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第四章
朔空に流れるもの
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ぼくが五回目の花を咲かせた時には、朔空君は中学生になっていた。
背は疾うに結月さんを追い抜いて、ぼくを救ってくれた頃の霧人君を彷彿とさせた。
仲良しだった茉子は私立中学に進学して、小学校卒業と同時に会えなくなった。
でも、ぼくは知っている。
普段、あんなに仲が良いのに、三年生のバレンタインデーに、「この事はだれにも言ってはいけません」という、愛の告白とは言えないような内容の手紙を添えたチョコレートを、こっそり朔空君の鞄に入れた茉子の事を。
朔空君は「意味わからん」と言いながら、もらったチョコを結月さんに牛乳に混ぜてもらったりしていた。
四年生の時は、「だれにも見せてはいけません」と、チョコと手編みのマフラー。
五年生、クラス替えで離れてしまったが、手作りのチョコと、「私立中学を受ける事に決めました。この事はだれにも言ってはいけません」という少し真面目な手紙。
そして六年生、茉子は受験を終えたばかりだった。チョコレートに添えられていたのは、「受かったら別々の中学になるけど、お友達でいて下さい」と「だれにも内緒の」茉子の携帯番号。
「ぼく、携帯持ってないよ」
そうぼやいていた朔空君も、今は携帯を使い熟している。
茉子は朔空君がきっと好きだったのだ。
朔空君もそうだったのかはよくわからないが、ふたりの微笑ましい姿は、ぼくの記憶に残っていく。
2
「お父さん、サク連れて、ドイツ行かない?」
結月さんが唐突に言い出した。
「定年してからもうすぐ五年。常勤講師もいいけれど、そろそろお父さんも羽伸ばしたら? ガウスのドイツよ」
「随分興味深い事を言うね。ガウスか、そそられるね」
お父さんが細い目を見開いて、楽しげに言う。
「すぐとは言わないけれど、わたし、本気よ」
「結月、ありがとうな。行きたいのを我慢してたんだろう。朔空の事は大丈夫だから、結月はドイツに行きなさい」
「違う違う、我慢じゃない。お父さん、長い間働き詰めだから、本当はもっとやりたい事があるんじゃないかって思っただけ」
お父さんは口を一文字に伸ばして、それから目を瞑って何かを考えていた。
「朔空、何読んでるんだ?」
ある晩、朔空君が居間で寝転がって夢中で本を読んでいると、珍しくお父さんが声をかけて来た。
「『ダ・ヴィンチ・コード』」
本から目を離さずに答えると、お父さんは黙って一冊の本を書斎から持って来て朔空君に手渡した。
「興味があったら読んでごらん」
朔空君は「邪魔するなよ」と言いたげに横目でそれを見て、飛び起きた。
「面白そう!」
「だろ? 『モナ・リザ』の黄金比や数学的法則についても詳しく書かれている」
お父さんの言葉に頷きながら、朔空君は「モナリザと数学」という本をぱらぱらと捲った。
「……朔空は、今の段階で、将来の事をどこまで考えている?」
「え……漠然とだけど……なれたらだけど、数学者かな」
「……朔空に話しておく事がある」と、一呼吸置いた。
「朔空の父親の話をしよう。名前は『香椎隼矢』といって、中学の数学の教師をしている。もちろん朔空の存在は知っているけれども、会わせなかったのは父さん、いや、祖父ちゃんの俺と結月の判断だ。朔空の中学に赴任して来る可能性もなくはない。許して欲しい……朔空の数学好き、血は争えんな」
朔空君は興味津々の本を手にしながら、一度目を伏せてからお父さんをしっかり見た。
「……ぼくは、祖父ちゃんがお父さんだからさ」
お父さんが口を一文字にした。
「そうよ、なんたってサクの馬鹿みたいな数学好きは、数学馬鹿のお父さんの影響としか考えられないわ」
結月節が炸裂した。
ーうふふ、全くその通りね
ー数学馬鹿は引き継がれる
どうやら咲月さんと霧人君が傍にいるようだ。
まるでふたりの声が聴こえたのかのように、結月さんは勝ち誇ったような顔で、朔空君とお父さんにVサインを送った。
3
朔空君は中学二年生になり、出会った頃の霧人君と同学年になった。
朔空君の方が若干背が高い。霧人君は癖っ毛で目が細かったが、朔空君はさらさらの直毛で大きな目。見た目は似ていないけれど、雰囲気がよく似ている。そして、石鹸くさいところは全く同じである。
入学時に誘われるがままに勢いで入ったテニス部を辞め、朔空君は気ままな読書部に入った。
気ままに本を読んで気ままに帰宅する。たまに、読んだ本の紹介や感想を述べるという、気まま極まりない部活動なのである。
「性に合ってる」と、朔空君はとても気に入っていた。
梅雨の晴れ間、隣のおばさんが、
「ジンちゃんお参りさせて」
と、いきなりやって来た。
おばさんが、百日草の前に線香を立てると、
「うちのコンブが大往生したのよ」と、寂しそうに言った。
コンブ、最近見かけないと思ったら、天国に行ったのか。いや、まだその辺でぼてぼてしているかもしれない。
「二十二歳だったの。すごいでしょ」
「大事にされていたからですよ」
結月さんが答える。
「ジンちゃんはどのくらいになる?」
「ジンは十一歳でした。もう五年になります」
結月さんの「五年」という響きにハッとした。
五年の魔法、奇跡は起こるのだろうか。本当のところはわからないが、ぼくは密かに毎日些細な変化も見逃すまいと、花ながら虎視眈々としていたが、特に今のところ何の変化もなかった。
変化いえば、最近、朔空君の帰りが遅い。
「ジン、ただいま」というだけの日々が続いていた。
学校対抗、秋の合唱コンクールに出場する歌唱部の男子部員が足りなくて、急遽、顧問から選ばれた男子生徒が臨時の部員としてコンクールに参加する事になったのだ。
ふと、咲月さんは音楽教師を経験する事が出来なかったのだ思うと、ぼくは胸が苦しくなった。
ーわたしは幸せだったよ
咲月さんの優しい声が聴こえた。
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