Zinnia‘s Miracle 〜25年目の奇跡

弘生

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第四章

  琴音先輩

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       1
 

 小雨が降り出していた。
 部活を終えて校門を出ると、朔空君は白い猫を見つけた。
「ジン……」
 ぼくではないとわかっているのに白猫を追って学校の回りを半周すると、裏手の川沿いの道に出た。
 この道は、かつて霧人君が鴨や亀の甲羅干しを毎日眺めながら帰った道であり、ぼくの命を救ってくれた場所だ。
 霧人君のTシャツに包まれて散歩に来たし、朔空君が生まれてからは、ふたりの後をとことこ歩いてついて来た。思い出したくはないが、ケダモノから命辛々逃げて来た橋の袂の近くでもある。
 朔空君がしゃがんで声をかけると、人懐こい白猫は青い目をぱちぱちさせて擦り寄って来る。慣れた手つきで撫でていると、後ろから声をかけられた。
「柊君、猫好きなの?」
 歌唱部部長の五嶋琴音いつしまことねだった。黒目がちの瞳がくりくりしている。
「あ、五嶋先輩、お疲れ様です」
「やだあ、みんなと同じ琴音でいいわよ」
 琴音も朔空君の隣にしゃがみながら、一緒に白猫を撫でた。
「ぼくのうちにも白猫の家族がので、つい気になっちゃって……雨が降って来たし」
「柊君、優しい。猫の味方ね。わたしも猫大好き。ピアノの先生の家の猫ちゃんには、レッスンの前に必ずもふもふさせてもらうの」
「あ、五嶋……琴音先輩って、すごいピアノ上手いですよね」
「うふふ、明日はレッスンなの。これから帰って練習しなくちゃ。また来週、部活ちゃんと来てね」
 琴音が黒目がちの瞳をにっこりさせて立ち上がり、折りたたみ傘を広げると、手を振って歩き去るのを、朔空君はぼーっと見ていた。

 ーうふふ、サクがぼーっとしてる

 どこからか咲月さんのくすくす笑う声がした。



       2


 縁とは不思議なもので、翌日、朔空君が図書館に行こうと自転車に跨った出会い頭、ばったりと琴音と出会った。彼女も自転車だった。籠にはピアノの教本を入れたトートバッグが無造作に入っていた。
「え、うそ。ここ柊君の家だったの。わたし、毎週ここを通ってレッスンに通ってるのよ」
 琴音は「へぇー、そうなんだ、へぇー、へぇー」と、しきりに繰り返し、偶然の出会いに驚きながらも興味深げに家の方をちらちら見ている。
「どうも。これからレッスンですか?」
 朔空君は、指で鍵盤を叩く仕草をした。
「今、帰りなの。柊君はお出掛け?」
「暇なんで図書館に行こうかと……」
 琴音は少しもじもじしながら、
「ねえ、柊君の猫ちゃんに会いたいんだけど……」
 朔空君は一瞬戸惑ったし、断ることも出来たのだが、
「…………いいですよ」
 跨っていた自転車から降りると、琴音をぼくの咲く庭に招き入れた。
「ぼくの『ジン』が眠っている所です」
 そう言って、色とりどりに咲く百日草を示した。
「え……うそ」
 琴音は自分がとんでもない事をお願いして、朔空君を傷つけてしまったかもしれないと、
「ごめんなさい」
 と、掠れ声で謝り泣いてしまった。
「げっ、何で泣くんだよ。助けてくれよ、ジン」
 心の中で朔空君は叫びながら、結月さんとお父さんがたまたま留守で良かったと、家の中を振り返りながら思った。特に結月さんは。
 一学年先輩、しかも部長のくすんくすん泣いている姿に、どう対処していいのかわからずに、
「すいません、ぼくが猫の家族がって言っちゃったから……」
 それから朔空君は、結月さんから詳しく訊いている、ぼくが柊家にやって来た時の話を、琴音に語った。すると、
「もしかしてジンちゃんを助けたお兄さんて、陸上部じゃなかった?」
 突然琴音が訊いた。
「あ、うん、確か、でも……」
「でも、怪我しちゃって走れなくなっちゃったんでしょ?」
 何で琴音先輩が知ってるんだと、朔空君が怪訝そうな目をすると、
「親戚のお姉さんに訊いた事あるの。好きだったらしいの、その人の事。もちろん、そんな事は言えずに卒業したんだけど、今でも忘れられないんだって。中学生の頃の好きな人って、おとなになっても忘れられないものなのかしら」
 朔空君が黙っていると、
「その人、美容師の学校に進学したから、いつか髪を切ってもらいたいなんて思っていたのにって……本当に朔空君のお兄さん、じゃない叔父さんの事なの? あの事故」
「……うん、本当だけど、ぼくはよく覚えてないよ」
「ごめんなさい、また余計な事」
 ぼくは再びあの時の事を思い出していた。十年経っている今も、咲月さんと霧人君は、ちゃんと静かに朔空君の傍にいる。
「ぼくが覚えているのは、母とキリ兄とジンと一緒に砂浜で遊んだ事。それと……」
 朔空君は、琴音のピアノの教本に目をやって、
「母がピアノを弾いて歌ってくれた事……かな」
「お母さん、ピアノ弾く人だったんだ」
「うん。うちにも琴音先輩のと同じ教本がありますよ」
 琴音は少し曇りがちな空を見上げて、
「ふうん、柊君のお母さんと話したかったな」
 ピアノの先生から、鉛筆で演奏の指示をたくさん書き込まれている教本を、意味なくぱらぱらと捲りながら、
「わたし、音楽の先生になりたいの。しかも、本格的にピアノが弾ける先生、素敵でしょ。だからレッスン頑張ってるの」
 朔空君は、
「頑張って下さい、ぼく応援してます」
 と、月並みな言葉しか出なかったが、その代わりに、咲月さんの作った「百日草の奇跡」の詩をそらんじた。
「素敵な詩、誰の?」
「……母の……」
 朔空君は、自然にしてしまった自分の行動が信じられなくて、夕焼けでもないのに頬が染まっていた。
「ありがとう、大切な詩なんだね。わたし、がんばるね」
 琴音は長い指をグーの形にして、朔空君にその意志を見せた。そして、
「まずは、秋の合唱コンクールよね。来週もちゃんと練習に来てね。それと、いつかわたしのピアノ演奏も聴いてね」
 琴音は明るく笑うと、百日草、いや、ぼくに向けて、
「ジンちゃん、ばいばい。またね、うふふ」
 と言って自転車に乗った。
 朔空君は、すっかり図書館に行くタイミングを逃してしまったので、自転車をしまい、ぼくに語りかけた。
「ジン、琴音先輩の笑い方、誰かに似てないか?」

 
 合唱コンクールが終わると、三年生は部活を引退し、受験に集中するようになる。琴音も二年生に部長を引き継ぎ、朔空君は平和な読書部に戻った。
 やがて、朔空君にピアノ演奏を聴かせる間もなく琴音は卒業し、朔空君も受験生となった。
 五年の奇跡の魔法と呼べそうな出来事は特に起こらず、日々は過ぎていった。

 ーうふふ、サクの呪文が間違えちゃったのかもね
 ー機を熟すにはまだ早いんだよ

 咲月さんと霧人君が、猫だった時のぼくをくりくりしてくる感触が伝わって、ぼくは花の姿でグルグルと喉を鳴らした。
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