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王都
26
しおりを挟む夜明け前。
空が群青から薄く色を変え始めた頃、野営地は未だ静かな緊張に包まれていた。
結界は安定している。
見張りの交代も滞りない。
それでも――誰も深く眠れなかった。
テントの中。
規則正しい呼吸。
だが、魔力の波形は眠りの深さに反して、揺れている。
「……まだ、完全には落ち着いていないな」
低く呟いたのはセナだった。
夜明け前の診察。ミエルも向かい側で記録板を構えている。
「瘴気から距離を取っているのに、」
「外因じゃない。内側……いや、“呼応”というべきか」
アルバートは、はるの隣に座ったまま、一晩中ほとんど動いていない。
「……また、呼ばれているのか」
「可能性は高い」
ミエルは一瞬言葉を選び、続けた。
「黒の力は、瘴気や魔物を“異物”として認識する。
しかし同時に、“源流が近い存在”として引き寄せられる性質もあるのかもしれません。」
「同族意識、みたいなものか?」
ルートが眉を寄せる。
「……もっと厄介です」
ミエルは静かに首を振った。
「世界の深層構造が、“戻れ”と呼んでいる」
その言葉に、場の空気が重く沈む。
「つまり」
セナが続ける。
「このまま前線に近づくほど、はるは無自覚に引きずられる」
アルバートの視線が、はるに落ちる。
(……それでも)
――進まなければならない時が来る。
その覚悟が、胸の奥に重く沈んだ。
日が昇り、野営を畳む。
はるは目を覚まし、昨日よりも顔色は良かった。
だが、完全ではない。
「……大丈夫?」
ルートが屈んで尋ねる。
「……うん。ちょっと、眠いだけ」
無理をしているのは明らかだったが、はるは笑った。
アルバートはその様子を見て、決断する。
「今日の行程を短縮する」
「王都への報告は?」
カエルスが問う。
「事実のみを送る。
“黒の君の器は未成熟。瘴気との過剰接触は危険”――それで十分だ」
カエルスは一瞬、何か言いたげに口を開きかけたが、やがて閉じた。
「……分かった」
その返答に、第一騎士団の部下たちがわずかにざわめく。
“静かなる王国の悪魔”と呼ばれる男が、
誰かのために進軍を止める――
それは、異例中の異例だった。
移動中、馬車の中。
はるは外套に包まり、窓の外を眺めている。
景色は穏やかだ。瘴気も、魔物の気配もない。
「……ねぇ、ミエルさん」
「何だい?」
「僕……もし、力を使ったら……
みんな、助かるのかな」
ミエルは即答しなかった。
「……助かる人は、増えるでしょう。…でも、、」
「……でも?」
「…その代わり、はる君、君が壊れる」
はるは、ゆっくり瞬きをした。
「……やっぱり、そうなんだ」
「だからこそ――」
ミエルは、柔らかく笑う。
「君が“自分で選べる”ようになるまで、
誰も、無理に使わせるつもりはないからね」
その言葉に、はるの肩の力が抜けた。
夕刻。
前線とは距離のある、小さな丘で再び野営する。
焚き火の前。
アルバートとはるは並んで座っていた。
「……アル」
「どうした」
「……もし、僕が……
行かなきゃいけなくなったら……」
アルバートは、焚き火を見つめたまま答える。
「その時は、一緒に行く」
「……危なくても?」
「危ないからだ」
その即答に、はるは目を丸くした。
「……そばにいる。
離れない」
その言葉は、約束だった。
その夜。
はるは夢を見なかった。
ただ、深く、静かに眠った。
だが――
瘴気のさらに奥。
世界の根を流れる黒の流れは、確かに動いている。
“器”が目覚めつつあることを、
この世界そのものが、もう知っていた。
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