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2章
小さな訪問者 5
しおりを挟む「アグリア! 早く早くっ。シオンも急いでっ。早くしないと日が暮れちゃう!」
アグリアが屋敷に押しかけてから、三日目の朝。
今日はルンルミアージュたっての希望で、朝からマルクを誘って四人で森のそばにある川で魚釣りにやってきた。
どうやらルンルミアージュは、すっかり朴訥とした田舎の遊びが気に入ったらしい。
ぴょんぴょんと飛び跳ねながらふわふわの髪に帽子を被り、元気にかけていくルンルミアージュはきた時とはまったく別人のようだ。
「川には入らないでね、ルンルミアージュ! 深くなってるところがあって、危険だから」
ハラハラと声をかければ、マルクが胸をどんと叩いた。
「俺がついてるんだから、大丈夫だよ! アグリアは心配症なんだから」
そういうマルクが、一番腕白で心配なのだ。
ぐっとその言葉を飲み込み、やれやれとふたりの姿に苦笑した。
「ふたりともすっかり仲良しね! 子どもって仲良くなるのがびっくりするくらい早いの、なんでかしら?」
髪を結ってもらったのがよほど嬉しかったのか、ルンルミアージュの態度からは柔らかくなった。それどころか、シオンにべったりだったはずが今では自分にすっかり懐いている。
「いつの間にか、ルンルミアージュは君にべったりだな。きた時のあの態度は一体どこにいったんだ?」
シオンのぼやきに、思わずぷっと噴き出した。
「おかげで私は姉の気持ちを堪能させてもらってるわ。一気に家族が増えたみたいで、不思議な感じ」
シオンが領地にやってきて以来、この屋敷はすっかりにぎやかになった。
「いつもは父とふたり、時々領民やモンバルト先生がきてくれるくらいでしょう? いつもはもっと静かなの。でも今は本当ににぎやかで、とても楽しいわ。ルンルミアージュがきてくれたおかげね」
少々にぎやか過ぎると言えなくもないし仕事も増えはしたけれど、静か過ぎるよりはずっといい。
母が亡くなってしばらくは、屋敷の中がめちゃくちゃだった。
領地の人たちが代わる代わる助けにはきてくれていた。けれど母が亡くなった年は、悪天候続きで領民たちも大変だったのだ。家は雨漏りするし、畑は荒れるしで。
父も悲嘆に暮れる暇もなく、領地のあちこちを飛び回らざるを得なくてかった。だから、屋敷の中でひとりで過ごすことも多かった。
おかげで、気がついたらなんでもできるようになっていた。料理も洗濯も、小さい木片なら薪割りも。当然自分の身支度だって。
それを父も喜んでくれたし、自分の自信にもなった。領民たちも皆ほめてくれたし。でも、寂しくなかったかと言えば嘘だ。
いつも思い出していた。髪を梳いてくれる母の優しい手のぬくもりや、耳のそばで楽しげに笑う母の笑い声を。
自分ひとりで上手に髪を結べるようになればなるほど、誰かに甘えたい気持ちやすがりつきたい気持ちに蓋をするしかなかった。
心の中に何か抑えがたい感情や衝動があっても、それをひた隠しにして笑って見せるのが常になっていた。でも今は感情が生き生きと沸き立つようで、とても気分がいい。
「君がそう言うのなら、まぁいいんだが……。そう言えば、そろそろラナの出産が近いんじゃないか?」
「えぇ。マルクの話じゃ、今夜辺りあやしいんじゃないかって言ってたわ。もし難産なようなら、手伝いにいくかも」
「君が?」
驚くシオンに、こくりとうなずいてみせた。
「えぇ。マルクのお父さんがタイミング悪く風邪で寝込んでるらしくて、もしかしたら手が足りなくなるかもしれないからって。以前にもお産を手伝ったことがあるし、どうにかなるわ」
「そうか。君はなんでもできるんだな。力仕事も農作業も、馬の世話だって君ひとりでほぼできるし」
シオンにしみじみと感心され、喜んでいいのか悪いのかわからなくなった。
「でもそのおかげで、貴族令嬢としては誰からも引きがないけどね。こんなたくましい女性はお呼びじゃないみたいよ?」
一瞬頭の中にリーロンの顔がちらついて、舌打ちしたいのを抑え込んだ。
「ぷっ! 俺は嫌いじゃない。君を見ていると、ありのまま深呼吸できる気がするからな」
ぽんっ、と音が出そうな勢いで、顔に熱がこもった。
(そんなイケメンな顔で嫌いじゃないとか言われると、なんだか……! ほんっと、美形って罪よね……)
時々忘れそうになるけれど、シオンは一応夫なのだ。対外的には、だけど。
こんな美形と並んだ自分の姿は、はたからはどう見えるんだろう。
ぶんぶんとそんな想像を振り払い、慌てて付け加えた。
「あ、そういえば一応ラナの出産にはモンバルト先生も立ち会ってくれるそうよ。牛は専門外だけど、手伝いくらいはできるからって」
「……そうか」
シオンのモンバルトに対する態度は、戦地での古い知り合いだという割にはどうにもよそよそしい。あえて互いに深い話をせずにいるような、何とも言えない空気感が漂っていた。
モンバルトも過去についてあまり話したがらないし、色々と互いにあえて触れたくないことがあるのかもしれない。
「きゃーっ! すごーいっ! マルク」
ルンルミアージュの歓声が響いた。
バシャッ! ビチチチチッ!
見れば、マルクがちょうど魚を釣り上げたところだった。丸々と太った実においしそうな形の魚を手にして、どや顔でこちらを見ている。
「よっし! 今日の昼飯、確保したぞーっ」
得意げに胸を張って高々と人数分の魚を掲げてみせたマルクに、惜しみない称賛を送った。
「ふふっ! さすがはマルクねっ。お見事っ」
「大したものだな。さすがは生粋の田舎育ちだけある。たくましいもんだ」
マルクくらいの年頃の子にとって、シオンのような年の大人にほめられるのはいたく嬉しいのだろう。マルクの顔がへにょりと緩んだ。
「へっへーんっ! 俺に任せりゃこんくらい大したことないさっ」
そう言ってマルクはバケツの中をのぞき込むと、おもむろに先に釣ってあった小さな魚を川に放った。
それを見たルンルミアージュの目が丸くなった。
「せっかく釣ったのに、逃がしちゃうの?」
川に放たれた魚は、一瞬戸惑ったように止まりそして何事もなかったかのように流れの中を泳ぎ出す。
マルクは人数分の魚だけを残し、きょとんとした顔で立ち上がった。
「当たり前だろ。食べる分だけとれたら、あとはちゃんと逃がす。それが自然との対等な付き合い方ってもんさ」
「そういうもの?」
けげんそうな顔で首を傾げるルンルミアージュに、真剣な顔でうなずいた。
「あぁ。自然は人間だけのもんじゃないからな。生き物皆でちゃんと恵みをわけあわないと」
きっと父親や周囲の大人たちからの受け売りなのだろう。いたく真面目な顔でいっぱしの大人のようなことを口にするマルクが、なんともかわいい。
同い年のルンルミアージュには、そんなマルクが大人びて見えたようで。
「ふぅん。そうなんだ……! マルク、なんだかかっこいい! 頼もしいわっ」
「かっ……! へっ……へへっ」
ふたりのなんとも微笑ましいやりとりに、思わずシオンを顔を見合わせ噴き出した。
「さぁ、じゃあさっそくお魚を焼きましょう! 焼きたてのお魚に塩を振ると、それだけでとびっきりおいしいんだから!」
魚があまり好きではないと言っていたルンルミアージュだけれど、マルクと力を合わせて一緒に釣った魚はきっとおいしく食べられるはずだ。
ふと隣に座るシオンの穏やかな横顔を見やり、ふとこんな穏やかで優しい日々がずっと続けばいいのになんて思っていた。
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