【連載版】おかえりなさい。どうぞ、お幸せに。さようなら。

石河 翠

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ようこそ。お疲れさま。お気をつけて。(後)

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「邪魔をする」
「……へ、陛下」

 その日、昼寝を楽しんでいた自分の元に現れたのは、異母弟だった。

 もう一生会うことはないだろうと思っていたのだが、一体どういう風の吹き回しか。王族の生き残りを探していたのは知っているが、自分はあえて名乗り出なかった。向こうもまさかこんなすぐそばに、王族が潜んでいるなんて思いもしなかったに違いない。

 顔も焼けただれているし、外套を目深にかぶっているから誰も自分のことなど気にも留めないだろうと思っていたのに。今さら、自分の力が必要になる事態など発生したのだろうか。

 まあ万一の事態で、異母弟の代わりに首を差し出すくらいの仕事ならできるだろうが。はて。首をひねりつつ頭を下げれば、困ったように苦笑された。

「よい、頭を上げよ。楽にしてくれ」

 すっかり王の顔が板についている。目の下のくまが気になったが、王太子という期間もなくわけもわからぬまま国王の座に就いてしまったのだから、無理もないだろう。だがあの城の崩壊でも、真面目に働いていた官吏たちは怪我もなく生き残っていると聞いている。なんとか支えてくれるはずだ。

 無言のまま、時間だけが過ぎていく。そういえば、異母弟はあまり口がうまくなかった。城にいた頃は、自分がおちゃらけたように何度も絡みにいっていたものだ。だが国王となった異母弟に、平民として生きている自分が同じように振舞うことはできない。はあ、ここに酒でもあれば無言でも気にならないのだが。久しぶりに酒の味が恋しくなった。

 見慣れぬ人間が来たせいで静かにしていた小鳥たちも、その人間が取り立てて悪人ではないらしいとわかると、またいつものように自由気ままにさえずり始めた。ただ異母弟ばかりが、石像のように固まっている。

 何もしないままじっと待っているのも、なんだか妙な感じだ。そもそも先ほどまでのんびり昼寝をしていたのだ。無言のまま時が過ぎれば、どこかへ出かけていたはずの眠気がまた戻ってくる。さすがに国王の前で、あくびをするのはまずい。異母弟は大丈夫だろうが、虫の居所の悪い母なら首をはねよと騒いでいただろう。

 あくびをしてはならん。せめて、がまんができないのならよそを向いて。あわあわしていると、異母弟が身じろぎした。不意に周囲の空気が緩む。

「緊張して損をした。悪いが、話を聞いてくれ」

 異母弟よ、緊張するのはこちらに決まっているだろう。何を言っている? だが、墓守となった自分は、ただ是とうなずくしかないのだった。


 ***


「……子どもが、自分に懐かないのだ」
「それは、手前ではなく、どなたか女性にご相談するべきなのではありませんか?」
「俺は、男手ひとつで育てられたようなものだ。半分血の繋がった兄を、父のように感じて生きてきた。だが同じように接しているはずなのに、息子はどうにも俺に対して遠慮があるように見える。俺と違って、我を通すということがない。何が悪いのだろう」

 唐突な異母弟の発言に、むせそうになった。何を言っているんだ、この男は。絶対に相談する相手を間違えているだろう。頭を抱えそうになったが、どうにもできずに当たり障りのない回答をすることにした。

「そこまで悪い親子関係とは思えませんが」
「……息子に、『陛下』と呼ばれるのは辛い」
「公私混同をなさらない立派なお子さんなのでは?」
「いまだに、一度たりとも呼んでもらえない。もちろんすべては俺が悪いのだから、父と呼ばれることはないだろうとは思っていた。だが、時々無性に誰かに愚痴りたくなるのだ。自業自得だから、誰にも言えないが」

 本人から直接聞くことはなくとも、噂話はどこからでも漏れ出てくる。根も葉もない噂もあれば、実は真実であるものも意外と多い。そして、現国王の息子の母親は、竜であるという噂は、どうやら本当らしかった。

 そうなると自分は、嫁である「災厄」と呼ばれた少女と異母弟を引きはがそうとした根性悪の姑――性別はともかく、経緯と立ち位置的に意地悪な舅ですらない――となるわけで。やはり相談相手にこれほどふさわしくない人間はいないだろう。やれやれと肩をすくめ、話を遮る。

「陛下。陛下には聖女さまがいらっしゃるではありませんか」
「あれとは、そういう話をする仲ではない」
「なるほど?」
「むしろ、聖女の愚痴を聞かねばならなくなる」
「聖女さまが愚痴とは、想像もつきませぬ」
「人前ではひたすらに聖女らしく振舞おうとするからな。周囲にひとがいなければ、今にも神を殴り倒しそうな勢いで、祈りを捧げているが」

 それは本当に祈りなのか。呪詛の類に思えてならないが。聖女の定義が揺らぐ。

「なかなかに積極的でよろしいではありませんか」
「しかも息子が、その聖女にべったりなのだ。俺には触らせてくれないぬいぐるみを持って、しょっちゅう遊びに行っている」
「ならば、聖女さまと再婚なさっては?」
「……だから、そういう話をしにきたのではない。まったく、どいつもこいつも口を開けば聖女との再婚を勧めてくる」
「陛下のことを考えても、殿下のことを考えても、王妃さまがいらっしゃった方がいいと考えてしまうのですよ。周りの人間は、いつの時代でもそういうものです」
「わかっている。だが、それでも俺は結婚などするつもりはないのだ」

 ため息をつく異母弟が気の毒ではあったが、こればかりは腹をくくるより仕方がない。妥協できないのなら、日々突っぱねていくしかないのだ。これは経験上得た、真理である。

「そなたは、結婚を考えたことはないのか?」
「残念ながら、自分には縁がなく。とはいえ、大切な弟がおりましたので。その子の成長が、自分にとっての楽しみでありました」
「その相手は?」
「今ではすっかり一人前の父親になっておりますよ。子育てに悩む姿は、成長している証です。相手の心を思いやることを知らなければ、悩むことなどないのですから」

 先ほどの意趣返しとばかりに、しれっと本音を返してやった。お前は学ばねばならないのだよ。自分のように、すべてを失う前に。後悔はできるうちにやっておくがいい。苦しく、険しいが、それが生きるということなのだ。

「まったくわからん。何もかも複雑すぎる」

 異母弟がお手上げと言わんばかりに、地面に倒れ込んだ。地面にはたくさんの草花が咲き誇っている。墓所は小さな森と花畑に囲まれているのだ。そこで眠る異母弟は、物語のように美しかった。


 ***


 目をつぶれば、小鳥のさえずりが耳に心地よい。気持ちの良い風が吹き抜けていく。どれくらいの時間が経ったのか、異母弟がむくりと起き上がった。髪の毛に花をいくつもつけてしまっている。妙にさまになっていて、笑いをこらえるのに苦労した。

「笑いたければ、笑えばいい」
「滅相もございません。陛下を見て笑うことなど」
「口がぴくぴくと動いている。無理をするな」
「これは失礼」

 肩を震わせてそれでも噴き出さないように耐えていると、静かに立ち上がった。そろそろ政務に戻るらしい。それはそうだろう。王の側近というものは馬鹿ではない。さすがに自分たちの主人がどこにいるかくらい把握している。それでも少しばかり放っておいてくれるのは、その時間が本人にとって必要なものだと理解しているからだ。良い部下に恵まれたな。そう感心していると、外套の下からのぞきこまれた。やめてくれ。心臓に悪いだろう。

「傷は痛むのか?」
「それほどでも。自業自得ですゆえ」
「後から聖女を寄こす。きちんと治してもらえ」
「もったいのうございます」
「これは王命だ」
「さようでございますか。それならば王の御心のままに」

 聖女を連れてくるのか。それでも、この火傷は治らないだろう。少なくとも、部下だったあの男にきちんと謝ることもできなかったのだ。この傷を消すつもりはなかった。自身の愚かさの象徴だ。目に見える傷で戒められていなければ、自分はまた忘れるだろう。だから、このままでいいのだ。このままがいいのだ。

「またここへ来ても良いだろうか」
「おかしなことをおっしゃる。この国に、陛下が足を踏み入れることの叶わぬ場所などありましょうか」
「そうではない。俺がここに来ることは嫌ではないのかと聞いている。迷惑だと言うのなら、俺はもうここへは来ない」

 王となっても、異母弟は変わらない。ゆっくりと一礼する。

「いつでもお越しくださいませ」
「それならば、次にここへ来るときには酒を持ってくるとしよう」

 異母弟と酌み交わす酒が好きだった。最初は大人の目を盗んで口をつけ、喉が焼ける痛みにもだえ苦しんだが、酒の味がわかるようになると、ことあるごとにかこつけて酒を呑んでいたのが懐かしい。

「なかなか酒は手に入りませんからなあ。久しぶりに呑めるのを楽しみにしておりまする」
「息子はじーじがほしいそうだ。の年齢はともかく、心の広さは爺並みだろう? 下半身に脳みそがあるあの助平よりもずっと」
「は?」
「ひとりだけ引退して蚊帳の外、だなんて許さないからな」

 こちらの返事を聞くこともなく、異母弟は去っていく。不思議なものだ。兄弟だと名乗ることができなくなってからの方が、腹を割って話をしているような気がする。なんだか、妙に気分がいい。

 小さな子どもが走り回っても怪我をしないように、墓地の中を整えておくか。刺草は薬にもなる有用な植物だが、触らないように注意しておかなければ。やはり、ここは抜いてしまうべきなのか? 会えるとは思っていなかった異母弟の子どものことを考えると、そわそわして落ち着かない。

 眠っているところを叩き起こされて、迷惑そうにしている父の姿が目に浮かぶ。父は、異母兄弟の仲違いにも仲直りにも微塵も関心を示さないだろう。だが好き勝手に生きたのだから、たまには子どもらから逆襲を受けてみればよいのだ。
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