35 / 68
3章
奇妙な距離 4
しおりを挟むすっかり皆そろっての食事が日常になった。
父とシオン、そして自分。そこにモンバルトが加わることもしょっちゅうだ。
「ぶわっはっはっはっはっ! シオン、お前すっかり酒に弱くなったんじゃないか?」
酒など一滴も入っていないような顔をして、モンバルトがシオンのグラスにトクトクと酒を注いだ。
「……そっちこそ少しは節度をわきまえたらどうだ。主治医とは言え、一応人の屋敷なんだ。少しは遠慮というものをだな……」
シオンが、げんなりとした顔でモンバルトをたしなめた。けれどもはやモンバルトにとってこの屋敷は、勝手知ったる自分の別宅、みたいなものである。
「かっかっかっかっ! まぁそう固いことを言うな。酒の席でも真面目なんぞ、犬も食わんぞ。わかったらさぁ、のめ! 若造」
「……」
とは言え、シオンもそれなりの量をすでに飲んでいる。大丈夫だろうか、と心配になる。
けれどまぁ、父の腰もようやく完治したことだし、少しは目をつぶってあげてもいいだろう。
それを感じ取ってか、お酒が解禁になったばかりの父がおいしそうに酒を飲みながらシオンに声をかけた。
「若いんだから、たまには羽目を外して飲んだくれたっていいんだぞ? もう私の心配なんてする必要はないからな! 好きに過ごしていいんだよ。シオン」
「は、はい……」
父はもとから陽気な質ではあるけれど、シオンがきてからより一層明るくなった気がする。
(やっぱり義理とは言え息子がいるって、嬉しいものなのかしら……? それとも形だけとは言え、娘が結婚したことに安堵したとか?)
おつまみになるような料理を手早く補充しながら、男衆に声をかけた。
「もう……! ふたりともあまり飲み過ぎないでよ? あとで介抱するの大変なんだからっ。シオンも無理に付き合うことないからね」
そう声をかければ、シオンのやわらかい笑みが降ってきた。
そこに漂う甘さに、思わずぐっと言葉をのみ込んだ。
(ぐっ……! またシオンから妙な色気がっ……。本当心臓に悪い……)
むずがゆい感情が全身をかけ巡りクラリとしたのをごまかそうと、慌てて空の瓶を手に取った。
テーブルの上にはすでに空になった瓶が二本、転がっていた。
酒好きの父とモンバルトが遅くまで飲んだくれるのは、もう慣れっこだ。とは言え父は病み上がりだし、モンバルトだって明日朝早くに往診がある。
となれば、そろそろお開きにしていい頃合いだ。
「ほらほら! 明日もあるんだし、もうお酒はそろそろおしまいよ。お父様も解禁になったからって、飲み過ぎは心臓に毒!」
「まぁそう言うな! アグリア。はっはっはっはっ!」
父がすこぶる嬉しそうに笑う。
「ほら! アグリア、お前もまだ飲み足りないだろう! グラスを寄越せ、注いでやる!」
「ちょっと! モンバルト先生!? もう十分だったらっ。もうっ……!」
ぎゃあぎゃあと言い合いをする隣で、シオンが穏やかな顔でグラスを傾ける。
その光景に、思わずふわりと微笑んだ。
シオンのお屋敷で見た家族の光景とは少し――、いや、大分変わってはいるけれど、これだって幸せな家族の形、みたいなものかもしれない。
ふとそんなことを思った。
「……はい。熱いから気をつけて」
シオンが手渡してくれた淹れたてのお茶から、ふわりと華やかな香りが漂ってくる。
ふたりの間に漂うその香りに、しばし黙り込んだ。
結局酒瓶を四本飲み切ったところで、ようやく酒の席はお開きになった。
リリリリッ……。
ジジッ……! リリリリ……。
さわさわと夜風に葉が擦れ合う音に交じって、虫の鳴き声が静かな庭に響く。
お酒で熱くなった頬をなでていく涼しい風が、気持ちいい。
「……今夜も、いい月。今くらいの季節が一番好き。気候もちょうどよくて、星もきれいに見えて……」
「あぁ。そうだな……」
シオンとふたり残され、酔い覚ましに庭へ出た。なんだかこのまま部屋に上がるのがもったいない気がして。
「なぁ、アグリア」
「ん? なぁに?」
「君は……」
空を見上げていたシオンの視線が、すっと自分に向いた。
そのまっすぐな眼差しに、鼓動が跳ねる。
「……いや、なんでもない。そろそろ部屋に上がろうか。少し冷えてきた」
「そうね」
本当はもう少し一緒に月を見ていたかったけれど、これ以上一緒にいたらきっと何かが変わってしまう。何か言い知れぬ衝動に突き動かされて、思いもよらぬことをしてしまいそうだった。
(きっとお酒のせいね。こんなに飲んだの、久しぶりだし……)
いつも通りの平静さを装い、自室の前にたどり着いた。そしてくるりとシオンを振り返り、笑みを浮かべた。
「じゃあ、おやすみなさい。シオン。もし明日二日酔いで辛いようなら、寝坊してもかまわないわよ。ふふっ」
あえてからかうようにそう告げれば、シオンが小さく笑った。
「このくらい、飲んだうちに入らない。軍にいた時に、モンバルトに散々付き合わされて鍛えられたからな」
「ふふっ。モンバルト先生ったら、昔から変わらないわね」
くすくすと笑い合い、部屋の扉の前で向かい合う。
形だけの夫婦にしては、少し近すぎる距離感で。
「……じゃあ」
「あぁ……」
互いにおやすみの挨拶を口にした。けれどシオンは立ち去ろうとはしなかった。そして自分も。
お腹の底からわき上がる何か熱いものを持て余し、ふと顔を上げればシオンが熱い目で見下ろしていた。
「……シオン」
気がつけばシオンの名前を呼んでいた。何かを言いかけたわけでも言いたいことがあったわけでもないのに。
じっとこちらを見つめてくるシオンの目の奥で、何かがゆらりとゆらめいた。
「……アグリア」
シオンの大きながっちりとした手がこちらに伸びてくるのを、ただじっと見つめていた。手がそっと頬に触れ、そして離れていく。
思わず追いかけるように、その手をつかんでいた。
離れようとした手が、もう一度頬に触れた。そのあたたかさに体がじんとする。頬に触れたまま動かない手に、自分の手をそっと重ね目を閉じた。
自分が今何をしているのか、どうしたいのかもわからない。けれど何か強いものに突き動かされるように、ただ衝動に身を任せたくなった。
吸い寄せられるように、顔が近づく。息遣いを感じられるほど近づいた体に、緊張と同時に喜びがかけ巡った。
互いの指で互いの顔にそっと触れ、見つめ合った。
シオンの指先が、すっと唇の上に届く。
「……っ」
じっと息をつめていた口から、思わず吐息がこぼれ落ちた。
その瞬間、シオンのもう一方のたくましい腕が自分の体をそっとかき抱いた。
首筋にシオンの吐息を感じる。その感覚にクラリと今にも気を失いそうになりながらも、甘やかなひと時に酔いしれた。
このままずっと触れ合っていたい。自然に体と心の奥底からわき上がったそんな思いに突き動かされ、必死にシオンにすがりついた。
それに応えるようにシオンの腕にも力がこもり、そしてぱっと勢いよく離れた。
「……」
「……」
互いにぱっと体を離せば、一気に体と心の熱が冷めていった。そしてぎこちない沈黙が落ちた。
「本当に……すまない。今のは……忘れてくれ。どうかしていた……」
「あ……うん。私も……。ごめんなさい……」
互いに謝罪しながら、わざと明るい声でおやすみの挨拶を交わす。
「……お、おやすみ」
「お、おやすみなさい!」
たった今流れていたはずのふたりの間にあった熱と甘やかな空気は、いつの間にかどこかへと離散してしまっていた。
453
あなたにおすすめの小説
余命宣告を受けたので私を顧みない家族と婚約者に執着するのをやめる事にしました 〜once again〜
結城芙由奈@コミカライズ3巻7/30発売
恋愛
【アゼリア亡き後、残された人々のその後の物語】
白血病で僅か20歳でこの世を去った前作のヒロイン、アゼリア。彼女を大切に思っていた人々のその後の物語
※他サイトでも投稿中
王太子妃は離婚したい
凛江
恋愛
アルゴン国の第二王女フレイアは、婚約者であり、幼い頃より想いを寄せていた隣国テルルの王太子セレンに嫁ぐ。
だが、期待を胸に臨んだ婚姻の日、待っていたのは夫セレンの冷たい瞳だった。
※この作品は、読んでいただいた皆さまのおかげで書籍化することができました。
綺麗なイラストまでつけていただき感無量です。
これまで応援いただき、本当にありがとうございました。
レジーナのサイトで番外編が読めますので、そちらものぞいていただけると嬉しいです。
https://www.regina-books.com/extra/login
一年後に離婚すると言われてから三年が経ちましたが、まだその気配はありません。
木山楽斗
恋愛
「君とは一年後に離婚するつもりだ」
結婚して早々、私は夫であるマグナスからそんなことを告げられた。
彼曰く、これは親に言われて仕方なくした結婚であり、義理を果たした後は自由な独り身に戻りたいらしい。
身勝手な要求ではあったが、その気持ちが理解できない訳ではなかった。私もまた、親に言われて結婚したからだ。
こうして私は、一年間の期限付きで夫婦生活を送ることになった。
マグナスは紳士的な人物であり、最初に言ってきた要求以外は良き夫であった。故に私は、それなりに楽しい生活を送ることができた。
「もう少し様子を見たいと思っている。流石に一年では両親も納得しそうにない」
一年が経った後、マグナスはそんなことを言ってきた。
それに関しては、私も納得した。彼の言う通り、流石に離婚までが早すぎると思ったからだ。
それから一年後も、マグナスは離婚の話をしなかった。まだ様子を見たいということなのだろう。
夫がいつ離婚を切り出してくるのか、そんなことを思いながら私は日々を過ごしている。今の所、その気配はまったくないのだが。
里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます
結城芙由奈@コミカライズ3巻7/30発売
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります>
政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・?
※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
本日、貴方を愛するのをやめます~王妃と不倫した貴方が悪いのですよ?~
なか
恋愛
私は本日、貴方と離婚します。
愛するのは、終わりだ。
◇◇◇
アーシアの夫––レジェスは王妃の護衛騎士の任についた途端、妻である彼女を冷遇する。
初めは優しくしてくれていた彼の変貌ぶりに、アーシアは戸惑いつつも、再び振り向いてもらうため献身的に尽くした。
しかし、玄関先に置かれていた見知らぬ本に、謎の日本語が書かれているのを見つける。
それを読んだ瞬間、前世の記憶を思い出し……彼女は知った。
この世界が、前世の記憶で読んだ小説であること。
レジェスとの結婚は、彼が愛する王妃と密通を交わすためのものであり……アーシアは王妃暗殺を目論んだ悪女というキャラで、このままでは断罪される宿命にあると。
全てを思い出したアーシアは覚悟を決める。
彼と離婚するため三年間の準備を整えて、断罪の未来から逃れてみせると……
この物語は、彼女の決意から三年が経ち。
離婚する日から始まっていく
戻ってこいと言われても、彼女に戻る気はなかった。
◇◇◇
設定は甘めです。
読んでくださると嬉しいです。
【完結】長い眠りのその後で
maruko
恋愛
伯爵令嬢のアディルは王宮魔術師団の副団長サンディル・メイナードと結婚しました。
でも婚約してから婚姻まで一度も会えず、婚姻式でも、新居に向かう馬車の中でも目も合わせない旦那様。
いくら政略結婚でも幸せになりたいって思ってもいいでしょう?
このまま幸せになれるのかしらと思ってたら⋯⋯アレッ?旦那様が2人!!
どうして旦那様はずっと眠ってるの?
唖然としたけど強制的に旦那様の為に動かないと行けないみたい。
しょうがないアディル頑張りまーす!!
複雑な家庭環境で育って、醒めた目で世間を見ているアディルが幸せになるまでの物語です
全50話(2話分は登場人物と時系列の整理含む)
※他サイトでも投稿しております
ご都合主義、誤字脱字、未熟者ですが優しい目線で読んで頂けますと幸いです
※表紙 AIアプリ作成
恋した殿下、愛のない婚約は今日で終わりです
百門一新
恋愛
旧題:恋した殿下、あなたに捨てられることにします〜魔力を失ったのに、なかなか婚約解消にいきません〜
魔力量、国内第二位で王子様の婚約者になった私。けれど、恋をしたその人は、魔法を使う才能もなく幼い頃に大怪我をした私を認めておらず、――そして結婚できる年齢になった私を、運命はあざ笑うかのように、彼に相応しい可愛い伯爵令嬢を寄こした。想うことにも疲れ果てた私は、彼への想いを捨て、彼のいない国に嫁ぐべく。だから、この魔力を捨てます――。
※「小説家になろう」、「カクヨム」でも掲載
【完結】何もできない妻が愛する隻眼騎士のためにできること
大森 樹
恋愛
辺境伯の娘であるナディアは、幼い頃ドラゴンに襲われているところを騎士エドムンドに助けられた。
それから十年が経過し、成長したナディアは国王陛下からあるお願いをされる。その願いとは『エドムンドとの結婚』だった。
幼い頃から憧れていたエドムンドとの結婚は、ナディアにとって願ってもいないことだったが、その結婚は妻というよりは『世話係』のようなものだった。
誰よりも強い騎士団長だったエドムンドは、ある事件で左目を失ってから騎士をやめ、酒を浴びるほど飲み、自堕落な生活を送っているため今はもう英雄とは思えない姿になっていた。
貴族令嬢らしいことは何もできない仮の妻が、愛する隻眼騎士のためにできることはあるのか?
前向き一途な辺境伯令嬢×俺様で不器用な最強騎士の物語です。
※いつもお読みいただきありがとうございます。中途半端なところで長期間投稿止まってしまい申し訳ありません。2025年10月6日〜投稿再開しております。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる