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2章
小さな訪問者 2
しおりを挟むルンルミアージュを加えて一層にぎやかになったお屋敷に、シオンと自分の間抜けな声が響いた。
「あー……、ルンルミアージュ。それは一体何の話だ? 夫婦喧嘩、とは……」
シオンが顔を引きつらせながら、ルンルミアージュに問いかけた。
「だって私のお父様もお母様も、時々そんなふうに変な態度になることあるもの。そういう時って大体あのふたり、夫婦喧嘩してるのよねっ!」
「はぁっ?」
ルンルミアージュはどうだ、当たったかとばかりにしたり顔で続けた。
「この間は、お父様がお母様にお花を買って帰ると約束していたのをころっと忘れて帰宅したのを、お母様に叱られていたわ。いつもあなたは仕事ばかりで約束を忘れてばかりだって、しばらく口を聞いてもらえなかったみたいよ?」
ルンルミアージュは腕を組み、ふふん、と自信たっぷりに夫婦喧嘩の詳細を教えてくれた。
そんな突飛な発想に至る辺りは、やはり子どもというところか。
というか、こんなところで喧嘩のやり取りまで披露されるルンルミアージュの両親がちょっと気の毒ではある。
「いや……、言っておくが俺とアグリアは喧嘩などしていない。するわけがないだろう」
シオンが何とも言えない微妙な表情を浮かべ、ルンルミアージュをたしなめた。
兄夫婦の日常を垣間見たのが、どうにもバツが悪いのだろう。
けれどそれを聞いたルンルミアージュの反応は。
「……どうして? 夫婦なんだもの、愛し合っていればこそ喧嘩くらいするものではなくて? それとも愛していないのに、結婚したの?」
「ぶふぉっ!」
「ふぁぁっ?」
シオンとふたり同時に噴き出した。
「それはもちろん……ねぇ? シオン」
「あ、あぁ! そ、そうだな。それはもちろん……」
じっとりとしたルンルミアージュの視線が痛い。明らかに疑いの目でこちらを見つめている。
恐るべし、恋する少女の勘である。
「と、とにかくだ! 俺たちはれっきとした夫婦だが、これまで離れ離れに暮らしていたからな。まだ慣れないことも多いだけだ!」
「そうっ。そういうことなの! だからちょっと見ていてぎこちなく感じることもあるかもしれないけど、気にしないでね」
必死に平静を装いごまかしてはみたものの、ルンルミアージュがだまされてくれたかは謎だ。
けれどこうして無事ルンルミアージュの客間への移動も済み、シオンとすぐ近くで眠る生活がはじまったのだった。
翌朝も、ルンルミアージュはとても上機嫌な様子で起き出してきた。
「おはよう! 今日もとってもいい朝ねっ」
「……おはよう」
「おはよう、ルンルミアージュ」
元気いっぱいのルンルミアージュに対して、シオンの反応は実に鈍い。目が開いているのか閉じているのかわからないほどに、眠そうな顔をしている。
(眠れなかったのかしら……。顔色も悪いし、すごく眠そう。やっぱり部屋を変わってもらったせい?)
もっともそれは自分も同じだ。
いつもと変わらぬ素振りで朝食の支度をしてはいるものの、頭がぼんやりとしてうまく働かない。原因は間違いなく寝不足だ。
昨夜いつもと同じ時間に自室に入り、ベッドにもぐり込んだ。のだけれど、ほんの数部屋離れた場所で、シオンが寝息を立てているのだと思うとなんとも落ち着かなくなかなか寝付けなかったのだ。
(いくら慣れてきたとはいっても、異性であることに変わりはないんだもの。当然よねぇ……。まぁ、そのうち慣れるとは思うけど……。いや、その前にルンルミアージュが帰っちゃうんだから、ほんのニ、三日の辛抱よね!)
たったの二晩か三晩なら、寝不足でもどうにかなる。ルンルミアージュがここにいるほんの短い間、形だけの夫婦であることがバレずに切り抜ければいいだけだ。
そうとなれば、せっかくだからルンルミアージュにもこの領地を満喫して行ってもらいたい。
「ねっ、ルンルミアージュ! よかったらこのあと領地を見て回らない? あなたと同じ年のマルクっていう男の子がいるの。きっと仲良くなれるわ。牛も見せてくれるはずよ!」
「……牛?」
「そう、牛。もうじき子どもが生まれる牝牛がいるの。とってもかわいいお母さん牛なのよ。マルクだってとっても元気でいい子だし。……どう?」
ルンルミアージュに少しでも疑われないようにするには、自分とシオンとともに過ごす時間をできるだけ少なくすればいい。
それには外遊びが一番だ。
ルンルミアージュはしばし考え込み、こくりとうなずいた。
「いいわ。あなたがそうまで言うんなら、行ってあげてもよくてよ!」
「ふふっ。じゃあさっそく準備をして、皆で出かけましょ!」
ここにきてようやく、子どもらしい表情を見た気がする。ルンルミアージュの目がきらきらと好奇心にきらめいていた。
「……となれば、まずはルンルミアージュ。その髪をどうにかしましょうか!」
「え?」
実は昨日からずっと気になっていたのだ。ルンルミアージュの髪は、見事なまでにボサボサだった。
いや、一応くしで梳かした努力のあとは見えるしどうにかこうにかリボンでカチューシャのようにまとめてはいる。のだけれど、とてもきちんとしているとは言い難かった。
「やっぱり……このまとめ方じゃ、だめかしら?」
途端にルンルミアージュの眉がしょんぼりと下がった。
自分でもうまくまとめられていない自覚はあるのだろう。自信なさげに髪をぎゅっと握りしめうつむいた。
「ええと、そうね。できたら外遊びする時は、もう少し髪をまとめておいた方がきっと動きやすいと思うわ。でもあなたの髪はなかなかひとりでまとめるには、難しいでしょう?」
こくり、とルンルミアージュがうなずいた。
「だから、私に手伝わせてくれない? こう見えて私、髪をまとめるの上手なのよ?」
わざと軽い口調でそう告げれば、ルンルミアージュの顔がぱぁっと明るくなった。
「本当? やってくれるの……?」
「もちろんよ! さ、いらっしゃい。かわいくまとめてあげるわ」
「うんっ!」
さっそくルンルミアージュを客間の鏡の前に座らせ、髪を梳きはじめた。
まるで蜂蜜のような、やわらかくふわふわとした髪。細かいウエーブがかかった癖のある髪はとてもかわいらしいけれど、ひとりできれいにまとめるには難しい。
ルンルミアージュくらいの年頃の貴族令嬢なら、身の回りの世話をメイドや母親に頼むのはごく普通だ。となれば、きっとこれまでひとりで髪を梳かした経験もなかったのだろう。
「あなたの髪はとてもきれいね。ルンルミアージュ」
やわらかな髪をそっと丁寧に梳かしながら、心からそう告げれば鏡の中のルンルミアージュの顔が曇った。
「私は……嫌い。こんな髪……」
「……どうして? 色もこのフワフワした感じも、とてもきれいでかわいいと思うけど」
けれどルンルミアージュは納得いかない様子で、うつむいた。
「私は……お母様みたいなまっすぐなサラサラの髪がよかったわ。お父様だってこんなふわふわじゃないし……」
「ルンルミアージュ……」
覚えがある。子どもの頃は母親が大好きなあまり、なんでも母親と一緒がよかったものだ。髪や目の色も、髪型だって着るものの色だってそう。その方が、大好きな母の近くにいられるような気がして。
でもなんとなく、ルンルミアージュの落ち込みようからして母親と同じではない寂しさだけではない気がした。
「お屋敷で、何か……あったの?」
もしかしたらルンルミアージュがここに単身乗り込んできたのは、シオンに会いたいからだけではないのかもしれない。ふとそんなことを思った。
ルンルミアージュはしばし黙り込み、首を横に振った。
どうやらそこまで心を開く気にはまだならないらしい。無理もない。何といってもこちらは恋敵、なんだし。
「まぁいいわ! とにかく今日のところは私がうんとかわいくしてあげる。なんなら明日も、朝早起きできるのなら私が髪を結ってあげるわ」
その提案に、ルンルミアージュが弾かれたように顔を上げた。
「……本当っ!? 本当に、してくれるのっ?」
「えぇ、もちろん! せっかくシオンに会えたのに、髪がボサボサなんてあなたも嫌でしょ? その代わり、家は使用人がいなくて朝はてんてこ舞いなの。だから髪を結い終わったら、朝食の用意を一緒に手伝ってくれる?」
どうせなら、仲良くなりたい。これもきっと何かの縁だし、ちょっぴり生意気だけれどルンルミアージュはとてもかわいいし。
ルンルミアージュが頬をぽっと染め、こくこくとうなずいた。
「やるっ! 私、お手伝いするわっ。だからお願い。アグリア!」
「ふふふふっ。もちろん! じゃあ明日の朝から、よろしくね。ルンルミアージュ」
この出来事を機に、ルンルミアージュはすっかり憑きものが取れたように屈託のない笑顔を見せてくれるようになったのだった。
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