「咲月、片割れのあなたが時々恋しくなるわ」
 お父さんの白髪を指摘して、
「若くないんだから、夜更かしの読書は程々に」 
 などと大騒ぎしながら、一週間の滞在を終えて、結月さんはがちゃがちゃとベルリンに戻って行った。
「嵐が過ぎた後のようだ」
 霧人君とお父さんが顔を見合わせて苦笑した。
「霧人。朔空の面倒をよく見てくれて、咲月も助かってるよ。だが、結月みたいにとは言わないが、もっと自由に生きていいんだぞ。広い世界に可能性は無限大にある」
「ありがとう、父さん。数学馬鹿なんて言ってごめん。でも、父さんだって昔も今も変わらず母さんを守ってるよね」
 霧人君は胸の中で、そう呟いた。


 桜の季節、もうすぐ環先生の結婚式だ。
 先生は保育園退職後、一度家庭に入ってから幼稚園の教諭になるとの事だ。
「りんごぐみ」に進級した時、「ミスミタマキ」がいない事に、朔空君は悲しむかもしれない。

 結婚式は、咲月さんの勤める山の湖畔のチャペルで行われる。
 環先生の希望通り、咲月さんの演奏と霧人君のヘアセットが約束されていた。
 その日は生憎雨が降ったり止んだりしていた。朝早くから、霧人君の仕事道具など、忘れ物がないように車に積み込む。
「お父さん、サクをお願いします。行ってきます」  
「気をつけて行って来なさい」
 車が走り出してしばらくすると、いつものようにバスケットに入っていないぼくはふらふら不安定で、怖くてニャアニャア鳴いた。
「え? ジン?」
「はい、ぼくです」ニャア。
「いつ乗っちゃったのかしら、どうしよう」
 咲月さんは助手席から腕を伸ばすと、砂浜に行く時に入るバスケットにぼくを収納した。
「どうしよう」
「向こうに着いたら何とかするさ。ジン、大丈夫だからな」
 霧人君は運転を続けながら安心させてくれた。
「こんな空を花曇りっていうのかしら。ブーケトスの時は少し陽が射してくれるといいわね」
 他愛のない会話だった。
 雨が降ったり止んだりの登り坂。急勾配のカーブに差し掛かった時、坂の上からけたたましいスキール音とゴムの焼けるような異臭がした。
 その狂った怪物のようなSUVの姿が確認出来た時には、最早回避する術が無かった。
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