Zinnia‘s Miracle 〜25年目の奇跡

弘生

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第五章

  朔空の検算

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      1


 旅行中の元気はどこへいったのか、千弦はたちまち朝起きる事が困難になり、担任から外れた。
「無理に話さなくてもいいよ。だけど、ひとりで悩まないで。出来る事は何でもするから、助けが欲しい時はいつでも言うんだよ」
 毎朝、このような言葉を千弦にかけてから、朔空君は仕事に出掛けて行く。自分の転職は二の次だ。


 お父さんの退院が決まった時、結月さんは大丈夫と言っていたが、朔空君は二日間家を空けて、お父さんの所に行く事に決めた。 
 千弦をひとりにする事が心配だった朔空君が、環に二日間の不在を知らせた事が千弦の怒りを買った。
「余計な事しないで。いい歳して乙女のママなんか役に立たない。放っといて。朔空君も結月ママとお祖父ちゃんパパの所に早く行きなさいよ」
 実にぷりぷりしている。
 ぼくはいつでもふわふわと朔空君にくっついていかれるが、依代よりしろの花の鉢は今回は留守番で、この部屋で千弦とふたりきりになる。
「サクラ、ぼくも連れてって」ニャニャニャ……花だけど心は猫だ。
「ジン、千弦の事見ててね。ぼくは夫という限定的な事じゃなく、信じて助け合える家族として千弦を大切にしたいって思ってるんだよ、静かにね。行ってくるよ」

 お父さんは車椅子で移動出来るほどに回復していた。元々言葉数の少ないお父さんだけれど、家に戻れた事が嬉しくて、
「血の繋がらないお前たちに、無限級数の感謝だ」
 と、声を詰まらせながら言った。
「うるせえ」 
 霧人君の口真似をして、結月さんは朔空君に片目を瞑って見せた。
「サクは憶えてないと思うけど、キリの照れた時の口癖。サクも使うといいわ、中々便利な言葉よ、うふふ」

 ーうるせえ
 ーうふふ

 本物の霧人君と咲月さんの声が聴こえたような気がした。


 
「ただいま」
 朔空君がアパートに帰宅した時、千弦は留守だった。
「仕事に行けたのかな」 
 朔空君はそう思ったようだったが、それは外れだ。ぼくは知っている。千弦は大学の時の友人と遊びに出掛けたのだ。気分転換に外出出来るのは良い事だから否定はしないけれど……何だかじりじりはする。
 そして朔空君は見つけた。出窓に置かれていたぼくの鉢が床に無造作に置かれ、華やかなピンク色のダリアが窓で咲いているのを。
「この花どうしたんだろう。ジン、ごめん、陽が当たらないな、これじゃ」
「千弦が置いたんだよ」と、ぼくは言いつけたかった。
 朔空君は、キッチンの窓の空いたスペースに、キッチン用具と並べてぼくを置いた。
 ぼくの定位置はあっさりと、華やかなダリアにとって変わったが、それも時の流れなのか……ぼくが花になってから、かれこれ二十年経っていた。生命力の強い百日草ジニアから名前をもらったぼくの、これは奇跡なのだ。文句は言うまい。
 夜遅く、千弦はほろ酔いで帰宅した。
「ストレス発散、友達とカラオケに行った後、焼肉食べて来たぁ。やっぱり学生の時の友達は最高!」
 ご機嫌な千弦を見て、
「外出出来る元気があって良かった」
 朔空君は咎める事をしなかったが、千弦がお父さんの様子を訊ねる事もなかった。



       2
 

 ピンポン。
「あれ、誰だろ」 
 普段業者など以外滅多に訪問がないので、スウェットパジャマ姿で洗濯機を回していた朔空君がドアスコープから覗くと、環が立っていた。
「お義母さん、おはようございます」
 寝癖のついたままの姿でドアを開けて、千弦とよく似た可愛らしい笑顔の環を見ると、最近千弦の笑顔を見ていないな、と朔空君は少し寂しさを覚えた。
「休みの日に急にごめんなさい。千弦の様子、どう?」
「波があります。今日は友人とテーマパークに遊びに行くと、朝早く出掛けて行きました」
「本当にわがままでごめんなさいね」
「いえ、千弦には元の通り元気になって欲しいので」
「朔空君は本当に優しいのね、小さい時から……」
「え?」
「いえ、おかず作ったの。よかったら食べて。それで、お祖父様の具合はいかが?」
「おかげさまで、思ったよりも元気で安心しています。ご心配おかけして……」
 途中から環には、朔空君の声が聴こえなくなっていたようだ。脳裏に二十五年前の朔空君の祖父、暁人お父さんの穏やかで優しい目と口調の中で、環を間違わない道に戻してくれたはっきりした強い言葉が蘇ったからだ。
「……お義母さん、どうしました?」
 朔空君をじっと見つめたまま、その場でくずおれていく環を支えながら、
「お義母さん、大丈夫ですか。ゆっくり横になりましょう」
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」
 朔空君は訳がわからず困ってしまったが、まずは落ち着かせようと、白湯でもと思ったが、環は朔空君の手を放さなかった。
「サクラ君、あなたの大好きだったお兄さんの霧人さんとお母さんを死なせてしまったのは、この私なの。ごめんなさい」
「お義母さん、どうしたんですか、何言ってるんですか」
 環は泣いて謝っているだけで、朔空君は混乱するだけだ。よく憶えていないし、ましてや詳しい経緯など、特に環先生の事など封印されて来たようなものだったからだ。
 ぼくはどうしていいのか、このままで済むのかわからなくて、動けない花などではいられないほどにじりじりして、
「環先生、お願いだからサクラを傷つけるような事は言わないで」
 そう願うしかなかった。
 洗濯機の完了を知らせるブザーが鳴っている。
「私、あなたの『キイ』お兄ちゃんに恋をしていたの。ずっとずっと好きだったし、今も好きです。だから、あなたを引き取って、あなたのお母さんになりたかったの。今、こうして義理の母でもあなたのお母さんになれた事は、神様がこんな私に下さった奇跡だと思っています」
 環は結月さんとの約束をついに破ってしまい、さめざめと泣くばかりだ。
「……お義母さん、いったい誰ですか?」 
「私の名前は環よ、サクラ君。思い出さない?」
「………環?」
「絵本が好きだったわ。霧人さんと三人で砂浜も行った。抱っこして花火も見たわ……」
「タマキ……ミスミタマキ……か?」
 遠い遠い微かな記憶が、朔空君の奥底に蘇った。
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