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最終章
二十五年目の奇跡
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外の冷たい空気から遮られた聖堂内は、静謐な空気と香りが漂っていた。普段は質素な祭壇が、ポインセチアやモミの枝葉で飾られている。
信徒達は静かに席に着き、すでに祈りを捧げている者もいる。音のない蝋燭のゆらめきが、初めてクリスマスミサに参加した朔空を敬虔な気持ちにさせた。
琴音はこの教会での最後のクリスマスミサのオルガンを弾いた。
今宵ばかりは、ジンもジーニャもジーノも留守番だった。それぞれが聖夜の空を見上げながら、これからの平和な未来を願っていたかもしれないし、温かい太陽の下で蝶々を追いかける事を夢見ていたかもしれないし、蒲公英の綿毛を飛ばしたり早くおやつの時間にならないかと考えていたかもしれないし、兄弟みんなが一緒に暮らせますようにと祈っていたかもしれない。
それは、まるで決められていたかのように、自然にシンプルに当たり前のようにふたりを導いた。
クリスマスが終わると、朔空と琴音は、必然であったかもしれない出会いを果たすきっかけになった教会と神父と神に感謝をした。
そして、その場で神と神父に誓い、ささやかなふたりだけの結婚式を挙げた。もちろん普段着の私服のままで。
2
翌年の春、朔空君と琴音はぼく達三兄弟を伴って、朔空君の実家に戻った。
お父さんの喜びはひとしおで、細い目がなくなってしまうのではないかと思うほど、顔に皺を寄せて笑顔になった。
結月さんのがちゃがちゃは健在で、
「ううん、ジン、お帰り。マシュマロふわふわ食べちゃう」
そう言いながら、「わーん」と本気で泣きながらぼくをぎうぎう抱きしめた。
「ジーニャもジーノもよく来たわ。焼き大福と大判焼きね、うまうま」
と、こちらも大袈裟に舌なめずりして抱きしめてから、
「サク、自然に呼吸出来る場所が居るべき所、在るべき人よ。ね、琴音ちゃん」
まるで、何年もの間会っていなかった事など飛び越えてしまったかのように、結月さんは自然だった。自然すぎて、
「新生ジンもその兄弟達も、素麺食べるかしら」
と言って、ぼく達の前に白い素麺をうねうねしてみせるのだった。
「結月……」
お父さんの呆れた苦笑に、みんなが一気に大笑いして、この平和な新しい家族の形に、写真の咲月さんと霧人君も月乃ママも笑顔になるのだった。
まだ咲くには早い百日草の庭に出ると、珍しく早咲きの白い花がゆらゆら小さく揺れていた。
「あ、ぼくのこぼれ種だった花の子孫かな」
ぼくは、花の前にエジプト座りをして、哲学者みたいな顔つきを装ってみた。
ぼくの目の前では、ジーニャとジーノが土からはみ出た蚯蚓や石の陰に逃げ込んだ蜥蜴を捕まえようと必死である。
「こらこら、ジーニャもジーノも、この百日草から名前をもらったのだから、こちらに来て一緒にこの花を愛でなさい」
と、言ってはみたものの、彼らはそれどころではないようだった。
前世で逃げ惑ったぼくの兄弟は、安否不明の行方知れずだった。今度は一緒に生まれた兄弟と同じ家で暮らせるなんて夢のようだ。
琴音が、早咲きの百日草とぼくの前で、咲月さんの詩を口ずさみ、
「二十五年の魔法って、本当にあったのね」
ターコイズにぽっかり浮いた綿雲を見上げて言った。
「まさか、この家に住む事になるなんて、あの時は思いもしなかったわ、うふふ」
「二十五年の魔法、ぼくとジンが作ったのさ。琴音先輩をここに連れて来るために……ごほっごほっ」
慣れない台詞をかっこよく言おうとして、朔空君は失敗したように見えたけれど、琴音は黒目がちの目で朔空君をじっと見つめると、
「柊君、可愛い」
初めて思い切り朔空君に抱きついた。
「柊君、石鹸くさい」
そう、ここに来てやっとからだを寄せ合うという、不思議なのんびりした関係がここに本当にあった。
「サツキ、キリト、ぼくがふたりを見守るよ。だから安心して」
3
朔空君は、地元の大学院での博士課程に進めるように、教授に推薦状と論文の添削を依頼して、面接と試験に挑み、次の年、フリーランスをしながらの大学院への復帰を果たした。
琴音も母校の中学に転任し、ますます生き生きしていた。家では咲月さんのピアノを弾き熟し、あの詩にメロディを付けて歌っていた。童謡みたいな可愛らしい咲月さんの曲とは違って、半音を多く使った不思議なメロディーで、この曲が聴こえてくると我々ジニア三兄弟は、挙って鍵盤の上に飛び乗りニャアニャア鳴きながら、琴音の演奏の邪魔をするのだった。
お父さんは、動きの悪い右手の代わりに、左手で何でも熟すようになっていた。驚くほど字も上手く書くし、最近は立体図形の錯覚を調べていて、折り紙を左手で器用に折るのだ。ちなみに、ぼく達のために、釣竿蝶々の蝶を新しく立体的に作り直してくれた。もちろんぼく達は競ってジャンプするうれしい羽目になった。
驚くのは結月さんだ。朔空君と入れ替わるように、しばらく家を空ける事になった。博士号を取得した白尾君と共に、聖さん家族のいるベルリンを訪ねるそうだ。聖さんとは良好な関係が続いていて、白尾君を引き合わせる目的もあるようだ。実に不思議で自由な関係だ。
その結月さんから訊いた話によると、千弦はその後小学校教師を辞め、友人とよく出掛けていた大好きなテーマパークで働こうと、今はダンスを習っているそうだ。猫のキイの次に迎えた猫は、千弦が名前を付けて可愛がっているという。今度は三十歳までに結婚と戸建てと出産を叶えてくれる相手を探しているようだが。環からはそんな報告と謝罪があったそうだが、やっと子離れが出来たようだと随分と明るくなり、今は元気に過ごしているらしい。
香椎隼矢は退職後、数学を楽しく学べるメソッドを立ち上げ、子供達に遊べる数学を教えているという。その際はお父さんにも相談に来たらしい。自分の家庭を大事にする事を条件に、咲月さんの墓参りもお父さんは赦したという。
数真君はサッカーのクラブチームに所属して、レギュラーで頑張っているとの事。
茉子はドリトル動物病院を継ぐべく、獣医になっていた。
ぼく達が恐怖の予防注射に訪れた時の、ツインテールの若い女医が茉子だったのだ。ぼくはその揺れる髪先が気になって落ち着かなかった。
「サクラ君! 何年振りかな、また白猫なんだね」
「マコ、変わってないな。夢通り獣医になったんだね、すごいや」
「うん、そうだよ。サクラ君は画家になるのかと思ってた。それと、今でもあの時のサクラ君のママが作ってくれたプリンが忘れられないよ」
ピュアな朔空君は少しドキッとして琴音の方を振り向いた。
「可愛い思い出は宝物ね。うふふ」
ぼく達三兄弟は仲良く勝手自由に、今穏やかな柊家に安住している。
そして百日草は決して絶えることなく命を繋げていくのだった。
みんなみんな、まんまる幸せに生きている。
これこそが二十五年という月日の奇跡なんだ。
何だかぼくは、そう思った。
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