Zinnia‘s Miracle 〜25年目の奇跡

弘生

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第五章

  朔空の再考

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      1


「ねえ、朔空君。私、来年二十五歳になるんだけど」
 朔空君の作ったクリームシチューを口に運びながら、千弦が意味ありげに話しかけている。
「誕生日に欲しいものがあるの?」
「ピンと来ないの? 私、二十五歳までには家を建てて、子供が欲しいって言った事あるよね」
「ぼくの転職が済んでからふたりで考えようよ」
「それじゃ遅いの!」
 千弦は目を吊り上げた。
「千弦の体調、長引いて薬が増えるばかりで、ちっとも良くならないだろ。家を建てたり子供を作ったりするなら、なおさらちゃんと治そうよ。セカンドオピニオン、ぼくも一緒に行くから行ってみないか」
「私は今のドクターが気に入ってるの。それに、前から朔空君に付き添われるのは嫌だって言ってるじゃない。ひとりで行かれるのに、バカにしないでよ! とにかく家と子供が欲しいの、今すぐ」
 ぼくは千弦が怖くなった。朔空君は穏やかに対応しているけれど、千弦の言う事はぼくにはおままごとのように感じられた。


「ジン、ぼくはよくわからなくなって来たよ。こう言う問題って、ふたりで話し合って進めるものなんじゃないかな。魔法みたいに杖を振って、好きな場所に家が立ったり好きな時に子供が出来たり。そんな都合のいい事あるかい」
 朔空君の悩みは最もだ。これはぼくが朔空君贔屓だからではなく、おとなとして、人として不条理な話だ。猫の、いや花の、いや種のぼくだって理解できる。

「ふたりの家なんだから、後悔しないようにちゃんと話し合って進めよう。それには千弦が元気にならないと」
「建てるのは建設会社なんだから、私の元気は関係ない」
「建てている最中だって、引越しだって、気も遣うし体力だっているよ」
「夫婦なんだから、元気な朔空君がやればいいじゃない」
「子供だって、千弦があんなにたくさんの薬を飲んでいたら、作るに作れないよ。だから、セカンド……」
「だから、今のドクターがいいの。それに、薬飲んでても大丈夫だってドクター言ったもん」
「ぼくが嫌なんだ。だいたい、子供が生まれて千弦がそんな状態で、子育て出来るのか」
「子育ては夫婦で協力し合うもの。私が出来ないなら朔空君がやるのが当然でしょ」
「……なんですぐに子供が欲しいんだい?」
「子供の頃から決めていたの、二十五歳までには子供を作るって」
「話にならない」
「朔空君は子供が欲しくないのね」
「そんな事は言ってない。今はあらゆる意味で難しいと言っているだけ。君が……」
「君って言わないでよ! 少子化なんだから世の中に貢献出来るじゃない」
「……生まれてくる子が可哀想だ。産む事自体がゴールなら」
 ふたりの言い合いは全く噛み合わず、少しでもすり寄せようと努力する朔空君の言葉は、まるで千弦の耳には入っていないように思えた。



       2


 それ以来、家の話も子供の話も出ないまま、一ヶ月後に千弦の誕生日が迫っていた。
 朔空君は気にはなっていたものの、話題に出せば責められる一方で話にならないので、千弦が落ち着くまで波風を立たせないように、しばらく口を噤んでいた。
 ある晩、朔空君の作ったカルボナーラを食べながら、千弦が無言でテーブルの上に差し出したのは、離婚届けだった。
 寝耳に水。ぼくも驚きのあまり、早めの発芽をしてしまいそうだった。朔空君を見守って来たぼくとしては、むしろ賛成したい書類だったのだ。それなのに、
「千弦、君はたくさんの薬を飲んで冷静な考えが出来ないんだよ。ぼくは、君をずっと支えていくって決めているんだ。だから、もっと柔軟に考えて、まずは薬を少しでも減らす方向で努力してみないか」
 朔空君は離婚を止めたのだ。
「君って言わないで。もう朔空君と居ても、家を建ててくれないし子供も作ってくれない。私の理想が崩れちゃったの。だから別れる。アパートも決めて来たから、すぐに出て行く」
「身体がだるいんだろ。無理だよ」
「来週には引っ越すから」
「…………」
「朔空君、次の休みに引越し手伝ってね」
「…………」
 朔空君は開いた口が塞がらず、ぼくは閉口した。
「サクラ、怒れ!」
 ぼくは声を発せない事をこんなに悔しかった事はない。それなのに、
「それで千弦が冷静になれるなら、しばらく別居しよう。その間も何かあればフォローするから。それと、ご両親には伝えた方がいいね」
「また余計な事する気! 私はいつまでも乙女ぶってるママが嫌いなの!」
「……君の考えの方が、遥かになんじゃないか。『乙女』の使い方が合っていればだけどね」
「君って言うな!」
「ぼくは、今も君を助けたいし守りたい家族だと思っているよ。だけど君は少しもぼくの考えを汲んでくれないんだね」
「だから、君って言うな!」

 その週末、朔空君は千弦の引越しを手伝い、理解し難い支離滅裂の罵声を浴びせられ、ついに朔空君自身が再び心療内科に通うはめになり、散々な目にあった。
 ぼくは苦しくて苦しくて、でも朔空君はその何百倍も苦しくて、朔空君が許しても、ぼくは決して千弦を許したくなんかなかった。
「一年前に祝福されながら結婚式を挙げたばかりで、証人になってくれたみんなに申し訳ないとは思わないのかい」
「……思わない。だって仕方ないよ、私の計画がずれちゃったんだもん」
「……わかったよ」
 千弦の二十五歳の誕生日に、ふたりの離婚は成立した。

「お義父さん、お義母さん、この度はこんな結果になってしまい、申し訳ありませんでした」 
 千弦は両親にさえ頭を下げるのを拒否したため、朔空君はひとりでけじめの挨拶をした。
 あれほど気さくだった征吏は別人のように恐縮し、
「本当に娘のわがままで申し訳ない。私達の育て方が間違っていたんだ。どうか朔空君にはこれからの人生、自分のために生きて欲しい」
 と言い、一呼吸置いて、
「飲みながらの君の数学雑学は面白かったよ」
 と、残念そうに笑顔を向けた。
 環は中々言葉も出ずに、涙を溜めて朔空君を見つめたまま、ゆっくりと床に頽れていった。そして、「ごめんなさい」と泣きながら何度も何度も繰り返し、
「サクラ君、これが私への神様の罰ね」
 と小さく震える声で言った。
「罰なんかないですよ、罪がないんだから。それよりも、お義父さんもお義母さんもどうか元気でお過ごし下さい。それから……千弦さんの事、気をつけて見ていてあげて下さいね」

 その後は朔空君自身も引っ越すための物件探しにいとまがなく、転職はさらに先延ばしになった。
 その頃だった。
 朔空君の留守中に、千弦が我が物顔で鍵を開け、忘れ物など細かいものを取りに来たのだ。
 その時突然、ぼくは千弦に捨てられた。
「何がお守りよ、自分の方が乙女のくせに。こんなの何にも咲いてないただの古い鉢じゃん」
 アパートの裏に流れている川に発芽寸前の種ごと土と一緒に流された。
 真っ暗でどんどん眠くなって意識は遠のいて何もなくなった。
 
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