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第五章
朔空の解答
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「私達二人は常に万物への感謝を忘れずに、楽しい時も苦しい時もいかなる時も互いを尊重し合い、笑顔を絶やさずに手を取り合って生涯添い遂げる事を、皆様の前で誓います」
胸に真っ白な百日草の花をあしらったシルバーのタキシードの朔空君と、無垢の象徴である真っ白なウエディングドレスにシルバーのティアラ、百日草の盛り込まれたブーケを手にした、いつにも増して可愛らしい千弦。慶びと緊張に包まれた厳かな空間、ふたりは祭壇上で証人となる全ての列席者と参列者の前で、その結婚誓約書を読み上げ永遠の愛を誓った。
普段よりも増して背が高く見える朔空君が、先日ぼくに囁いたのは、
「ジン。ぼくったら、生まれて初めてシークレットシューズを履くんだよ、ふふ」
千弦が二十センチメートルのヒールを履くので、それに合わせての事だそうだ。
「歩きにくくて変な感じなんだ。ジンにはわからないだろうな、ふふ」
お互い職場関係は呼ばなかったが、千弦の多数の親族や友人に対して、朔空君の親族はお父さんと結月さん、友人は大学時代の大友人の白尾君と研究室の友人数人だけで、千弦側の半分にも満たなかった。
披露パーティーが始まるまでの間、それぞれが楽しげに談笑している中、結月さんは母親として朔空君の友人達への挨拶に回っていた。少し型破りでがちゃがちゃしているとはいえ、結月さんの人並みな行動に、ぼくは少なからず驚いた。
そこで出会ったのが、白尾生吹だった。
「アートは見えないものを描く事が出来ます。生命の根源の科学的可視化と何だか似ていませんか」
結月さんは初めて聖さんと出会った時のような感覚を認めた。
朔空君と千弦の入場には、みんな息を飲んだ。千弦があまりにも美しくチャーミングな笑顔で登場したからだ。
お決まりのイベントが進む中、大きなモニターにふたりの歴史を辿るような写真が、交互に映し出される。
保育園のプールで遊ぶ朔空君の映像が映された時、幼い朔空君に伸ばされている保育士の手が写っていた。
この手が誰のものなのか知っているのは、手の持ち主である環本人しかいなかった。環の微かな動揺を誰も気づくはずもない。
そして、本来ならここに列席しているはずだった、咲月さんと霧人君が一緒に写った写真が映し出された時、環が椅子から崩れ落ちてしまった。
突然の新婦の母親のハプニングに一時騒然としたが、
「嬉し過ぎて緊張してしまったみたいで……」
取り繕う環を夫の征吏が助け起こした。
その後、モニターに朔空君の小学校時代の絵日記が映し出されたが、それは絵ではなく、平仮名だらけの言葉の羅列だった。
「新郎による、詩の朗読をお聴き下さい」
朔空君が立ち上がり、一遍の詩を朗じた。
「庭を彩る百日草
ママが植えたの百日草
命を繋ぐ強い花
奇跡を起こす愛の花
百の笑顔が大好きで
百数えれば泣き止むの
百の願いは胸の中
百の祈りを捧げるの
命を繋ぐ百日草
想い変わらぬ愛ならば
奇跡を起こす百日草
君は知ってる?
巡る命、二十五年の魔法の歌」
今度は結月さんが倒れるのではないかと思ったが、そんな事はなく、ただ、お父さんと目を合わせ、大粒の涙が大きな目から落下しないように、少しだけ顎を上げて、朔空君の朗読を一言一句聴き逃すまいと、耳を傾けた。
「……二十五年の魔法?」
この時ぼくは、咲月さんの掛けた百日草の魔法の意味を理解出来たような気がした。
6
ふたりの新婚旅行はイタリアに決まっていた。
朔空君はルーブル美術館の「モナ・リザ」に会いたかったのだが、千弦がフランス旅行は経験済みだったからだ。けれど、イタリアといえば、レオナルド・フィボナッチだ。朔空君が静かにウキウキしているのが、ぼくに伝わってきた。今回ばかりは鉢植えのぼくは留守番だが、芽を出す時期にはまだ早いからしばらく眠ろうかと考えていた。
お父さんが倒れたのは、朔空君達が朝一番で予約したフィレンツェのウフィツィ美術館で、サンドロ・ボッティチェリの輝く作品達に、目と心を奪われていた頃だと思う。
書斎から出たところで、片足に力が入らずお父さんは倒れてしまったのだ。前日からのふらつきを疲れのせいだと、重く考えなかったのはお父さんらしくなかったし、ある意味お父さんらしくもあった。脳梗塞だった。
救急車で運ばれたお父さんが目覚めるまでの三日三晩、結月さんはほとんど眠る事が出来ずに、ただただひたすら回復を待つしかなかった。ふらつきのあった前日から倒れるまでに、あろう事か二度も脳梗塞を起こしていたため、目覚めた後も、お父さんの意識は働いているのか不安でしかなかった。
それでも奇跡を祈る結月さんは、
「ママ、お父さんを助けて! キリ、咲月、お父さんを守るのはあなた達の仕事よ! ジンもどこかで見てるなら、お父さんを起こしなさい! ぼんぼりも小ちゃいからって怠けちゃだめなんだから。みんなお父さんのこと大好きでしょ!」
神様への祈りよりも激しく、祈りというよりも命令に近かった。
もちろんぼくはお父さんを起こす気満々で、猫だった頃の激しい猫パンチをお父さんの意識のピアノ線に繰り出すのに必死だった。
「サク! 早く帰って来て!」
結月さんは、痛くなるほど固く手を組み、絞り出すようなぎりぎりの声で、小さく叫んだ。
お父さんの意識がお父さんの物として戻った時、結月さんの大きな目は窪んで隈が出来、肌にもすっかり張りがなくなっていた。お父さんが、
「結月……済まない」
と、声を掛けた時には、結月さんは気絶するほどの感謝の叫びを発したつもりが、その声は掠れるほどしか出なかった。
「お父さん、良かった」
そう言って泣いた。ただ泣いた。
お父さんの右半身麻痺は深刻で、回復の見込みを医者は明言しなかった。呂律の回らなさは認められるが、自分の倒れた状況を、お父さんはなんとなく憶えているようだった。
そして、お父さんは驚くべき事を結月さんに告げた。
「結月、俺と親子の縁を切りなさい」
「え?」
「俺との養子縁組を解除しなさい」
「何言ってるの、お父さん。やめてよ、おかしくなっちゃったの?」
「俺は頭はクリアだ。だから言ってるんだ」
「意味わかんないよ」
「縁を切るんだ」
結月さんは、お父さんの認知機能が壊れてしまったのかと恐怖と悲しみに包まれ、お父さんがお父さんでなくなったような気がした。
「結月、俺のからだが動かない以上、お前は傍にいてはいけない」
「なんで? 何言ってるの?」
「……結月が娘である以上、俺への介護の義務が生じてしまうからだ。それは、決してあってはならない。だから、今のうちに養子縁組を解除しなさい」
「……お父さんて……本当は馬鹿なの?」
イタリア旅行から帰国した朔空君が駆けつけると、結月さんはお父さんが倒れてからの全てを語った。
「お父さん、ぼくピサに行って来たよ。『算盤の書』について、話がしたいんだ」
朔空君が言うと、お父さんは上手く一文字に出来ない唇のまま、黙って涙を流した。
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