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3章
届いた手紙 5
しおりを挟む翌朝シオンが最後の水車の修理の仕上げをしに出掛けたのを見計らい、その足ですぐにモンバルトのもとへと向かった。
「モンバルト先生! シオンのことで、大事な話があるの。ちょっといいかしら?」
意を決して開口一番そう告げれば、モンバルトが小さく笑った。
「そろそろくる頃だと思ってたよ。シオンから聞いたんだろう。ここを出て行く、と」
シオンはここを出て行くのと同時に、離婚も宣言した。『もちろん養子縁組が整うまでは届けを出す必要はない。たとえそれが何年先でもかまわないから』と言って。
それは、シオンと自分との縁を完全に切るも同然の宣告だった。けれど何の理由も聞かされずただもう終わりだと言われても素直に受け入れるなんてできない。
だからこうして、シオンに何が起きているのかを聞くためモンバルトのもとを訪れたのだった。
「モンバルト先生、シオンが突然こんなことを言い出したのって、タリオンさんからの手紙に書いてあったことと何か関係ある? あと、お父様のもとに届いた匿名の手紙と納屋の火事とも?」
ずばりたずねれば、モンバルトの顔色が変わった。
モンバルトに自分の知っていることを洗いざらい話した。夜会でクロイツに会ったことも、その時の会話も。父から聞いた話も、ここ数日シオンが悪夢にうなされていることも全部。
「そうか……。お前さん、クロイツを知っているのか……」
モンバルトはふぅ、と息をつくと、こちらをまっすぐに見すえた。
「おそらく匿名の手紙は、シオンをここから王都におびき出すためにクロイツが寄越したものだろう。そして納屋を燃やし、あえて軍人がここにいたと気づかせるため痕跡を残し、シオンに圧力をかけたんだ」
「どうして元上官だった人が昔の部下に、わざわざそんなことを!? あの男とシオンの間に一体何が……」
思わず声を荒げ、モンバルトに食いついた。
「クロイツは、とある理由からシオンを永遠に口封じさせたいと思っているんだ。そのために、あれこれ仕掛けてきた、というところだろうな」
一瞬意味がわからず、思考が停止した。
「永遠に口を封じるって、それってつまり、殺したい……ってこと!?」
突然の物騒な話に、目を見開いた。
「タリオンからの手紙は、クロイツがシオンにとある罪を着せて軍部に呼び出すつもりでいるらしいと知っての警告だった。言うことを聞かなければ、伴侶であるお前さんにもこの領地にも圧力をかけるつもりだ、とね」
「たからシオンは、急に離婚してここを離れるって言い出したの……? 私たちを巻き込まないように?」
このまま自分が領地にいたら、領地やノーレル家にも累が及ぶ。
そう考えたシオンは、すぐさま自分との縁を切ろうとしてここを出て行く決心をしたらしかった。
「そんな……、そんなことって……」
ぐっと唇を噛み締めた。
「でもどうしてクロイツは、元の部下にそんなこと……? 一体シオンとクロイツの間に、何かあったの!?」
モンバルトの顔に、見たこともない暗い影がよぎった。
「実は六年前、とある村でシオンは戦友をクロイツに殺されたんだ。」
「……!」
「だが、クロイツの狙いは本当はシオンだったんだよ。戦友はそれに巻き込まれ、爆死したんだ」
モンバルトが語り出したのは、これ以上ないほど残酷な過去だった。
六年前、シオンは隣国との国境付近にある小さな村にいた。その当時の上官がクロイツだった。
すでに村人は、戦火に巻き込まれないようにと村を離れていた。よってそこにいたのは、これからはじまる戦いに向けて身を潜める、シオン属する部隊の面々だけだった。
「その頃シオンには、戦友がいてな。ランソルという名の実に気のいい男だったんだが、そこで火薬による爆発事故が起きて、それにシオンとランソルが巻き込まれたのさ……」
モンバルトは遠くを見つめながら、淡々と続けた。
「あの日俺は、たまたま所用があってシオンたちの部隊から離れてた。その留守の間に、火薬や武器を保管していた小屋で暴発が起きたんだ」
その事故は、シオンたちの部隊がいた小屋で起きた。保管していた火薬に何らかの原因で火がつき、ちょうど小屋の監視についていたシオンとランソルが巻き込まれたのだ。
「他の兵の証言によれば、事故の直前クロイツがシオンとランソルのふたりに小屋の見張りを命じたらしい。他にも下っ端の兵はいたのに、あえてふたりにな。そして……」
爆発音はモンバルトのいる近隣の村まで届いた。急な胸騒ぎを覚えたモンバルトは、すぐさまシオンたちのいる村へと戻った。
そこでモンバルトが見たものは――。
「現場は、ひどい有り様だった……。今も目に焼き付いて離れんほどにな……」
爆発によって火薬を置いていた小屋は、中にあった荷ごと吹き飛び真っ黒に焼け焦げていた。火はあらかた消えかけてはいたものの、ひどい惨状だった。
そして何より――。
モンバルトが目にしたのは、腕のやけど全身に傷を負い呆然と座り込むシオンの姿だった。その視線の先には、地面を大きくえぐるような焼け焦げた跡と血だまりがあった。
「シオンは小屋に積んであった荷が壁となって、それほどひどい傷を負わずに済んだ。だがランソルは……片腕だけを残し木っ端みじんに吹き飛んじまった……。残ったのは、血だまりの中に転がる片腕だけだった」
「……!」
地面に転がる戦友の片腕を見つめ、シオンはただ茫然と座り込んでいたという。そこにモンバルトがかけつけ、シオンをその場から引き離したのだった。
「その後、クロイツの命で部隊は一時解散になった。表向きは兵たちの精神的負荷を慮ってのことだったが、実際は……」
ごくりと息をのんだ。
言葉もなく見つめる先で、モンバルトは拳をぐっと握りしめ続けた。
「事故の前、シオンはクロイツのある悪事の証拠をつかんでいた。が、それに気づいたクロイツがシオンを口封じしようと爆発事故を仕組んだに違いない、とシオンは俺に言った。事故で村を離れている間に証拠が忽然と消えたのが、いい証拠だとな……」
「じゃあ……そのランソルって人は、それに巻き込まれて……?」
シオンはその後、しばし戦線から離脱した。まともに戦えるような状況ではとてもなかったらしい。
「シオンはきっとランソルの死に責任を感じているんだろう……。あいつが死んだのは自分のせいだ、とな。それからだ、あいつが王都に寄り付かなくなり生きる気力もなくし、死に場所を求めるように生きるようになったのは」
「そんなことが……」
きっとランソルの死が、シオンの心を壊してしまったのだろう。以来クロイツの悪事を国に訴え出ることもせず、シオンは沈黙を貫いた。
「でもどうして今になってクロイツはシオンの口封じを……? シオンが黙っているなら、消す必要なんて……」
モンバルトが冷たく笑った。
「あいつは執念深い男だからな。自分の害になりかねないものは、決して放ってはおかん。まったく……あんな男に正義感を振りかざしたばっかりに、シオンは何もかもを失ったんだ……。生きる気力も、な」
モンバルトはそれからしばらくして軍医をやめた。もう二度と無駄に若者たちが死んでいくのを看取りたくない、と。
「だが俺が軍医をやめて少しした頃、シオンが俺を訪ねてきたんだ。そして契約婚の相手を探してくれ、と頼み込んできたんだよ」
久しぶりに再会したシオンは、過去に囚われた亡霊のようだった。
そんなシオンを変える何かのきっかけになれば、とモンバルトは自分との結婚を後押ししたんだと言った。
「俺はここにきて、ようやくもう一度生きてみてもいいかと思えた……。この領地には、そんな力があるんだよ。だからあいつもあるいは、と思ってな」
そう言うとモンバルトは小さく苦笑した。
「すまんな。お前さんを利用するような真似をして……。だがあいつをどうにかしてやりたいと思ったんだ。あのまま無駄死にさせるには、惜しい男だからな」
モンバルトの言葉に、ふるふると首を横に振った。
「いいの。だって私だってシオンを利用したんだもの。……ありがとう、先生。色々と辛いことまで話してくれて。おかげで私、自分がどうしたいのかがわかった気がする」
モンバルトをまっすぐに見すえそう告げれば、モンバルトの顔が少し泣きそうに歪んだ気がした。
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