うつつオカルト日記 番外編(夢日記)

弘生

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12月2日(火)

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  どこからどこまで曖昧な夢現


 確かあの日はお天気が良くて、朝起きた時のベランダの風が穏やかで、
「今日こそ太陽が部屋を照らしている間に、絵を描き始めよう」
 と、気持ちだけはやる気満々だったと思う。
 午前中の簡単な家事をするっと済ませ、フリースワンピの上に汚れてもいいシャツワンピをぎうぎうに重ね着して、特大チューブから絵の具を出そうとしたのに、腕と指が痛くて、硬い金属チューブから絵の具が中々出てくれない。
 うぎぃと言いながら、あたしは漫画のように顔中をばってんにして、うぎうぎと絵の具をキャンバスの上に直接出した。
 両親指がもげそうに痛いけれど、今日のあたしはやる気がもりもりあるのだ! と自分に言い聞かせてパレットナイフでざざっと塗布を始めたのだが、痛みのせいで右の腕と指が悲鳴を上げた。あたしは右利きだから……
「ストレスのせいだと言われても、こんな症状では何をやるのも躊躇してしまうわ」
 と、がっかりしてばかりもいられないので、負担が少なかろうと、瓶に布を気ままに貼り付ける作業をちまちましていたけれど、ちっとも楽しくないし、負担かけてないのに腕がずきずき痛い。とにかく今日のあたしは絵が描きたかったんだ。
 背中はサッシ越しの太陽のおかげで、猫の背のようにぱんぱんに熱くなっていて気持ちがいいのに、手先が氷のように冷たい。湯たんぽを作って手を温めてから手袋をしたけれど、あまり効果がない。そのうちに、ああ、またもや全身疼痛がやって来た。こうなると全く心身の置き所がない。
 こういう時は、全てにおいて勿体ないけれど、睡眠に逃げるのが疼痛の回避策になる。あたしは湯たんぽを抱えてベッドに潜り込んだ。

 からだは温まってきたようだが中々寝つけなくて、半身起き上がって何気にキッチンの方を見ると、誰かの裸足の足先がある。
「ん?」
 立ち上がっていくと、キッチンの床に、蘇芳色に白い糸で花を図案化した刺繍が施されている綿麻っぽいワンピースを着た母が、素脚の両膝をくの字に曲げた状態で眠っている。まるでここだけが夏のように……あたしに似ているけれど、少しウェーブがかったボブはやはり母だと思った。
「お母さん!」
「あっ」
 母は物凄く驚いて、まるでパニックを起こしたように焦って跳ね起きた。
 あたしは、これは夢だと気付いた。

 あたしは自分がベッドの中にいる事を確かめるように、からだの回りのシーツや掛け布団を手探りで触ってみた。眠れないなら起きてしまおうと目を開けると、母が奥の部屋の細いベッドで、白い寝具に皺を寄せる事なく行儀良く眠っている。
 その顔は青白いけれど、あたしによく似ている。でも、ウェーブがかったボブはやはり母なのだった。
「お母さん!」
 あたしが駆け寄って母の額に触れようとすると、
「おお」
 と、母は何やら感動めいた声を発し、目を大きく開けたかと思ったら、また静かに目を閉じて眠った。
 あたしは、これもまだ夢だったのだと気付いた。

 あたしは水浴びをした後の犬のように、何度も首もからだも思い切りぶるぶると振って、眠る事を諦めて起きてしまおうと思った。
 それにしても指先が氷のように冷たい。蝋燭の炎でもいいから指先を温めたい、などと思っていたら、白い壁の狭くて薄暗い部屋で眠っている母の枕元のヒーターが赤く燃えている。それは、母の髪にくっつきそうな程近くて、このままだと母の髪が焼け焦げてしまいそうで、あたしはそのヒーターを取り除くのに、腕が痛くて苦労している。よく見ると、もう一台小さなストーブが、同じ枕元で燃えていた。
 あたしは目が醒めて、部屋中を見廻し、母がどこにも居ない事に気付いた。

「お母さん、どこ?」
 あたしは必死に母がなぜ居ないのかを考える。そして、母が高台のハイソな館に居る事を思い出した。
「そうだった」
 あたしは思い出した事にほっとしたけれど、母がなぜその場所に居るのかがわからない。
 その館は時には人を受け容れて、宿泊や食事も提供しているようだが、旅館やホテルではなく個人の家なのだ。母はどうやらこの場所で静養しているのだ。けれど、その姿を全く現さない。
 あたしは不安になったけれど、これは夢だと納得して目が醒めた。

 あたしは目が醒めて起き上がると、母の無事を確かめるために、母に連絡をしようとした。
「…‥どうやって?」
 母への連絡方法が思いつかない。
 それに、長年母と連絡を取っていなかったから、どう伝えたらいいのだろう。
 あたしは、iPhoneを手に、
「そうだ、面白い写真をネタに『ごきげんよう』とお伺いたててみよう」
 あたしは気の利いた画像を探す。
「そうだ、美味しいものをネタに『一緒に食べに行こう』と誘えばいい」
 と、美味しいものを探す。
「でも、どうやって?」
 母への連絡手段がわからない。
「どうしてLINEしてくれないの?」
 誰かの声が聴こえた。
 あたしは急いでLINEのアプリを開きながら、はっと気付いた。
「そもそもお母さんがスマホ持ってるわけない」
 
 また目が醒める。
「ここ、どこ?」
 あたしは部屋を見廻す。
「どうしてお母さん居ないの?」
 あたしはぐるぐる回る頭で起き上がって、母が居ない理由を一所懸命思い出そうとして、頭を抱えた。
 あたしは、今もう一度、自分の居る場所を確認する。
 雑多な部屋、絵の具の匂い、湯たんぽを抱えたあたし、鏡に映った不機嫌なあたしの顔。
 ここはあたしの部屋。
 ここに母など居ないし、どこにも母は居るわけがない。20年余り前に、母はこの世に別れを告げたのだから。

 大きな混乱と大きな溜息を吐いて、やっとあたしが今居る場所を思い出し、曖昧な夢から戻って来たら、あたしはばかみたいにひとりだった。
 まだ太陽は空の端に居た。

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