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最近とみに羽振りがよいと話題の子爵家。その裏庭で、フィンリーはジャム入りクッキーをかじっていた。
食べかけのクッキーの欠片が、小綺麗なお仕着せの上にぽろぽろとこぼれ落ちる。見ないようにしていても視界に入り込んでくるスカートの裾をつまみ、フィンリーは小さくため息をついた。
(なんでこんなことに)
潜入捜査をするにあたってスカートを穿くことになるなんて、聞いていない。自分の迂闊さを呪いつつ、事前に尋ねたところであの抜け目のない相棒が、教えてくれるはずがないこともまたフィンリーにはよくわかっていた。
「おい、フィンリー。まさかそのクッキー、台所からくすねてきたんじゃないだろうな?」
「あのなあ、ローガン。子どもじゃあるまいし。仕事中にそんなことするわけないだろ。さっき料理長に貰ったんだよ」
「仕事中じゃなければやるのか」
どこから様子を伺っていたのか、音もなく忍び寄ってきた男が声をかけてきた。フィンリーは顔をあげることもなく、クッキーをかじりながら返事を返す。
「ここは、風が通っていて過ごしやすいな」
「ひとがクッキーを食べているときに、煙草を取り出すなよ。吸うなら、俺が帰った後にしろ」
「はいはい」
無遠慮に隣に座るこの男こそが、フィンリーが可愛らしいお仕着せを着ることになった原因だ。
――とある子爵家に、人身売買の疑いあり――
その一報を受けて、ふたりは子爵家に入り込んでいた。
ローガンは庭師の格好をしているが、そこはかとない気品を漂わせている。この男は潜入先で正体を隠す気があるのだろうかと、フィンリーは内心首を傾げていた。
ローガンはといえば、クッキーを頬張るフィンリーを見ながら勝手に納得したようにうなずいている。
「小動物につい餌をやりたくなるようなものか。そういえば、うちの団員たちもお前にしょっちゅうおやつを与えていたな」
「放っておいてくれ。あとお前には、このジャム入りクッキーはわけてやらないから」
「そもそも私は甘い菓子などいらないのだが」
「はいはい、どうせお貴族さまのお口には合いませんよ」
憎まれ口をたたきつつ、フィンリーはポケットにしまっていたこの家の見取り図を取り出した。使用人として働きながら、こまめに書き写したものだ。ローガンの口元が満足そうに弧を描く。その反応に気を良くしつつ、フィンリーは説明を続けた。
「……つまり、裏帳簿が欲しければ例の隠し部屋に行くしかないというわけか」
「そういうこと。まあ、それほど難しい話じゃない。アホ当主が俺を自室に呼びたがってるんだ。見え見えの誘いに乗りさえすれば、あいつが自分から隠し階段のところまで連れていってくれるはずさ」
「お前を囮にするのは気が進まんな」
「しょうがないだろ、他の団員は脳筋ばっかりなんだから」
(みんないいひとばっかりなんだけどなあ。何でも筋肉で解決しようとするから)
隠密行動はできないが、気は優しくて力持ちな彼らを思い出し、フィンリーは笑う。
「そういう問題じゃない」
「じゃあ、どういう問題なんだよ。とにかく俺は、仕事をさっさと終わらせて、この服を脱ぎたいわけ」
もちろん、本音はそれだけではなかったのだけれど。あくまでひらひらふりふりのお仕着せにはうんざりと言わんばかりの態度で訴えれば、ローガンがにやりと笑った。
「暴れまわって嫌がるからどうしたものかと思っていたが。まったくよく似合っているじゃないか」
「……うるさいなあ」
「あいつらに見せてやれば、きっと喜ぶぞ」
「それだけは本当に勘弁して」
(もともと女なんだから、似合うに決まってるだろ。それに正体がバレたら、出ていかなきゃいけないじゃないか)
そんなぼやきはおくびにも出さず、フィンリーは立ち上がる。スカートに落ちたごみくずを両手で払い落とせば、お仕着せはいつも通りの折り目正しい美しさを取り戻した。
「休憩時間とはいえサボり過ぎたな。侍女頭に目をつけられるのも面倒だし、俺は先に戻るわ」
「わかっている。ヘマをするんじゃないぞ」
「当然だろ。俺を誰だと思ってんだよ。だいたいお前こそサボっていていいのか?」
「一服してから仕事に戻る」
「あっそ、ごゆっくり」
煙草を指にはさむその仕草が妙に色っぽくて、フィンリーは慌てて目をそらした。
自分ばかりがどぎまぎしてしまった。それが悔しくて、少しだけ悪戯心が出る。目の前でくるりと回ってみせれば、たっぷりとひだのあるお仕着せのスカートが花開くように広がった。意識して、上目遣いで微笑んでみる。
「おいやめろ、丸見えだ!」
「お前さ、俺があんまり可愛いからって、心配しすぎなんだよ」
「そうだな。できることなら即結婚を申し込みたいくらいだ。私以外の男には気をつけろ。何をされるかわからんぞ」
「……っ、お前はまた真面目な顔をしてそういうことを言う! 冗談は嫌いだっつってんだろ」
(こっちの気持ちも知らないくせに!)
フィンリーは、お仕着せの裾を握りしめ、大慌てで仕事に戻っていく。意趣返しをするつもりが、結局またてのひらの上で踊らされた。口を引き結んだまま、フィンリーは駆けていく。
「冗談じゃ、ないんだがな」
男のため息は煙と共に青空に吸い込まれていった。
食べかけのクッキーの欠片が、小綺麗なお仕着せの上にぽろぽろとこぼれ落ちる。見ないようにしていても視界に入り込んでくるスカートの裾をつまみ、フィンリーは小さくため息をついた。
(なんでこんなことに)
潜入捜査をするにあたってスカートを穿くことになるなんて、聞いていない。自分の迂闊さを呪いつつ、事前に尋ねたところであの抜け目のない相棒が、教えてくれるはずがないこともまたフィンリーにはよくわかっていた。
「おい、フィンリー。まさかそのクッキー、台所からくすねてきたんじゃないだろうな?」
「あのなあ、ローガン。子どもじゃあるまいし。仕事中にそんなことするわけないだろ。さっき料理長に貰ったんだよ」
「仕事中じゃなければやるのか」
どこから様子を伺っていたのか、音もなく忍び寄ってきた男が声をかけてきた。フィンリーは顔をあげることもなく、クッキーをかじりながら返事を返す。
「ここは、風が通っていて過ごしやすいな」
「ひとがクッキーを食べているときに、煙草を取り出すなよ。吸うなら、俺が帰った後にしろ」
「はいはい」
無遠慮に隣に座るこの男こそが、フィンリーが可愛らしいお仕着せを着ることになった原因だ。
――とある子爵家に、人身売買の疑いあり――
その一報を受けて、ふたりは子爵家に入り込んでいた。
ローガンは庭師の格好をしているが、そこはかとない気品を漂わせている。この男は潜入先で正体を隠す気があるのだろうかと、フィンリーは内心首を傾げていた。
ローガンはといえば、クッキーを頬張るフィンリーを見ながら勝手に納得したようにうなずいている。
「小動物につい餌をやりたくなるようなものか。そういえば、うちの団員たちもお前にしょっちゅうおやつを与えていたな」
「放っておいてくれ。あとお前には、このジャム入りクッキーはわけてやらないから」
「そもそも私は甘い菓子などいらないのだが」
「はいはい、どうせお貴族さまのお口には合いませんよ」
憎まれ口をたたきつつ、フィンリーはポケットにしまっていたこの家の見取り図を取り出した。使用人として働きながら、こまめに書き写したものだ。ローガンの口元が満足そうに弧を描く。その反応に気を良くしつつ、フィンリーは説明を続けた。
「……つまり、裏帳簿が欲しければ例の隠し部屋に行くしかないというわけか」
「そういうこと。まあ、それほど難しい話じゃない。アホ当主が俺を自室に呼びたがってるんだ。見え見えの誘いに乗りさえすれば、あいつが自分から隠し階段のところまで連れていってくれるはずさ」
「お前を囮にするのは気が進まんな」
「しょうがないだろ、他の団員は脳筋ばっかりなんだから」
(みんないいひとばっかりなんだけどなあ。何でも筋肉で解決しようとするから)
隠密行動はできないが、気は優しくて力持ちな彼らを思い出し、フィンリーは笑う。
「そういう問題じゃない」
「じゃあ、どういう問題なんだよ。とにかく俺は、仕事をさっさと終わらせて、この服を脱ぎたいわけ」
もちろん、本音はそれだけではなかったのだけれど。あくまでひらひらふりふりのお仕着せにはうんざりと言わんばかりの態度で訴えれば、ローガンがにやりと笑った。
「暴れまわって嫌がるからどうしたものかと思っていたが。まったくよく似合っているじゃないか」
「……うるさいなあ」
「あいつらに見せてやれば、きっと喜ぶぞ」
「それだけは本当に勘弁して」
(もともと女なんだから、似合うに決まってるだろ。それに正体がバレたら、出ていかなきゃいけないじゃないか)
そんなぼやきはおくびにも出さず、フィンリーは立ち上がる。スカートに落ちたごみくずを両手で払い落とせば、お仕着せはいつも通りの折り目正しい美しさを取り戻した。
「休憩時間とはいえサボり過ぎたな。侍女頭に目をつけられるのも面倒だし、俺は先に戻るわ」
「わかっている。ヘマをするんじゃないぞ」
「当然だろ。俺を誰だと思ってんだよ。だいたいお前こそサボっていていいのか?」
「一服してから仕事に戻る」
「あっそ、ごゆっくり」
煙草を指にはさむその仕草が妙に色っぽくて、フィンリーは慌てて目をそらした。
自分ばかりがどぎまぎしてしまった。それが悔しくて、少しだけ悪戯心が出る。目の前でくるりと回ってみせれば、たっぷりとひだのあるお仕着せのスカートが花開くように広がった。意識して、上目遣いで微笑んでみる。
「おいやめろ、丸見えだ!」
「お前さ、俺があんまり可愛いからって、心配しすぎなんだよ」
「そうだな。できることなら即結婚を申し込みたいくらいだ。私以外の男には気をつけろ。何をされるかわからんぞ」
「……っ、お前はまた真面目な顔をしてそういうことを言う! 冗談は嫌いだっつってんだろ」
(こっちの気持ちも知らないくせに!)
フィンリーは、お仕着せの裾を握りしめ、大慌てで仕事に戻っていく。意趣返しをするつもりが、結局またてのひらの上で踊らされた。口を引き結んだまま、フィンリーは駆けていく。
「冗談じゃ、ないんだがな」
男のため息は煙と共に青空に吸い込まれていった。
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