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はじめまして。こんにちは。ごめんなさい。(前)
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本物になりたいと思っていた。わたしが本物になれば、みんなが幸せになれると信じていた。頑張ってもどうしようもないことだってたくさんあると、知っていたはずなのに。
***
「あなたは本当に優しい子ね。きっと立派な聖女になるわ」
母から繰り返し言われていた言葉。だからわたしは、当たり前のように自分は聖女になるのだと思っていた。なれるとか、なれないとか考えたこともない。「立派な聖女になる」ということは、わたしにとって確実な未来だったのだ。
聖女らしくなるように髪を伸ばした。わたしの髪色と瞳の色は、聖女らしくない色合いをしていたらしい。母はわたしの髪の毛が美しい金髪になるようにと特殊な石鹸を手配し、毎日丁寧に洗ってくれた。それでも綺麗な金髪にならないときは、苦心して蕃紅花(サフラン)を集め、染髪までしてくれたのだ。
母の情熱に根負けしたのか、石鹸や蕃紅花(サフラン)を使わずとも金髪になっていたときの、母の喜びようといったら。わたしは何色の髪でもよかったけれど、この髪色が聖女らしいというのであれば、金色に染まってくれて助かったと胸を撫でおろした。
瞳だってそうだ。理想の色になれるようにと目の中に怪しげな液体を入れられるのは、やはり辛い。瞳の色が変化した時は、髪の色が変わった時以上に、ありがたかった。
見た目ばかり聖女然としていても意味がない。母の期待に応えねばと、わたしは魔術の修行に励んだ。多くの人々を治癒できるように。深い怪我や重い病も治せるように。母は、「これならば、いつか亡くなったひとも蘇らせることができるかもしれない」と褒めてくれた。
そんなこと、できるはずがないのに。それでもわたしは、母が喜んでくれることが嬉しかった。父がなんとも言えない顔で黙り込むことも、寡黙なひとなのだと気にもしなかった。何を考えているのかわからない学者の父よりも、隣で喜び励ましてくれる母の反応が大切だったから。
そんなわたしには、ひとりの姉がいた。歳の離れた姉は、ずいぶんと昔から寝たきりだったらしい。病気がひどく、感染してはいけないからと会うことも禁じられていたから、家族だというのにわたしにとって姉はひどく遠い存在だった。
わたしが神殿に通っていても、家で勉強をしていても、姉は離れでひとりきり。母はわたしの修行に朝から晩まで付きっ切りだったから、母を独り占めして申し訳ないとさえ思っていた。だから、思いついてしまったのだ。わたしが立派な聖女になるのであれば、まず最初に大切な家族である姉を救うべきであると。
けれど母は、わたしの進言をやんわりと拒んだ。その頃のわたしは今よりもずっと魔力が少なかったから、重篤な患者に治癒をかければそれだけで倒れてしまうような有様だった。わたしが不甲斐ないから、母はわたしに姉を診せようとはしないのだ。そう考えたわたしは、ますます意地になって治癒の勉強と修行に励んだ。
日々の修行の成果だろうか。気が付けばわたしは、ずいぶんと魔力の扱いが上手になっていた。魔法の精度が上がって何より嬉しかったのは、期待外れだと落胆するひとを見ずに済むようになったこと。こちらを非難したいのをじっとこらえている雄弁すぎる眼差しは、刺されるように辛いものがあったから。
自信がついた私は、母の誕生日の前の晩にこっそりと姉が住んでいる離れへ忍び込んだ。母の誕生日の贈り物として、姉の治療を行おうと思ったのだ。今になってみれば、とんでもないことを企んだものだと思う。
そもそも姉の同意もとらずに、絶対に治療に協力してもらえるものだと思った根拠はなんだったのだろうか。母が一番喜ぶことは、姉が元気になることだと思っていたのか。あるいは今になって思えば、姉の誕生日がいつかを知らなかったからこそ、わたしは母の誕生日にこの計画を実行しようと思いついたのかもしれなかった。
***
屋敷の中は、誕生日の準備で大忙しだったから、わたしが姿を消していても誰も探したりはしなかった。きっと、誕生日の贈り物の準備をこっそりひとりでやっているとでも思われていたのだろう。そして、それは確かに間違ってはいなかった。間違っていたのは、わたしの考えと行動そのものだったのだけれど。
「お姉さま。もう大丈夫ですよ。わたしが、しっかり治療してみせますからね」
離れは不思議なほど静かだった。病人がいる部屋というのは、独特の匂いがする。薬となんとも形容しがたい弱った人間の匂い。健康的な人間ばかりいる屋敷の中とは異なる、不思議な匂い。けれど、姉のいる離れにはその匂いがなかった。むしろ物置のような、時が止まったような埃くささが漂う。
「お姉さま?」
魔術で明かりを灯し、寝台を照らし出す。けれどそこにいたのは、姉ではなかった。小さな、ただの古ぼけたぬいぐるみがひとつあるだけ。重い病気だという姉が、自分ひとりで立ち上がってどこかへ行くことができるとはとても思えない。一体、姉はどこへ行ってしまったのだろう。
わけもわからぬままぬいぐるみに手を伸ばしたとき、暗闇から誰かの手が突き出てきた。思い切り突き飛ばされる。思わぬ衝撃に、床に転がったまま呆然と見上げた。そこにいたのは、母屋にいたはずの母だった。何か意味のわからないことを叫んでいる。わたしの手に触れることなく、けれど母の勢いによって宙を舞ったぬいぐるみの首が千切れて床に落ちた。母の金切り声が響く。
――姉も治せない役立たず!――
――額に花も咲かない偽物め!――
――お前が死ねばよかったのに!――
はっきりと言われたはずなのに、本当に母がそう言ったのか今でも自信がない。音ではなく、色のついたさまざまな大きさの文字のように記憶しているのは、いつもの母とはまったく違うあの声を一瞬理解できなかったからだろうか。
わたしが見ていたものはなんだったのだろう。一緒に過ごしていたあの優しい母は、誰だったのだろう。その後、わたしは驚きのあまり、過呼吸を起こしてしまっていたらしい。気が付いた時には、自分の部屋でひとり寝かされていた。
母は調子を崩して寝込んでいるという。しおれきった父が、私に説明してくれた。わたしには、年の離れた姉がいたのだそうだ。病に倒れた彼女が受けた神託は、「聖女の礎となる」というもの。
そしてわたしはというと、生まれたときに「聖女になる」などという神託はなかったのだそうだ。わたしの神託は、「縫物が得意になる」ということだけ。だから、神殿はわたしのことを親元から引きはがさないでおいてくれたらしい。あくまでわたしは、「仮の聖女」だったから。母がわたし以外に妹を産んだのならその子が「聖女」となったのかもしれないけれど、生まれたのはわたしひとりだけだった。
姉を心から愛していた母は、そこから少しずつおかしくしまってなったらしい。「聖女の礎となる」という神託を受けたはずなのに、「聖女」が生まれる兆しさえない。娘の死は無意味だったのか。それを気に病んだ母は、力づくでわたしを「聖女」とすることにしたのだそうだ。
わたしは神託通り縫物が得意だった。魔力で糸を作れば、本来繋げられないものも繋げることができる。ほつれかかったひとの縁や命まで。それは聖女のごとき特別なものではあったけれど、それだけでは聖女とは呼べないらしい。聖女は神託か、あるいは額に花を咲かせて生まれてくるものだったから。
だから母はわたしに、面紗を被せるようにしたのかと納得した。「聖女さまは、神秘的なほうがいいのよ」なんて言っていたけれど、髪の毛の色や瞳の色にあれほどこだわった母が、面紗を被せてくるのが実は少しだけ不思議だったのだ。
額に花を咲かせることができないわたしだったから、面紗が必要になったのだ。いつまでたっても「本物」になれない、出来損ないの顔を見なくて済むように。
もしもわたしが「仮」ではなく、「本物」だったなら? もっとみんな、幸せになれたのだろうか? 母も鬼のようにならずに済んだのではないか? だからわたしは決めたのだ。姉の神託が正しかったことを証明するために、神殿で「本物の聖女」になるのだと。
もちろん神殿でもわたしは期待されていなかった。
わたしが役に立たなければ「『仮の聖女』ならば仕方がない。本物は、さぞかし優秀なのだろう」と嘆息し、聖女の名に恥じないように努力すれば、周囲はまだ見ぬ「本物の聖女」にますます期待する。結局、誰もわたしのことなど見てくれはしないのだ。
お飾りのままでは、いつまでたっても「仮」のままだ。「本物」になるために必要なのは、現場での実践ではないか。そこに思い至り、わたしは家出をしたときと同じように神殿を飛び出した。頑張れば、努力し続ければ、いつか「本物」になれる。まだそう信じていたから。結局、偽物のわたしは、誓約魔法で相手を縛り付けることで仲間を増やすことしかできなかったのだけれど。
聖女らしく振舞えば振舞うほど、仲間は離れ、人々は際限なくわたしに施しを求めてくる。何を間違ったのか、もう考えたくもなかった。結局わたしが手に入れたのは、悲劇的な結末だけだったのだから。
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「あなたは本当に優しい子ね。きっと立派な聖女になるわ」
母から繰り返し言われていた言葉。だからわたしは、当たり前のように自分は聖女になるのだと思っていた。なれるとか、なれないとか考えたこともない。「立派な聖女になる」ということは、わたしにとって確実な未来だったのだ。
聖女らしくなるように髪を伸ばした。わたしの髪色と瞳の色は、聖女らしくない色合いをしていたらしい。母はわたしの髪の毛が美しい金髪になるようにと特殊な石鹸を手配し、毎日丁寧に洗ってくれた。それでも綺麗な金髪にならないときは、苦心して蕃紅花(サフラン)を集め、染髪までしてくれたのだ。
母の情熱に根負けしたのか、石鹸や蕃紅花(サフラン)を使わずとも金髪になっていたときの、母の喜びようといったら。わたしは何色の髪でもよかったけれど、この髪色が聖女らしいというのであれば、金色に染まってくれて助かったと胸を撫でおろした。
瞳だってそうだ。理想の色になれるようにと目の中に怪しげな液体を入れられるのは、やはり辛い。瞳の色が変化した時は、髪の色が変わった時以上に、ありがたかった。
見た目ばかり聖女然としていても意味がない。母の期待に応えねばと、わたしは魔術の修行に励んだ。多くの人々を治癒できるように。深い怪我や重い病も治せるように。母は、「これならば、いつか亡くなったひとも蘇らせることができるかもしれない」と褒めてくれた。
そんなこと、できるはずがないのに。それでもわたしは、母が喜んでくれることが嬉しかった。父がなんとも言えない顔で黙り込むことも、寡黙なひとなのだと気にもしなかった。何を考えているのかわからない学者の父よりも、隣で喜び励ましてくれる母の反応が大切だったから。
そんなわたしには、ひとりの姉がいた。歳の離れた姉は、ずいぶんと昔から寝たきりだったらしい。病気がひどく、感染してはいけないからと会うことも禁じられていたから、家族だというのにわたしにとって姉はひどく遠い存在だった。
わたしが神殿に通っていても、家で勉強をしていても、姉は離れでひとりきり。母はわたしの修行に朝から晩まで付きっ切りだったから、母を独り占めして申し訳ないとさえ思っていた。だから、思いついてしまったのだ。わたしが立派な聖女になるのであれば、まず最初に大切な家族である姉を救うべきであると。
けれど母は、わたしの進言をやんわりと拒んだ。その頃のわたしは今よりもずっと魔力が少なかったから、重篤な患者に治癒をかければそれだけで倒れてしまうような有様だった。わたしが不甲斐ないから、母はわたしに姉を診せようとはしないのだ。そう考えたわたしは、ますます意地になって治癒の勉強と修行に励んだ。
日々の修行の成果だろうか。気が付けばわたしは、ずいぶんと魔力の扱いが上手になっていた。魔法の精度が上がって何より嬉しかったのは、期待外れだと落胆するひとを見ずに済むようになったこと。こちらを非難したいのをじっとこらえている雄弁すぎる眼差しは、刺されるように辛いものがあったから。
自信がついた私は、母の誕生日の前の晩にこっそりと姉が住んでいる離れへ忍び込んだ。母の誕生日の贈り物として、姉の治療を行おうと思ったのだ。今になってみれば、とんでもないことを企んだものだと思う。
そもそも姉の同意もとらずに、絶対に治療に協力してもらえるものだと思った根拠はなんだったのだろうか。母が一番喜ぶことは、姉が元気になることだと思っていたのか。あるいは今になって思えば、姉の誕生日がいつかを知らなかったからこそ、わたしは母の誕生日にこの計画を実行しようと思いついたのかもしれなかった。
***
屋敷の中は、誕生日の準備で大忙しだったから、わたしが姿を消していても誰も探したりはしなかった。きっと、誕生日の贈り物の準備をこっそりひとりでやっているとでも思われていたのだろう。そして、それは確かに間違ってはいなかった。間違っていたのは、わたしの考えと行動そのものだったのだけれど。
「お姉さま。もう大丈夫ですよ。わたしが、しっかり治療してみせますからね」
離れは不思議なほど静かだった。病人がいる部屋というのは、独特の匂いがする。薬となんとも形容しがたい弱った人間の匂い。健康的な人間ばかりいる屋敷の中とは異なる、不思議な匂い。けれど、姉のいる離れにはその匂いがなかった。むしろ物置のような、時が止まったような埃くささが漂う。
「お姉さま?」
魔術で明かりを灯し、寝台を照らし出す。けれどそこにいたのは、姉ではなかった。小さな、ただの古ぼけたぬいぐるみがひとつあるだけ。重い病気だという姉が、自分ひとりで立ち上がってどこかへ行くことができるとはとても思えない。一体、姉はどこへ行ってしまったのだろう。
わけもわからぬままぬいぐるみに手を伸ばしたとき、暗闇から誰かの手が突き出てきた。思い切り突き飛ばされる。思わぬ衝撃に、床に転がったまま呆然と見上げた。そこにいたのは、母屋にいたはずの母だった。何か意味のわからないことを叫んでいる。わたしの手に触れることなく、けれど母の勢いによって宙を舞ったぬいぐるみの首が千切れて床に落ちた。母の金切り声が響く。
――姉も治せない役立たず!――
――額に花も咲かない偽物め!――
――お前が死ねばよかったのに!――
はっきりと言われたはずなのに、本当に母がそう言ったのか今でも自信がない。音ではなく、色のついたさまざまな大きさの文字のように記憶しているのは、いつもの母とはまったく違うあの声を一瞬理解できなかったからだろうか。
わたしが見ていたものはなんだったのだろう。一緒に過ごしていたあの優しい母は、誰だったのだろう。その後、わたしは驚きのあまり、過呼吸を起こしてしまっていたらしい。気が付いた時には、自分の部屋でひとり寝かされていた。
母は調子を崩して寝込んでいるという。しおれきった父が、私に説明してくれた。わたしには、年の離れた姉がいたのだそうだ。病に倒れた彼女が受けた神託は、「聖女の礎となる」というもの。
そしてわたしはというと、生まれたときに「聖女になる」などという神託はなかったのだそうだ。わたしの神託は、「縫物が得意になる」ということだけ。だから、神殿はわたしのことを親元から引きはがさないでおいてくれたらしい。あくまでわたしは、「仮の聖女」だったから。母がわたし以外に妹を産んだのならその子が「聖女」となったのかもしれないけれど、生まれたのはわたしひとりだけだった。
姉を心から愛していた母は、そこから少しずつおかしくしまってなったらしい。「聖女の礎となる」という神託を受けたはずなのに、「聖女」が生まれる兆しさえない。娘の死は無意味だったのか。それを気に病んだ母は、力づくでわたしを「聖女」とすることにしたのだそうだ。
わたしは神託通り縫物が得意だった。魔力で糸を作れば、本来繋げられないものも繋げることができる。ほつれかかったひとの縁や命まで。それは聖女のごとき特別なものではあったけれど、それだけでは聖女とは呼べないらしい。聖女は神託か、あるいは額に花を咲かせて生まれてくるものだったから。
だから母はわたしに、面紗を被せるようにしたのかと納得した。「聖女さまは、神秘的なほうがいいのよ」なんて言っていたけれど、髪の毛の色や瞳の色にあれほどこだわった母が、面紗を被せてくるのが実は少しだけ不思議だったのだ。
額に花を咲かせることができないわたしだったから、面紗が必要になったのだ。いつまでたっても「本物」になれない、出来損ないの顔を見なくて済むように。
もしもわたしが「仮」ではなく、「本物」だったなら? もっとみんな、幸せになれたのだろうか? 母も鬼のようにならずに済んだのではないか? だからわたしは決めたのだ。姉の神託が正しかったことを証明するために、神殿で「本物の聖女」になるのだと。
もちろん神殿でもわたしは期待されていなかった。
わたしが役に立たなければ「『仮の聖女』ならば仕方がない。本物は、さぞかし優秀なのだろう」と嘆息し、聖女の名に恥じないように努力すれば、周囲はまだ見ぬ「本物の聖女」にますます期待する。結局、誰もわたしのことなど見てくれはしないのだ。
お飾りのままでは、いつまでたっても「仮」のままだ。「本物」になるために必要なのは、現場での実践ではないか。そこに思い至り、わたしは家出をしたときと同じように神殿を飛び出した。頑張れば、努力し続ければ、いつか「本物」になれる。まだそう信じていたから。結局、偽物のわたしは、誓約魔法で相手を縛り付けることで仲間を増やすことしかできなかったのだけれど。
聖女らしく振舞えば振舞うほど、仲間は離れ、人々は際限なくわたしに施しを求めてくる。何を間違ったのか、もう考えたくもなかった。結局わたしが手に入れたのは、悲劇的な結末だけだったのだから。
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