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ルクレド王国の王太子、カリオン ~レティシア目線~
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エルサリオの朝は、霧と静寂に包まれていた。
だが、その日、村に現れた馬車と異国の紋章が、いつもとは違う風を運んできた。
厚い霧の中、揺れる馬車の帷子から一人の青年が姿を現す。
その姿に、村人たちが息を呑んだ。
黒曜石のような髪は無造作に揃えられ、長旅の疲れを隠し切れない。
だが、その顔立ちは気高さに満ちていた。
肌は陽の下で鍛えられた褐色。
鋭く整った頬骨と真っすぐな鼻梁。
何より印象的だったのは、深い瑠璃の瞳、夜明け前の空のように澄んでいて、どこか儚げで、それでも力強い光をたたえていた。
彼の衣は簡素だった。だが、布の質と飾りの控えめな金刺繍が、王族の血を感じさせる。
そして、彼の背筋は軍人のように伸び、歩みには一点の曇りもなかった。
「・・・異国の紋章だ。まさか・・・王族?」
村人たちのざわめきの中、青年は私の前に立ち、静かに片膝をついた。
「聖女レティシア様、ようやく、こうしてお目にかかれました」
彼の声は穏やかで深く、胸に染みるようだった。
「私はルクレド王国の王太子、カリオン・ルクレド。どうか・・・我が国をお救いください」
私は彼の名を聞いて、確かに覚えがあるような気がした。
だが、それよりも、その目に込められた必死の願いに、胸が締め付けられた。
「あなたの国も・・・神の声が聞こえなくなったのですね?」
彼は目を伏せ、唇を結ぶ。
「五年前から雨が降らず、作物は枯れ、飢えと病が国を蝕んでいます。神殿の巫女たちは神の声を得られず、父王は供物を捧げ続けましたが・・・沈黙しか返りませんでした」
私はその言葉に、かつて王都の神殿で、自らが経験した祈りの空虚を重ねた。
そして、そっと問いかけた。
「あなたは、かつて私の祈りを見ていたのですね?」
その瞬間、彼の瞳がそっと揺れた。
「はい。五年前、私は留学生として貴国を訪れていました。ほんの一度だけでしたが、神殿で祈る貴女を見たのです。人々の喧騒の中で、ただ一人、静かに天に捧げられていた祈りを、今も、鮮明に覚えています」
その声音に、偽りはなかった。
ただ一度の邂逅を、彼は心に刻んでいたのだ。聖女としての私ではなく、“祈りを捧げる人間としての私”を。
「王都では、私は偽りの聖女と呼ばれました。地位も名も剥がされ、今はただ、ここで祈りを続ける者に過ぎません」
「それでも構いません」
彼は強く顔を上げ、毅然とした声で言った。
「今、神が語られるのは貴女だけです。偽りの祈りが国を蝕み、民を殺しています。どうか・・・我が国に、救いの光をもたらしていただけないでしょうか」
私は彼の想いに圧され、言葉を失った。
王太子としての誇りや立場よりも、彼が何よりも優先しているのは“民”の命だった。
その思いが、どれほどの重荷を背負わせているか、私は痛いほどに分かった。
「あなた自身に、それを信じる覚悟がありますか? 神の声は、信じる者にしか届きません」
彼は頷く。声は震えていたが、目は真っ直ぐだった。
「どんな罰も、屈辱も受ける覚悟で参りました。私は
命より、民の未来を救いたい」
その言葉に私は、心の奥底で小さな灯を感じた。
それは、これまで神託にだけ身を捧げてきた私にはなかった、“誰かのために生きたい”という願いだった。
「わかりました。私はあなたの国へ参りましょう」
彼の表情が、わずかに崩れた。
安堵と驚きと、ほんの少しの喜びが混ざった、年若い王子の素顔。
「・・・本当に・・・?」
「ええ。けれど、神託だけではありません。私はあなたの民を思う心に応えたいのです」
それは聖女としての義務ではなく、私自身の“意志”だった。
私は今、初めて、自分の想いを声にした。
神の声だけを信じていた日々では届かなかった、温かな何かが、胸の奥に芽吹いたようだった。
「貴女がそれほどの想いで来てくださるのなら、私は大変嬉しいです」
カリオンは柔らかく笑った。
その笑みは、王太子という仮面を脱ぎ捨てた、ただの青年のものだった。
霧の中、彼が私に手を差し出す。
「共に、ルクレドへ参りましょう。民のために。そして貴女と共に歩む祈りの道を、私の国に拓かせてください」
私は、その手を、迷わず握った。
その掌の温もりは、どこまでもまっすぐで、
そして、
ほんの少しだけ、心が跳ねた。
祈りと共に歩む旅路の中で、私はもう、神の声だけではなく、自らの心にも耳を傾けていた。
それが、きっと“人としての聖女”としての、第一歩だった。
だが、その日、村に現れた馬車と異国の紋章が、いつもとは違う風を運んできた。
厚い霧の中、揺れる馬車の帷子から一人の青年が姿を現す。
その姿に、村人たちが息を呑んだ。
黒曜石のような髪は無造作に揃えられ、長旅の疲れを隠し切れない。
だが、その顔立ちは気高さに満ちていた。
肌は陽の下で鍛えられた褐色。
鋭く整った頬骨と真っすぐな鼻梁。
何より印象的だったのは、深い瑠璃の瞳、夜明け前の空のように澄んでいて、どこか儚げで、それでも力強い光をたたえていた。
彼の衣は簡素だった。だが、布の質と飾りの控えめな金刺繍が、王族の血を感じさせる。
そして、彼の背筋は軍人のように伸び、歩みには一点の曇りもなかった。
「・・・異国の紋章だ。まさか・・・王族?」
村人たちのざわめきの中、青年は私の前に立ち、静かに片膝をついた。
「聖女レティシア様、ようやく、こうしてお目にかかれました」
彼の声は穏やかで深く、胸に染みるようだった。
「私はルクレド王国の王太子、カリオン・ルクレド。どうか・・・我が国をお救いください」
私は彼の名を聞いて、確かに覚えがあるような気がした。
だが、それよりも、その目に込められた必死の願いに、胸が締め付けられた。
「あなたの国も・・・神の声が聞こえなくなったのですね?」
彼は目を伏せ、唇を結ぶ。
「五年前から雨が降らず、作物は枯れ、飢えと病が国を蝕んでいます。神殿の巫女たちは神の声を得られず、父王は供物を捧げ続けましたが・・・沈黙しか返りませんでした」
私はその言葉に、かつて王都の神殿で、自らが経験した祈りの空虚を重ねた。
そして、そっと問いかけた。
「あなたは、かつて私の祈りを見ていたのですね?」
その瞬間、彼の瞳がそっと揺れた。
「はい。五年前、私は留学生として貴国を訪れていました。ほんの一度だけでしたが、神殿で祈る貴女を見たのです。人々の喧騒の中で、ただ一人、静かに天に捧げられていた祈りを、今も、鮮明に覚えています」
その声音に、偽りはなかった。
ただ一度の邂逅を、彼は心に刻んでいたのだ。聖女としての私ではなく、“祈りを捧げる人間としての私”を。
「王都では、私は偽りの聖女と呼ばれました。地位も名も剥がされ、今はただ、ここで祈りを続ける者に過ぎません」
「それでも構いません」
彼は強く顔を上げ、毅然とした声で言った。
「今、神が語られるのは貴女だけです。偽りの祈りが国を蝕み、民を殺しています。どうか・・・我が国に、救いの光をもたらしていただけないでしょうか」
私は彼の想いに圧され、言葉を失った。
王太子としての誇りや立場よりも、彼が何よりも優先しているのは“民”の命だった。
その思いが、どれほどの重荷を背負わせているか、私は痛いほどに分かった。
「あなた自身に、それを信じる覚悟がありますか? 神の声は、信じる者にしか届きません」
彼は頷く。声は震えていたが、目は真っ直ぐだった。
「どんな罰も、屈辱も受ける覚悟で参りました。私は
命より、民の未来を救いたい」
その言葉に私は、心の奥底で小さな灯を感じた。
それは、これまで神託にだけ身を捧げてきた私にはなかった、“誰かのために生きたい”という願いだった。
「わかりました。私はあなたの国へ参りましょう」
彼の表情が、わずかに崩れた。
安堵と驚きと、ほんの少しの喜びが混ざった、年若い王子の素顔。
「・・・本当に・・・?」
「ええ。けれど、神託だけではありません。私はあなたの民を思う心に応えたいのです」
それは聖女としての義務ではなく、私自身の“意志”だった。
私は今、初めて、自分の想いを声にした。
神の声だけを信じていた日々では届かなかった、温かな何かが、胸の奥に芽吹いたようだった。
「貴女がそれほどの想いで来てくださるのなら、私は大変嬉しいです」
カリオンは柔らかく笑った。
その笑みは、王太子という仮面を脱ぎ捨てた、ただの青年のものだった。
霧の中、彼が私に手を差し出す。
「共に、ルクレドへ参りましょう。民のために。そして貴女と共に歩む祈りの道を、私の国に拓かせてください」
私は、その手を、迷わず握った。
その掌の温もりは、どこまでもまっすぐで、
そして、
ほんの少しだけ、心が跳ねた。
祈りと共に歩む旅路の中で、私はもう、神の声だけではなく、自らの心にも耳を傾けていた。
それが、きっと“人としての聖女”としての、第一歩だった。
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