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3章
届いた手紙 3
しおりを挟むその後に振り出した雨で、まだ少しくすぶっていた納屋の残り火は完全に消えた。
領民にも見知らぬ人間を見かけなかったか、異変を感じたことはなかったかと聞いて回ったものの、これという証言は得られなかった。
「シオン……、モンバルト先生に何の話かな? 出かけてからもう、随分たつけど……」
父とふたり庭でお茶をのみながら、ぽつりとつぶやいた。
シオンは今朝早くモンバルトのもとへ行き、まだ帰っていなかった。もともと旧知の間柄なんだから、何の不思議もない。けれどなんだか出て行った時のシオンの思いつめた顔が気にかかる。
シオンに届いたタリオンからの手紙といい、何者かが潜んでいた納屋の火事といい、胸の奥がひどくざわついていた。
「そうだな……。もしかしたら、火事の件と何か関係があるのかもしれないな……」
「え……!? それ、どういう意味?」
父の意味深な言葉に、どきりとした。
「お前にも話しておいた方がいいだろうな……。実はな、数日前私のもとにおかしな匿名の手紙が届いたんだよ」
「匿名の手紙って……」
聞けば、手紙には領主である父が国に治めるべく税をごまかし、外に愛人を囲うために散財していると書かれていたらしい。
「いまだにお母様のことを愛しているお父様が、愛人だなんてあり得ないっ。そんな馬鹿なこと天地がひっくり返ったってないわよっ。どうしたそんなでたらめを、一体誰が……!?」
それにもともとこんな自然しかない貧乏領地に、愛人を囲えるほどの利益があるはずもない。そんなことは、領主であるこの家の暮らしぶりを見れば一目でわかることだ。
怒りから一気にカップの中のお茶を勢いよくのみ干せば、父も苦笑いしながらうなずいた。
「確かにうちの領地を知っている者なら、それがいかに馬鹿な話かはすぐにわかることだ。だが多分これはただの脅しだ」
「……脅し?」
「手紙にはな、シオンについても書いてあったんだ」
「シオン? あ、ゆくゆくは跡を継ぐかもしれないからってこと?」
シオンがこの領地の婿養子となったことは、戸籍を調べればすぐにわかることだ。けれど離婚前提の結婚なのだし、あえて周囲には極力知らせずにいるのだ。
なのに手紙の差出人は、どうやって結婚したことを知ったんだろう。
「手紙には、『シオン・イグバートは、国を裏切り仲間を殺した大罪人だ。これ以上罪人をかくまうのなら、領地諸共すべてを失う』と書いてあったよ」
「……!」
言葉が出てこなかった。
シオンはそんな人間じゃない。真面目で不器用で、少しわかりにくけど穏やかさと静けさを好む、優しい人だ。
そんなシオンが国を裏切ったり仲間を手にかけるなんてあるはずがない。
そしてはっとした。
「そう言えば……! 夜会でシオンの元上官だったクロイツ・シュクルゼンって男の人と会ったの。その人が言ってたの……。シオンが友の死の上に平穏に生きているとか、きれい事や正義感なんて何にもならないとかって……」
夜会での出来事とシオンの明らかにおかしな様子を父に話してきかせた。
すると父はしばし記憶を辿り、小さく息を吐き出した。
「……シュクルゼン? 名前は聞いたことがあるが、それなりに有力な伯爵家だったってことくらいしか知らんな。モンバルトなら何か知っているかもしれないが……」
「……」
モンバルトに聞けば、何か教えてくれるだろうか。シオンの過去に何があったのか。タリオンからの急な手紙、クロイツという男と匿名の手紙。それに納屋の火事――。それらの点をつなぐ、シオンの過去を。
けれどそれをこそこそと嗅ぎまわるのは、シオンへの裏切りな気がした。こんなに自分たちと領地のためによくしてくれたのに、それを裏切るような真似をしていいのか、と。
シオンと自分はただの形だけの夫婦なのだ。たった数年の間結婚という契約で、互いの利を得るだけの――。そんなほんの通りすがりの自分に、シオンの人生の深い場所に立ち入る資格なんてない。
それに知ったところで、自分には何もできない。シオンとは何の思いも通わせていない、愛で結ばれた関係ですらないんだから。
ひとり心の中で逡巡していると、ふいに父が神妙な顔つきで言った。
「ごめんな。アグリア」
「え?」
突然の謝罪に、ぽかんと口を開いて父を見やった。
「お前は昔からそうだな……。どんな思いもひとりで抱え込んで、自分の望みなんて口に出すこともなく頑張って……。いや、お前がそうなったのは俺のせいだ」
「やめてよ……! もうっ、お父様ったら急に何を言い出すの? 私はとても幸せよ。お父様とふたりでこれまで楽しく暮らしてこれたんだもの。だからあやまることなんて何も……」
言いかけた言葉をのみ込んだ。こちらをじっと見る父の目が、あまりにも苦しげで真剣だったから。
「マーガレットが死んでから、お前が寂しさを抱えていることは知っていた。だが、俺は日々を乗り越えるのが精一杯で見て見ぬふりをしていた……」
「お父様……」
「気がつけばお前はまだ小さいのにひとり何もかもをのみ込んで、隠すようになった……。その結果、お前は自分の思いも望みも何もかも閉じ込めてしまった。俺のせいだ……。俺の……」
「……」
何も言葉は返せなかった。だってそれは本当のことだったから。
母が亡くなってからの父は、いつも夜遅くまで脇目もふらずに何かしていた。それは仕事だったり家事だったり、色々だった。
そして深夜たったひとりで暖炉の前で、大きな体を縮こまらせるようにしてお酒をのむのが常だった。ちっともおいしそうなんかじゃなかったけれど。
「……逃げたんだ。あいつのいない寂しさとこれからの不安から、目の前のお前から逃げていた……。だめな父親だった」
「それは……、でもお父様だって悲しんでいることは子どもでもわかっていたから……」
けれど本当は思っていた。父が仕事に打ち込めば打ち込むほど、ひとりぼっちになった。心の中でどんどん膨れ上がる悲しみも寂しさも不安をどうすればいいのかわからなくて、苦しかった。
一度だって、そんな思いを口にしたことはないけれど。
「……お前は、言ってはいけないと思っていたんだろう? 寂しさや悲しさを口に出してはいけない、と……気持ちを心の中に押し込めてずっと口をつぐんでいた。……違うか?」
「……」
父の言葉に、思わず黙り込んだ。
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